河北新報記者との意見交換

8月25日に河北新報記者さんから電話があり、東日本大震災の対応諸施策をどの様に評価してるか考えを聞きたいとの申し出がありました。これまでなら、東北学院大学の研究室でお話しを伺う用にしていたのですが、今ではそれができないので、翌26日に自宅に来て頂きました。初めてお目にかかる記者さん二人でした。どの様な経緯で私の所に来たのかわかりませんが、事前に色々と調べて知っているようでした。そんな感じだったので、自己紹介などは行わず、早速本題に入っていきました。 

今回は、記事を書くための取材ではなく、記者さんが感じている問題意識や自分たちが気づいていない課題について第三者と意見交換しながら論点を深めていきたいというものでした。記者さん達は、よく勉強しており加えて様々な人の声を聴いており、鋭い課題意識を持っていました。「足で稼いでいる」そんな実感を持ちました。 

東日本大震災から10年が過ぎ、これまで行われて来た諸施策を振り返り、これからの備えに生かしたい。このような記者魂を感じ、私も助走無しで熱い意見交換になりました。

宮城県が行った東日本大震災復興に向けたお金の使い方や被災市町村への支援実態はどうだったのか等々、新聞記者らしい事実を丹念に拾いながら、それの意味やそれがもたらした結果の評価に、現場を知っている第三者(私)の意見を求められました。また、彼らの話題からは出なかった現場で起きた様々な事象や課題について、私の体験したことをお話しさせて頂きました。

南三陸町で行った「市民的専門性」に着目した被災者支援のことや他の沿岸部市町行った被災者支援の様子にある背景等々には、彼らの取材メモにはないことが多かったのか、多くの質問と何頁にもわたるメモをしていました。彼らの知的好奇心には驚かされます。 

彼が持っていた問題関心に対して私の考え述べる形で進めた意見交換は2時間も行われました。それこそ、息をつく暇もない感じの意見交換でした。加えて、私からは、喫緊の課題として感じている内容(添付資料)について私見を述べ意見交換をしました。この内容については、ほぼノーマークのテーマが多かったようで、私が配った項目だけを書いたぺーぱーにはびっしりメモを書き加えていました。

10時から始まった意見交換は、1時を過ぎる頃に一端終わりとし、また整理してから意見交換をすることになりました。記者さん達は、今回の意見交換を下にして、自分たちの問題意識を整理し、改めて記事としての取材を進めるというものでした。また、今回の意見交換で出て来た話を聴いて欲しい方々への取材を行い、記事として仕上げていくようです。

新聞記者と関わっていつも感じるのですが、彼はお手もよく勉強し現場に足を運び耳と目を傾け言葉にして私たちに問うています。ただ事実を伝えるだけではなく、その事実の持つ意味を私たちに問いかけている思います。そんな彼らに体験を通した私見を述べ、細やかながらお手伝いができたことを大変嬉しく思っています。

 

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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