看護覚え書き―看護であること・看護でないこと

大腿骨頚部骨折による骨頭入れ替え術を行ったのでその回復期間の療養を良いことに、暇に任せて、毎朝、NHKテレビ小説『風、薫る』を観ています。5月4日からは、第6週「天泣の教室」が放送されています(天泣とは、晴れているのに雨が降る「天気雨」を指し、まるで「空(天)が泣いている」ようだとたとえた言葉)。

本作品『風、薫る』は、田中ひかる氏の「明治のナイチンゲール 大関和物語」を原案とし、文明開化が進むもまだ女性の職業が確立されていない明治時代に、看護の世界に飛び込み日本初の「トレインドナース」と呼ばれた2人の女性モチーフにその活躍を描くものです。

第6週「天泣の教室」は、梅岡女学校付属看護婦養成所にスコットランドから招かれた、ナイチンゲールの看護を学んできた先生(ナイチンゲール女史の精神は私の中にあると豪語)によって、「看護であること・看護でないこと」を学んでいく過程を綴れています。

第一回目(5月4日放送)を観たとき、直ぐさまナイチンゲールの『看護覚え書き』を思い浮かべました。看護覚え書きの冒頭、はじめに(Preface)には「この覚え書きは、看護の考え方の法則を述べて、看護婦が自分で看護を学べるようにしたものではけっしてないし、ましてや看護婦に看護することを教えるための手引書でもない。これは他人(ひと)の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである」「日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気にかからないような、あるいは病気から回復できるような状態にからだを整えるための知識は、もっと重要視されてよい。こうした知識は、誰もが身につけておくべきものでっあて、それは専門家のみが身につけうる医学知識とは、はっきり区別されるものである」と書いてあります。

その上で、「病気とは、程度の差はあっても、その性質は『回復過程』(reparative process)」(中略)。つまり病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒やそうとする自然の努力の現れ。」

そして有名な「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切に整え、これらを活かして用いること、また食事内容を適切に選択し適切に与えること――こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小限にするように整えることを意味すべきである」(13~15頁)と書かれています。私は、現職の時にこの『看護覚え書き』を読み、なるほどと強印象を覚えていたので、思い出したのです。

第一話、第二話では、授業と称して生徒たちにシーツ交換と掃除ばかりさせられています。生徒たちは自分たちなりにやってみると「This is not nursing(これは看護ではない)」、「Try again(もう一度)」とやり直しを命じられることの繰り返し。ダメな理由を聞くと、「Think to yourself(自分で考えなさい)」と、にべも無い返事。しかし、生徒たちはこの繰り返しを1カ月も続けていくと、先生はある日ついに、「This is nursing(これが看護です)」と微笑む。第三話では、感炎症対応の実習場面となり、患者に寄り添うおうと顔を近づけると「あなたは今、大勢の人を見捨てたのと同じです」とキツイ言葉でダメ出しされる。何度か繰り返していくうちに、患者と家族そして看護婦の区別が分かってきて、「This is nursing(これが看護です)」と言われ、「あなたたちの手は、家族の数百、数千倍の人を助ける手なんです」「あなたが看護婦になれば、家族を失い、あなたと同じ思いをする人を減らすことができます」といわれ、看護とは何なのかの基本姿勢を学んだのです。

感染症対応の部分は分かりませんが、その前の「新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさ」といった「患者の生命力の消耗を最小限にするように整えること」が看護だということは、今回入院して実感していたので、看護師さんの振る舞いを観て『看護覚え書き』を直ぐに思い出したのです。入院していたときの短歌です。『爽やかな 空気が届く 我がベッド 看護覚え書きが 生きている』。

私は、この考え方の基本は、看護や介護に限らないと思っています。自分が持っている自己治癒力を高めるとか、命の消耗を最小限に整えるとかは、体に関することに限らないと。自己治癒力は自分の持つ能力(顕在化した能力だけではなく潜在化している能力も含めて)の発揮を助けることとか、学びの環境を整えることと読み替えられるような気がするのです。そのことが結果として命の消耗、即ち自己実現の機会を阻害する環境を最小限にすることに通じるように感じています。

また、よく使われる言葉に『その人らしく』があります。その人らしくとは、その人の持っている能力を最大限に生かせるように努力すること、または支えることなのだと思います。また、「らしく」とは、他人と比較したり必要以上に背伸びすることなく、自分の持つ能力を生かし切ることの意味ではないかと思っています。

このようなことに結びつけながらテレビを観ていました。まt、大学院の時に読んだ『老いることの意味』の内容なども思いだし、病気や介護になっても、人間は生涯発達しているんだと言うことを信じて、そのための『漢語覚え書き』を改めて読んでいます。

参考文献 : Florence Nightigale,1968,Notes on Nursing:What It Is and What Tt is Not,London:Macmillan Publishers.(=2000, 湯槇ます・薄井坦子・児玉香津子・田村 真・木南吉彦訳『看護覚え書き―看護であること・看護でないこと―改訳第6版』現代社.

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