時短料理と真逆の生活

左近、時短調理なるものが特集で組まれたりしています。でも、一方では、地元の食材を丁寧に使って食材本来持っている味を出したり季節感を出したりしながら、食事や生活環境に潤いを持たせて楽しんでいる人もいます。

庭の花をアンティークの花瓶に生けたり、身近な所にあるものに自分なりの感性を加えて楽しいでいる様子は、聞いているだけで見ているだけで、こちらの気持ちが癒やされ穏やかになります。こうした生活の中には、お裾分けがあったり、身近にあるものに手を加える工夫があったりと、他者との関わりや知恵の豊かさを感じることができます。

私たちは、時間に追われる生活する中で、目先の手軽さや便利さに惑わされ、物事を簡略化して本来の意味をないがしろにしていることが多々あります。

東日本大震災の被災地で聞き書きをしたときのことです。これまで、面倒と思いながらも行って来た季節季節の行事が、震災という言い訳を使って、止めてしまったり簡素化したりしているというのです。そこことで浮いた時間を何に使っているかというと特別なことはなく、ただ漫然と過ごす時間が増えただけのようです。

一方、こうした手のかかる行事を行わなくなったことで、季節感がなくなり、その時期が近くづくとワクワクする気持ちが失せてしまったといいます。また、子どもたちに調理のやり方を伝える機会もなくなり、伝統的な作法や技術が伝わらないともいいます。せっかくの生活文化が、時短や簡素化で消えそうになっているのです。とてももったいない、残念な現実です。

そのような状況は、被災地に限ったことではありません。多くの家庭の中に見え隠れしている現実があるからこそ、冒頭にあるような生活の仕方に憧れます。生活の知恵が盛り込まれた手作りの食事、花瓶に盛られた花を見ながら、漆器のお椀で食事をいただく。食事は文化です。質素な中にもそんな生活文化がしみこんだ生活を営むことが私の希望です。私も、食べるだけではなく、そのようなことができるようになりたいものです。

今日は、3月迄お世話になった課長さんがご栄転で転勤するというので、ご挨拶に行っています。この様なことをしながら、時の経つ日々の流れを感じている今日この頃です。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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