現在の心境と日々の過ごし方
今、希な体験、出来ればしたくない体験の中にあるので、今後の自分自身への戒めの為に書き残しておくのも良いのかも知れないと思い、指先のリハビリも兼ねてパソコンに向かっています。
2月28日(土)に同じ地区(泉西一)の民生委員児童委員が関わっている老人倶楽部の勉強会で講義の依頼があり「人生を豊かに生きる」と題した60分程度のお話しをしました。当日は月一回のお誕生日会も兼ねた集まりのようで多く高齢者が老人福祉センターに集まっていました。私は、広い会場で無い限り、出来るだけマイクを使わないようにして地声でお話をします。そうしないと、こもったような声になって聞きにくいのではないかと思うからです。加えて、高齢になると高い音は聞きにくくなるので出来るだけ引くい声(低音)でお話しするように心がけているからです。
講話は、約1時間で予定取り終わり質問に備えたのですが、皆さん次のお弁当付きのお誕生日会に関心が即向いていたようで質問もなく講話は時間どうり終わりました。全身倦怠感のある中での声を張り上げてのお話しは、想像以上に疲れるものです。会場づくり等ザワザワしている中、そそくさと会場を後にしました。
自宅への帰り道の途中、車を止め外に出たところで、何でもない平坦な場所で転倒してしまいました。右手で身体を支えようとしたのですが、支えきれず右半身からアスファルトに叩きつけられるように転んでしまいました。全身倦怠感のある状態での転倒だったので、受け身は出来ないままでの転倒でした。全身倦怠感に加え講話で少し疲れており、足がもつれたのかも知れません。右の腰の部分が異常痛くて動けませんでした。妻に支えられ何とか左足だけで車に乗り込みましたが、打撲の痛みとは違う感じがして、一番マズいところを骨折したのではないかと疑いました。
土曜日に開いている病院を探し駆け込みました。さっそくレントゲンを撮られ「大腿部頚部骨折」と告げられ、「あ~、やってしまった」という思いでした。医者からは、このまま入院して下さいと告げられ、個室を選んで即病棟に移りました。入院の為の用意は何もしていなかったので、全て病院で用意している入院セットの様なものを購入して身につける様になりました。この頃は、どんな姿勢を取っても痛くて仕方がありません。声を押し殺して歯を食いしばっている状態でした。 『何でもない こんな所で なぜ転ぶ 頚部骨折 即入院』
あれよあれよという間に病院服に着替えさせられ、両足には血栓防止の目的で、圧迫と解放が繰り返される、血圧測定の時に腕に巻く空気が入って圧迫するベルトの様なものを巻かれ、退院まで24時間装着されました。仰向けの状態でベッドから全く動けない為に、大人用のおむつとオシッコは管からするようにされました。おむつやオシッコの管を付けられるときは、羞恥心より痛みの方が勝り、身動きせずされるがままの状態でした。これ以降、食事の時にベッドを起こし、うんちの時は車椅子でトイレに誘導される他は、ほとんどをベッドで寝た状態で過ごしました。脱臼防止の為に、両足の間に幅15センチほどのものを挟み横になっています。この為、寝返りも出来ません。何とも苦しい「安静?」でした。『痛いだけ 身動き取れぬ この身体 完全看護に 身をあずける』
入院中は有り余る時間を持てあまし、多くの方は本を読んだり音楽を聴いたりしながら時を過ごすのだろうと思います。しかし、私の場合は、全く身動きの取れない状況だったので、何をするにも『ナースコール』が必要でした。でも、何度も看護師さんを呼ぶのは申し訳なくて、トイレの時だけお願いしました。一番気になったのは、カーテンの開閉と窓の開閉です。朝は、カーテンを全開し、窓を少し開けて新鮮な空気を部屋に入れたいのです。それが、なかなか出来ないことが多いのです。この為、夜になってもカーテンの三分の一程は開いたままにしてもらいました。窓は、朝一番に来た人にお願いしました。カーテンと窓の開閉は、ナイチンゲールの『看護覚え書き』にある「看護とは」そのものでした。朝の日の光と新鮮な空気は、体も心も元気にしてくるのだと実感しました。
『爽やかな 空気が届く 我がベッド 看護覚え書きが 生きている』
入院中に大変だったことは、『寝返りが出来ない』『食事』そして『便秘』です。
人間の生理現象である寝返りは、成人は一晩に20回から30回寝返りを打つと言われています。寝返りの役割は大きく『体液循環』『体温調節』そして『姿勢のリセット』の三つです。身体の体液(血液、リンパ液、そして節々関節にある関節液)循環をより促すことです。寒い時は体を動かすことで血流良くして節々、指先足先まできちっと循環をいかせることで暖かさを保つという体温調節。寝ている時は、ただじっと寝るのではなく動くことでより骨や椎間板の組織が元の状態にリセットされて背骨の並びが良くなるという姿勢のリセット。こうした役割を持っているのが『寝返り』です。
『窓の外 桜のつぼみ まだかたい ここで開花は 観たくないな~』
入院中寝返りは出来ませんでした。点滴を含め様々なチューブや血栓防止ベルトが巻かれ、両足の間には、脱臼防止の為に両足を広げて閉じさせない直方体状のものを挟んでします。この寝返りが出来ないというのは、上記の様々な機能を失うということなので、なかなか大変でした。特に身体が硬直した感じになり、背骨をねじって『ボキボキ』させたくなるような気持ちでした。即ち背骨のリセット機能が全く失われてしまったからです。
病院から出される三度の食事は、入院中をつうじて30%程度しか摂れませんでした。特に、マズいという訳ではないのです。そもそもお腹もすかないし食べる意欲も沸かなかったのです。タンパク質とおぼしき食事とお味噌汁だけ食べました。炭水化物に相当するものは、土日に食べていたパン屋さんの豆?の入ったパンを買ってきてもらい、食べたいときにちぎって食べ、食物繊維不足は、野菜スムージーで補いました。後から書く便秘もあり、出ないのに食べると言うことにあるしゅの怖さもあったのかも知れません。
便秘は大変でした。ぜんどう運動はしっかり確認されているのですがでません。意識していないのですが、看護記録にはしっかり記録されているので、下剤が次第に多くなり、一週間も出ないと浣腸や座薬が処方されました。しかしほとんど効果は無く、10日も経ったときにはレントゲン撮影をされてしまいました。忘れたころに水様便が出たりしていました。おむつでは難しいので便器に座れば何とかなると思いトイレに連れて行ってもらったりもしたのですが、ここでも大問題が発覚しました。便器の高さが低いのです。この為、座ったとたん術後の関節が痛くなります。とても長く座っていることが出来ず力むことも出来ません。こんな状態だったので自然に出ることはなく、下剤の力で出るのがせいぜいでした。この状態は、自宅に戻ってからは簡単に解消されました。まだ下剤は服用していますが便秘はありません。
リハビリは手術した翌日から始まりました。一般的には、安静にしていることが必要なのですが、そうしていると関節が硬くなり其れを解消するにか相当数に時間が必要となることから、安静を犯すリスクより関節が硬くなるリスクの方を優先し、リハビリを始めるのが一般的になっているとのことでした。始めのころは、足を曲げたり伸ばしたりするのが中心で、関節部や筋肉のこりを取るマッサージが行われました。知らず知らずのうちに、右足(手術側)をかばうような歩き方をしているので、左足(健足側)や腰に大きな負担をかけているようでした。また、右足でも本来使うべき大腿四頭筋(太もも前面の筋肉)は、頸部骨頭手術でいじられて、大分筋力が低下しています。この為、それを補う大腿直筋が過度な負担を強いられています。こうしたことから、大腿直筋をもみほぐす必要があるようです。
少し歩けるようになると、平行棒を使った歩行訓練が行われるようになりました。5メートルほどなのですが往復するだけで、足が上がらなくなってしまいます。それだけ、筋肉が弱っているのだと思います。歩くのも、右足(手術側)をかばう様に歩く為、左手側に身体の軸が傾くような歩き方になってしまいます。両足にというより右足(手術側)にしっかり体重が乗せられるようになるには大分時間がかかりました。平行棒である程度歩ける様になると、二本の松葉杖そして一本の松葉杖歩行になり、最終的には一本杖で歩けるようになるまでリハが続きました。この間は、体重の乗せ方や足の出し方等の指導を受けました。『平行棒 わずか5メールに 息きれる 想像以上の 筋力低下』
入院した病院は、急性期リハだけで回復期リハを行っていません。急性期リハは、術後3週間行われ、それ以降は回復期リハ病棟のある病院に転院しなければいけません。現在の目的は『リハ』一択なので、それなら入院しないでも良い方法で行おうと、退院し「訪問リハ」で回復期リハを行うことにしました。医療保険では、3ヶ月間リハビリを受けら、5月いっぱい理学療法により専門的なリハを自宅で受けられます。これらは、主治医の『特別指示書』で可能になります。
ここからは、退院して自宅で生活しつつのリハとなります。最初の二週間は、集中訪問リハ期間で週5回の訪問リハで其れが過ぎると週2回になります。訪問リハの場所は、和室が良いと思って大きいサイズのフィットネスマット買って準備していました。しかし理学療法士は立ち座りがあるのでベッドで行いますと言うことで、フィットネスマットは無駄になってしまいました。リハは、関節の可動域を広げることや偏った筋肉の使い方で堅くなった筋肉をもぎほぐしバランスの取れた筋肉の使い方が出来るようにしてくれます。これにより、上手く筋肉を使うことが出来るように有り、足が上がるようになったりします。何より、リハ前とリハ後では歩行が格段に違います。ぎこちない歩きがスムーズに歩けるようになるのです。でも、リハが終わると知らず知らずに自分のクセに戻ってしまうのが「まだまだ」の要因です。
感覚的には、大腿四頭筋を中心とした筋肉が戻るに合わせて歩行も安定するように感じています。まだまだ感はありますが、これは筋肉の戻りに絶対時間が必要だと言うことのように思います。一流のアスリートなら別でしょうが、私のような後期高齢者には、時間を超えることは難しいように感じています。ても、理学療法士に施術していただく週2回(各1時間)だけではどうにもならないと思い、自主トレをコツコツやっています。1時間座位でいたら、席を立ち足踏みをして関節をほぐし、その後に「なんちゃってスクワット」を行い筋力を付けるまでは行きませんが刺激を与える程度の出来るのではないかと思いやっています。訪問リハのない日は、こんな自主トレを行っています。
これが生活です。リハ以外何もない毎日です。あえて考えないようにしているのかも知れません。とにかく術後3ヶ月を迎えることだけが今の目標です。5月末になれば外に出られるのかもしてないと願っています。元で時点では、この目標のまだ半分の期間しか経っていません。まだまだ先が長いです。得意の「コツコツ君」で而今を忘れずに過ごしていきます。
三年前の今日(4月18日)37日目は、巡拝する札所のない約30キロを瀬戸内海沿いに歩いていました。暖かい日差しの中、距離は長いのですが陽気に誘われ、のんびり歩いたような気もします。この三年後は、前述の通りです。四国八十八ヶ寺歩きお遍路を通し打ちしたことは、遠い昔のことになってしまうようです。一体、あの時どんな体力・精神力があったのだろうか。今、あの時の体力などを思うとき不思議でなりませんす。やはり、『やりたい』と思った時が旬なのかも知れません。



