松山千春の詩に寄せて

アマチュア無線で北海道の方と交信している際に、若いときに松山千春の曲を地元北海道で聴きたくて、オホーツク海に行ったことなどをお話ししました。交信を終えてから、改めてその頃のことを思い出し「松山千春」が聴きたくなりました。20代から40代までは松山千春を聴き、40代半ばからは小田和正を聴くようになりました。

松山千春の空を突き抜けるような歌声と北海道の広々とした大地に根ざした歌詞がとても好きでした。『大空と大地中で』をとても広い草原で大音量で聴いたり、『オホーツクの海』の歌詞に出てくる、「オホーツク海の沈む夕日」を見てみたくて、宗谷岬から紋別方面に車(三菱ランサー)を走らせたりしました。確かにオホーツク海に夕日が沈み、オホーツク海の水温はとても冷たかった記憶があります。

20代半ばだったと思います。コンサートに行くというよりは、ラジオの深夜放送で松山千春(1955(昭和30)年12月生)に接していいたように思います。コンサートに行くようになったのは40代になってからのような気がします。あの頃は、往復はがきで申し込み、毎回のように「ハズレ」でした。松山千春は、1975(昭和50)年、「’75全国フォーク音楽祭」北海道大会への出場をきっかけに、1977(昭和52)年1月「旅立ち/初恋」でデビューしています。ほぼ同年代ということもあってか、彼の純粋で飾らない言葉で紡がれた歌詞や行為(東京で仕事をして終わると足寄に戻り、地元を離れない)にとても共感していました。

私より少し上の小田和正(1947〈昭和22〉年9月生)、そして下の松山千春((1955(昭和30)年12月生))。この二人に惹かれているのは、二人の間に生まれ生きてきたので、何処か二人に共通する感覚に共感しているのかも知れません。メッセージの方法は、曲調などは違うのかも知れませんが、人との向き合い方社会との向き合い方には低通するものがあるような気がします。

今、一人で北海道を車で走ったことを思い出し、40年過ぎた今もう一度廻ってみたいと思っています。その時は、一日中「松山千春」を聴き、明日に希望を募らせる若い頃の気持ちを振り返りたいと思います。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

松山千春の詩に寄せて” に対して3件のコメントがあります。

  1. 山ぼうし より:

    久しぶりに松山千春にどっぷり浸りました。
    小田さんの歌詞(日本語)はとてもきれいだなと思いますが、千春さんの歌詞もとてもきれいですね。
    ありがとうございました。

  2. LK より:

    もう十何年前だったでしょう。
    松山千春の「大空と広い大地の中で」は、男性が好きな歌の第一位と聞いたことがあります。本間先生もこの歌に魅了されたお一人だったのですね。
    この写真の頃の松山千春の歌が私も大好きです。当時は看護学生で寮生活を送っていましたが、音楽室のステレオでこのレコードをかけている先輩の後ろで、彼氏もいないのに勝手にキュンキュンしながら聴いていたことを懐かしく思います。

    そう言えば、松山千春が心臓か何かの病気で緊急入院したときに家族より誰よりも早く「大丈夫か!」とメールしたのは小田和正さんだったらしいですよ。その事を松山千春がとても嬉しそうにお話をしていました。

    1. LK より:

      無意識に小田和正さんにだけ「さん」をつけてしまいました。すみません、松山千春さん(^_^;)💦

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