桜前線が津軽海峡を越え北海道へ(4月17日)
毎年3月下旬頃になると毎日のように報道される『桜前線』。3月16日に高知・岐阜・甲府でスタートし、3月19日に東京・名古屋などで開花、4月18日時点で北海道・函館まで到達しています。現在の開花宣言や桜前線のシステムは1953(昭和28)年に始まります。以降、日本中をワクワクさせています。
宮城県への桜前線到達は仙台気象台内にある標本木で確認されます。仙台気象台は、3月31日に標本木に6輪咲いているのを確認し仙台開化を発表しています。平年より8日、昨年より4日早い開花となりました。津軽海峡を越え北海道の開化は、函館五稜郭公園の桜で確認を指定います。尚、北海道南端の松前町では町独自で調査しており、4月13日に町内の公園で開花したと発表しています。
これまで何の疑問も持たず意『桜前線』にまつわる報道を見聞きしてきたのですが、日本で『桜前線』というラインを引けるには大きな理由があることを知りました。実は、日本の桜の約8割は『ソメイヨシノ』(染井吉野)です。この為、1本咲けば近隣もほぼ同時に咲くという状況になることから、ラインが引けるので。また、ソメイヨシノは開花から満開まではほぼ七日、さらに咲き終わるまでも七日なので、桜のシーズンは十日間くらいになります。桜の咲いている時期は、近隣でほぼ一致しているので、自ずとお花見の時期も決まってくることから、十日間の中にある土日は席取り争奪戦が激しくなるのです。
一口に『桜』といっても多くの種類はあります(自然種の場合)。自然種の他には、人に育てられた「里桜」と呼ばれる約300種の園芸品種があります。自然種は「ヤマザクラ群」「エドヒガシ群」「マメザクラ群」「カンヒザクラ群」に大きく分けられています。西日本(暖かい地域)には主にヤマザクラ、東日本にはカスミザクラやオオヤマザクラと、ソメイヨシノ以前には、日本列島のほぼ全域を一つの種類の桜が覆うことはなかったのです。江戸時代の元禄年間にできた仙台の桜の名所榴ヶ岡そして秋田の角館はエドヒガン系でした。奈良県吉野山の桜はほとんどがヤマザクラでした。
現在、日本の桜の約80%といわれるソメイヨシノは、幕末から明治初期に江戸(東京)に姿を現し、以降全国へ広まって行ったと言われています。『ソメイヨシノ』(染井吉野)という名前は、二つの地名に由来しています。「ソメイ」は、現在の東京都豊島区駒込で、ここはかつて染井村と呼ばれ、江戸後期から明治半ば頃までは園芸業の一大拠点でした。染井村の「ソメイ」から来ています。「ヨシノ」は、桜の名所として名高い奈良県吉野町にある吉野山の「ヨシノ」から来ています。
ソメイヨシノは「オオシマザクラ」と「エドヒガシ」の交配でできあがったと考えられています。ソメイヨシノには、この二つにはない特徴を持つようになりました。ソメイヨシノには種子からから育った樹がないのです。全て接木や挿木によります。桜には、自家不和合性といって同じ樹のめしべとおしべの間では受粉出来ない性質を持っています。できた種には必ず別の樹の遺伝子がまざるのです。この為、この種方育てても元の樹と同じ樹にはならないのです。この為、ソメイヨシノは、接木や挿木による全てクローン(栄養繁殖)なのです。
ソメイヨシノの咲き方には幾つかの際だった特徴があります。特に目を引くのは葉が出る前に花が出そろいます。の為、樹全体を覆い隠すように花が一斉に広がるのです。一面同じ桜色の並木道が成り立つのは、ソメイヨシノならではの景色で、花の色も咲く時期もほとんど同じという所から来ています。満開時の並木道は、その下を歩くと視界全てが花で満たされ頭上も花、四方も花、そして足下も落ちた花びらと圧倒的な量感で迫ってくるのです。並木には特に映える桜がソメイヨシノなのです。
我が家では満開の頃(4月12日)に公園でお花見をしようと様々用意したのですが、風が強くて断念し自宅で準備した料理を食べるだけのお花見になってしまいました。こんな私でも、桜が咲くと陽気にも誘われ桜を観たいと思ってしまいます。私が小さい頃は、自宅の近くが一級河川鳴瀬川の堤防の近くにあり、其の堤防沿いに桜が植えてあり、良く花見が行われていました。花見が終わった頃に行ってみると、お酒の一升瓶が転がっているので、それをお店に持って行って幾ばくかのお金をもらい喜んでいたことを思いまします。昔の人は、後始末が悪いのではなく、近隣の子どもたちへのお小遣いの気持ちで持ち帰らず残していったのではないかと思っています。大らかで良い時代でした。


