原発事故、現在進行形の双葉町

東日本大震災・原子力災害『伝承館』が主催する「復興状況・まちの未来をみてもらう現地ツアー」に参加してきました(11月6日)。主たる被害が津波を原因としている宮城県・岩手県沿岸部被災地は、震災から10年が経ち先の読める状況になっています。一方、東京電力福島第一原子力発電所の事故による災害は、いまだに帰宅困難区域があるなど先の読めない、言わば「現在進行形」の状況下にあります。今回、東京電力福島第一原子力発電所が立地する福島県双葉町の現状を見ることができるというので参加しました。

双葉町コースは、①浪江町大平山霊園、②双葉駅前(双葉町に中心市街地)、③双葉厚生病院、④中間貯蔵施設を廻る約1時間のコースでした。その後に単独で「震災遺構浪江町請戸小学校」を見てきました。浪江町立大平山霊園は、沿岸から内陸に約1㎞程入った小高い丘に震災後に整備された共同墓地でした。ここには、海を見渡せる位置に、182名の浪江町民犠牲者のお名前が刻まれている記念碑が建立されています。

ここには、付近の住民のほかに約1㎞離れた位置にある浪江町立請戸小学校の児童及び教員が一時避難した場所でもあります。この請戸小学校に当時通っていた児童93名(うち1年生11名は帰宅していた)は、教職員の迅速な判断で奇跡的に全員が無事に避難できています。学校から現在霊園として整備された、当時は小高い丘にいったん避難し、その後に更に内陸に避難し国道6号線で大型トランクの運転手の機転で児童を荷台に載せてもらい、無事に役場まで行き着いたという奇跡のエピソードがあります。

この付近には、15.5mの津波が押し寄せたと言います。そうした状況下で、全員無事に避難できたのは、①地域住民の助言、②学校では生徒を家族に渡さず学校で最後まで保護した、③二日前の余震時に避難経路を教職員が実際に歩いて確認していた。この様なことがあったからだと説明が成されていました。

また、この場所はとても悲しい出来事のあった場所でもありました。この場所に辿り着いた人は助かり、辿り着けなかった人は犠牲になるという分かれ目の場所でもあり、当時必死の救助作業が続けられていたと言います。夜になり、二重災害の危険があるために、いったん救助作業を止めて翌朝に再開しようとしていたのですが、翌朝早くに原子力発電所の事故による全町民避難指示が出され、まだ助けられる人が残っている状況で、泣く泣くこの場を離れたと言います。

このようなことがあった場所ですが、お盆になると散りじりになっている旧町民がお墓参りに集まり、互いの安否を確認し合う場になっていると説明がありました。旧住民の交流の場がお墓か~・・・と現実の厳しさを感じました。せめて、旧市街地にそのような場所を設けてあげられないものなのだろうかととても残念な気持ちになりました。

東日本大震災・原子力災害伝承館
浪江町大平山霊園祈念碑
碑文

双葉駅は改築され整備されていました。元々は、この付近は双葉町のメインストリートで活気のある場所だったといいます。その場所は、津波の影響を受けていないので、建物がそのままの状態で朽ちている状況でした。津波で跡形もなく壊されていれば、あきらめも付くのでしょうが、自宅に入るのにも許可が必要になる立ち入りが制限され、ただただ朽ちていくのを見ていなければいけない町民の気持ちは察するに余りあります。駅舎及び線路沿いだけが除染され、脇道は立ち入が制限されている状況で「常磐線全線開通」と復興が進んでいるかのように報道アナウンスされています。でも現地は、人けのほとんどない町内の95%が帰宅困難区域に指定されてる生気を感じられない町なのです。私が現地で見た「復興状況・町の将来像」はこの様な状況でした。

まちなかは、乗用車の往来は少なく、ほとんどが大型ダンプトラックでした。帰宅困難区域なのに工事用車両で渋滞が生じるのだそうです。双葉町は、極めて限られた場所では時計の針が動き、多くの場所では3.11で止まっている。この様に、相反する時間が混在する町というのが今回原発事故被災地ツアーで感じた印象です。

私達は、この現状から目を離してはいけない、そしてこの現状下で必死に復興に取り組んでいる方々の存在を忘れてはいけない。また、自分の住む双葉町を賢明に盛り立てようとしている中学生や高校生を励まし支えなければいけない。そして、この様な現状を見て改めて自分の住む町を見たとき、地元のために何かを興そうと思ったこの気持ちを忘れないようにしたいです。

現代アートで双葉町を盛り上げようと誰も住まないビルに郷土を題材にした絵が描かれている
双葉町はだるまが有名

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

原発事故、現在進行形の双葉町” に対して14件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    スマイル様、ありがとうございます。
    私が福島に来たのは単に家庭の事情なのですが、今の仕事に就かなかったら、福島にいたとしても浜通りで起きたことには無関心極まりなかったかもしれません。でも世の中、自分が関心の無いことには無関心なのは、世の常なのかもしれないとも思っております。

    それが、本間先生にこのようなHPを開設していただいたお陰で、これまで考えてもみなかったことが気になったり立ち止まって考えてみたり、皆さんとこのようなやり取りができ、本当に有難いことです。

    瀬戸内寂聴さんが、「人生辛抱しなくてもいいんだよ。好きなことをして生きなさい」と言っておられました。でも、原発事故の被害に遭われた方の多くが、10年過ぎた今もさまざまな辛抱をしながら生活をなさっていることを忘れてはいけないなと思っております。

    スマイルさん、これからもどうかよろしくお願いいたします😃

  2. スマイル より:

    この記事に言葉を添えたいと思いコメント欄を見つめるものの、言葉がなかなか出てきません。あの震災の被害の中で、福島が抱えている苦しみや悲しみや困難の前に、語る言葉が見つかりません。
    それでもそこに向き合おうとなさっているハチドリさんや本間先生のその姿勢と言葉に、心揺さぶられています。きっと、頭で考えるより先に「見過ごせない」という衝動で行動していらっしゃるのでしょう。「頭でっかち」や「無関心」の対極にある方たちに、このホームページを通して触れ合うことができることを心からありがたく思います。
    今更ながら、私も他のみなさんもおっしゃっているように「知ろうとすること」そして「心を寄せること」を忘れずにいたいと思います。
    このコメント欄にみなさんが寄せている想いがさざ波となり、やがて大きな流れを生み、故郷を想う方たちが希望を持てるような道ができていきますように・・・私もその中の小さな波となれますように・・・

  3. ハチドリ より:

    鈴木郁子さん、チョッとだけお久しぶりです。
    ありがとうございます。
    私も知らないことがまだまだたくさんあるので、もっともっと知りたいと思います。
    これからもよろしくお願いいたします🎵

  4. ハチドリ より:

    鈴虫さん、ありがとうございます。
    とてもとても嬉しいです。
    私が働き始めた七年前の町は、誰もいない建物だけが残り、夜は街灯もなく真っ暗で本当に淋しい悲しい町でした。でもその後、たくさんの人たちの想いや力が集まり、まずはLAWSONができ、今ではコンビニは四つ、役場周辺にはまちなみマルシェが出来たり、イオンスーパーやお弁当屋さん、その他にも美味しいお食事を出してくれるお店もたくさんでき、賑わっています。そして採算が心配だったけど昨年の夏に道の駅なみえができ、1年間で収益が8億と聞きました。今年の2020東京オリンピックの聖火台で灯されたあの炎は浪江の水素工場で作られた水素が燃料です。メダル獲得者がもらったビクトリーブーケの中の黄緑色の花は浪江町で作られたトルコキキョウでした。でも、これら華やかなイメージは確かに町中の一部のことです。まだ一度も町に帰って来ていない人の中には、大きな誤解なのですが、広島や長崎の原爆投下の惨劇のイメージでいる方もおられます。ですから、一部のことでも、マイナスからスタートした町がこんなふうに再生されていく様子が報道されることはとてもありがたいです。
    しかし、帰還困難区域が広範囲で帰れない場所の方が多いのも事実ですし、お隣の双葉町、大熊町はこれからがマイナスをゼロまで戻す時間が始まります。

    鈴虫さんが書いてくださった「まだ故郷に戻れない方々も希望を消さずに注目しておられることでしょう。ぜひ、町民自身が主役の再生を叶えて頂きたいです。元々の文化を大切にして、避難者の胸中にある故郷の姿がまた見られる場所であって欲しいと思います」、そのままのお言葉、本当にそう思います。
    ありがとうございました。是非、一度遊びにおいでください‼️

    長文、すみませんでした。

    1. 鈴虫 より:

      有り難くて涙が出てしまいました😿

      道の駅なみえの駐車場で、ほのぼのとしたひつじの散歩を見たことがあります(^^)
      ひつじも地域の一員なのかも⁈

      是非また訪ねてみます。

  5. ハチドリ より:

    浪江町は平成29年3月31日に一部地域の避難指示が解除され、4年半が過ぎた今、1700人余りの町民が生活をしています。
    平成30年度から一般社団法人まちづくりなみえと言う団体が『町内コミュニティ再生支援』を始め、町民の皆さんの声をもとにクリーン作戦や花植え、防犯パトロールや防災の集いなどの活動、お墓参りの時期に再会できる休憩所の設置などさまざまな場作りを試みてきたようです。
    今尚、2万人の方々が町外で暮らされておりますが、地域の抱える課題解決に向けて、町民が自分たちの手で解決していくことで人と人とがつながり、住民自治の動きも芽生え始めているようです。

    1. 鈴虫 より:

      地域の課題を町民自身の手で解決していこうとする様子と、それを支える方々のご苦労に頭が下がります。
      まだ故郷に戻れない方々も希望を消さずに注目しておられることでしょう。ぜひ、町民自身が主役の再生を叶えて頂きたいです。
      元々の文化を大切にして、避難者の胸中にある故郷の姿がまた見られる場所であって欲しいと願います。

      報道によると、ごく限られた地域の話題が、いかにも地域全体の成功と誤解されがちです。でも、それはまだまだ試験的な試みであったり試行錯誤の最中であることを理解して見なければいけないですね。
      現地からの貴重な情報提供をありがとうございます。
      微力ながら応援し続けます!

    2. 鈴木郁子 より:

      ハチドリさん
      情報をありがとうございます。
      鈴虫さん
      全く同感です、私もまずは知ろうとすること心に留めたいと思います。

      1. 鈴虫 より:

        こうして皆さんと繋がっていくこと、とても嬉しいです。

        今日もいい一日過ごしましょう。

  6. H.Y より:

    曖昧な喪失と言う言葉を聞いたことがあります。自宅がそのまま残っていても、立ち入りの回数も制限があり、動物に荒らされた部屋の中では思い出のアルバムも雨漏りで黒ずんでいく・・。福島県で原発事故が起きたことはわかっていても、そこで起きていたことは全然わかっていませんでした。同じ日本の、隣の県の出来事なのに。
    ですので、こんなふうに教えていただけることがとてもありがたいです。元のお家に戻れる人は少ないかもしれません。前とは全然違う街並みになるかもしれません。それでもいつかは戻りたい、住んでみたいという人たちがきっといるはずです。私は今はそれを見守ることしか出来ませんが、福島で起きたことをもっともっと知りたいと思います。たくさんの人に知って欲しいと思います。

    1. S.M より:

      もっともっと知りたい、知って欲しいと私も思います。
      みんなが心を寄せることによって、大きな応援の力を生み出せるものと信じていましょう!

      1. H.Y より:

        ありがとうございます。
        心を寄せてみること、大切ですよね。

        1. S.M より:

          😊

  7. S.M より:

    『復興状況.まちの未来をみてもらう現地ツアー』
    語り部?ガイド付きで解説を聞きながらの現地体験はとても心に刺さることでしょう。浪江町大平山霊園の祈念碑に刻まれた碑文が涙で霞みそうです。

    私が双葉町に行った時、また何度でも来なくてはと、この福島に心が釘づけになってしまう不思議な力を感じました。
    それは福島県民一人ひとりの故郷への強い想いなのではないでしょうか。

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