終戦から77年(戦争と平和)

1945(昭和20)年8月10日に日本は米英中3国によるポツダム宣言受諾を申し入れ、15日無条件降伏し、第二次世界大戦が終結しました。1982(昭和57)年には、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定されています。この日8月15日は、昭和天皇が玉音放送を通じて国民に対して武器を置いて敵対行為を慎むように「休戦」を語りかけた日です。事実上の“日本が降伏した日”は、ポツダム宣言を受諾した8月14日となります。終戦から77年です。

実は、世界的には別の日が第二次世界大戦の「終戦の日」として定められています。アメリカでは、東京湾上に浮かんでいた戦艦ミズーリ号で、日本が降伏文書に調印した9月2日を太平洋戦争・第二次世界大戦の終結した日として「対日戦勝記念日」(Victory in over Japan Day)としています。ギリスは、ドイツ軍が降伏文書に調印した日、5月8日が記念日とされています。ロシアや中華人民共和国は、日本が降伏文書に調印した1945年9月2日の次の日に、戦争に勝ったことを祝った日が由来という9月3日が「抗日戦争勝利記念日」とされています。

第二次世界大戦とは、1939年から45年にかけて日独伊三国同盟を中心とする枢軸国と、英米及び中華民国、ソビエト連邦(当時)から成る連合国軍との間で行なわれた歴史的大戦です。ヴェルサイユ体制に対するドイツの不満が増強、関連して独伊を中心にファシズムが台頭し、さらにアメリカの孤立・不干渉を基本とするモンロー主義の変化、共産主義の脅威や世界恐慌等、複数の要因が重なったことを背景に、世界各所で戦闘状態となり、未曽有の死傷者を出しました。恐慌に見舞われた日本は、政治的、経済的危機に陥り、「持たざる国」の宿命を背負ってアジア諸国に侵出。1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃で日米開戦に至り、日本の戦果は始めの頃だけで、戦況はほどなく悪化しました。イタリア、ドイツに続き、1945年8月の広島と長崎原爆投下で壊滅的打撃を受けた日本が降伏し、大戦は終結を迎えました。(出典:テンミニッツTV)。

第二次世界大戦での死者は、連合国(アメリカ、中華民国、イギリス、ソ連、フランスなど26カ国)・枢軸国(ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟が中心)及び中立国の軍人・民間人の被害者数5000万人を超え、中でも民間人の犠牲者は3400万人に達したといわれています。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者になりました。日本の第二次世界大戦における人的損失は、軍人2,120千人、民間人500千人~1,000千人で、合わせて2,620千人~3,120千人です。当時の人口の3.37%~4.37%に達しています。第二次世界大戦は第一次世界大戦以上の総力戦となり、相手国の生産力や士気を奪う事が戦略上の重要事となった為であり、爆撃機による空襲などで多くの都市住民が犠牲となりました。また、原子爆弾に代表される兵器の進化と破壊力の増大も犠牲者数を増した要因である。さらに、ナチスによるユダヤ人虐殺なども、非戦闘員の大量被害者が出た理由です。

私は1950(昭和25)年生まれです。「進駐軍」(GHQの指揮下にある占領軍)と呼ばれる米軍が日本に上陸したのは1945(昭和20)年8月28日です。翌々日の年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ち、日本占領が開始されます。昭和天皇が日本の敗戦を告げた玉音放送から15日後のことでした。以降、約7年に渡り彼の占領政策が行われます。日本が独立したのは1952(昭和27)年4月28日。進駐軍が日本にいたのはおよそ6年8ヶ月となります。そして米軍の地上戦闘部隊の日本撤退が完了したのは1958年2月8日です。それ以外の米軍は現在も日本におります。

仙台市内にも「進駐軍」はいました。仙台市川内地区の旧陸軍第2師団司令部及び第2師団の各部隊などが,キャンプ・センダイと称し,1957(昭和32)年まで米軍キャンプとなっています(出典:国立国会図書館)。これによれば、私が小学校に上がる頃迄は宮城県に「進駐軍」はいました。ジープに乗った米国軍人を見たような微かな記憶が有ります。さすがに「Give me chocolate」と言って追いかけた記憶は有りません。

私の年齢は、団塊の世代(1947(昭和22)年~1949(昭和24)年に生まれた者)の次の年生まれなので、ほぼ団塊の世代です。そんな私でも「戦争」に関わる記憶は、この様な程度で。既に教科書の世界になっています。しかし、母(大正15年生まれ)は、関東にある軍需工場で兵器の生産をしていたと言います。

終戦から77年です。戦争や原爆を体験した方が非常に少なくなっています。8月15日「終戦の日」だけでも「戦争と平和」について考えてみることが必要だと思います。戦争は、殺人を合法化しています。それだけではなく、殺人を勧めている、それが戦争です。平和については、とてもわかりやすく説明している例があります。それは富谷ユネスコ協会(宮城県富谷市)の「平和」です。「富谷ユネスコ協会は、この「平和」を「だれもが安心して日々の暮らしを営めること」と受けとめ、その実現のために活動に取り組んでまいります。」と説明しています。富谷ユネスコ協会 – 富谷ユネスコ協会|Tomiya UNESCO Association (tomiya-unesco-association.org)平和は、富谷ユネスコ協会の定義によれば、とても身近で誰でもが取り組めることなのです。日々の暮らしの中に、意識して平和に通じる取組をしていきたいものです。

77年前の話というだけではなく、現在のこの瞬間でも、ミサイルが人を殺害し建物を破壊しています。こうしたロシアとウクライナの惨劇が毎日報道されています。このような殺人が合法的に行われている現状を対岸の火事と見過ごすのではなく、バンクシー(Banksy)の「Elephant in room」(部屋に像がいる)の意味する「問題があっても、誰もその問題について触れようとしない」であってはいけません。

8月15日、みなさんそれぞれの「戦争と平和」について考えてみませんか。それはキット、困ったときは「おたがいさま」や「おすそわけ」(お福分け)といった、私たちが持っている生活文化の再発見につながるように思います。そして、平和とは、豊かさとな何かを学び直す機会になると思います。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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