孫と一緒に娘のお誕生日会

東北大学病院から電話が来ました。「生まれました、母子共に元気です」。1週間ほど入院していて、1,000ccもの出血をしての難産でした。仕事を定時で切り上げ病院に行きました。病棟の入り口に「面会時間は終わりました」との立て札があり、仕方なく家に帰ってきました。次の日、思いっきり叱られました。「子どもが生まれて見に来ない親が何処にいる!」と。私は、行ったのだが面会時間が終わり仕方なく帰ったのだと説明したのですが、「看護師に言えば入れてもらえるんだ、待っていたのに」と、怒鳴り散らされました。今でも、当時のことを言われます。

42年も前のことです。名前は「藍」(あい)、長女です。人様から呼ばれたときに「ちゃん」付けで呼ばれやすいような響きと「「青は藍(アイ)より出(イ)でて藍より青し」ということわざ(出藍の誉れ)から藍の字を選びました。私の父親感覚では、中学生で止まっているので、今でも「藍ちゃん」と呼んでしまいます。今日はそんな娘の誕生日です。

小学校の時に、鼓笛隊に所属したことやピアノを習っていたことから、音楽をやりたいと中学校から高校までを宮城学園に通い、大学は東京の音楽大学に進学し、チューバを専攻しました。何を考えていたのか今で言う就活は行わないままに仙台に返り、心理学を勉強するために、東北福祉大学大学院総合福祉学研究科福祉心理学専攻に行っています。修論は「痒みにおよぼす音楽のディストラクション効果」です。家が1軒建てられるくらいの教育投資をしたのですが、ほとんど生かされることのないまま現在に至っています。そうはいっても可愛くて仕方ない親ばかな私です。

そんな娘が、今では親になり小学校一年生になる孫を私たちに見せてくれます。地続きの隣に家を建て、孫は道路に出ることなく我が家に遊びに来ます。孫が何か欲しいものがあると「Gマちゃん」(grandmother:祖母)に言いなさい、と小声で言っています。三文安の孫にしている私たちです。

季節の食べ物と言うことで、亘理の「はらこ飯」をお取り寄せして一緒に食べることを持ってお誕生日のお祝いにしようと今日を迎えました。東京の息子にも季節を味わってもらいたくて送っています。娘と孫を囲んでみんなで季節の味を楽しむ。なんて幸せなんだろうと思います。

藍が小さいころ、児童館に遊びに行ってた帰り道、道ばたの花を見つけては立ち止まり、なかなか進まない。青空がしだいに赤みを帯びてきて、人影も手足が長くなってきてようやく歩き始める。最後には、背負って家に帰るというお散歩です。こんな子どもの様子を見て「まるでテレビに出てくるホームドラマだ!」と感じ、なんて幸せなんだろうと思ったものです。そして同時に、この幸せを自分だけで独り占めをしては申し訳ない、こうありたくても様々な理由で出来ない人はいっぱいいる。そうした人達にも「この子がいて幸せだ」と思えるような社会になるように、何らかの手伝いをしなければならない。そう思ったのです。私がボランティアという言葉を意識したのはこうしたことが切っ掛けです。

ボランティアをすると行っても特段の能力も無い。私流のボランティアの仕方を模索していたときに、東北学院大学で社会人を対象にした大学院が出来たという話を聴き、大学院で勉強をしてその知識を持って社会貢献が出来るのではないかと思ったのです。経験だけでものを言いたくないという仕事を通じての動機と一緒になって泉キャンパスに通うようになりました。

こんなことを思い出してみると、今の私の姿は、娘の誕生がとても大きな影響を与えたのだと思えます。娘との関わりが社会学を勉強する機会や社会貢献への道を拓き、多くの人との出会いを導いてくれたと思います。こう考えたら、家一軒建つくらいの投資をしたことも、まあ仕方ないか、と思ってしまいます。甘いな~俺は。でも男親はこんなものでしょう。

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