四国八十八ヶ所巡礼

急なことですが、四国八十八ヶ所の巡礼に行くことになりました。退職を意識した頃から、退職したら四国八十八ヶ所巡礼と湯治をしたいと漠然と考えていました。親しい方には、そんな計画をお話ししていたのですが、こんなに早く実現するとは想像していませんでした。私の中では、数年以内にもう一度お遍路に行く予定でいます。

付け焼き刃の勉強ですが、四国八十八ヶ所巡礼について調べて見ました。

空海が生まれたのは774(宝亀5)年で、今から1千2百数10年前です。その弘法大師空海が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場です。後に弘法大師空海の高弟が大師の足跡を遍歴したのが霊場めぐりの始まりと伝えられています。人間には八十八の煩悩があり、四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いがかなうといわれています。

徳島阿波は発心の道場(1番から23番)、高知土佐は修行の道場(24番から39番)、愛媛伊予は菩提の道場(40番から65番)、香川讃岐は涅槃の道場(66番から88番)といわれています。全行程1,450キロ余りを巡拝する四国遍路は、昔も今も人々の人生の苦しみを癒し、生きる喜びと安らぎを与えてくれる祈りの旅として、年間数十万人、歩き遍路だけに限っても、年間4千人から5千人はいるといわれています。

四国巡拝は「お遍路」というスタイルをとり弘法大師が修行した跡をたどる旅です。平安前期の815(弘仁6年)に開創したといわれる四国八十八ヶ所霊場は、大師信仰が高まるにつれ巡拝者の数も増し、室町時代にはほぼ整備されました。四国八十八ヶ所の札所の多くは、空海を宗祖とする真言宗のお寺ですが、なかには天台宗、臨済宗、曹洞宗、時宗などの寺々も含まれています。明治の神仏分離以前には神社も札所になっていたというから驚きです。

 江戸時代になると真言宗の僧侶の手によるガイド本「四国遍路指南」や「四国遍礼霊場記」など発刊され一般化しました。江戸時代も中期以降になると庶民の間で、一生のお参りに「四国八十八ヶ所めぐり」と、再び人気が上がりました。四国遍路は、お伊勢参り(三重県)や西国・坂東・秩父などの百観音霊場めぐりとともに庶民の一大イベントとなって、その流れは今日まで続いています。しかし、今日に至っては、修行という側面が次第に薄れてきているのは致し方ないことでしょう。

湯治は、二十歳から50年間走り続けてきたので、少し身体を休めたいというものです。四国八十八ヶ所巡礼は、これまでの人生のご加護に感謝したいという気持ちと様々な方々の支えに対する感謝を合わせて四国八十八ヶ所を巡りたいとの想いからです。私の中では、若干ですが修行の要素はあります。少なくとも、物見遊山でないことだけは確かです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

四国八十八ヶ所巡礼” に対して2件のコメントがあります。

  1. welfare0622 より:

    鈴木様

    有り難うございます。そうなんです、行けることになりました。修行してきます。

  2. Naritaマルシェ 鈴木郁子 より:

    先生、失礼しました。
    途中で送信なってしまったてしょうか?
    コメント途中で飛んでしまいました。

    夢がかなったお祝いを申し上げます😊
    夢は語るものなのですね~あやかりたい私も語ることにします❗

    行ってらっしゃい。

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