星野道夫氏の写真展-悠久の時を旅する

星野道夫氏(1952年~1996年)の写真展を仙台市文学館で観てきました。新聞で何度か取り上げられており、写真もさることながら添えられている言葉に関心を持ちました。また、同年代の方であるということにも関心を持ちました。44歳で急逝し、短い人生を駆け抜けた人の生き様を知りたかったというのもあります。

星野道夫は学生の頃から北方の自然に憧れを抱いていた。19歳のある日、古書店で出会った海外の写真集「ALASKA(ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ刊)」に掲載されたエスキモーの村「シシュマレフ」の航空写真に強く魅せられ、住所も分からない村の村長宛に手紙を書く。半年後に届いた返事をきっかけにアラスカに渡り、念願の「シシュマレフ村」でひと夏を過ごす。この村での経験が後に写真家の道を選び、アラスカへ渡ることにつながっています。

以降、極北の自然とそこに生きる野生動物や人々の暮らしを取材しながら、時代とともに変わりゆくアラスカを写真と文章で記録しています。作品は「アニマ」「週刊朝日」「マザーネイチャーズ」「シンラ」「家庭画報」「たくさんのふしぎ」などの多くの国内誌や、「National Geographic」「Audubon」などの海外誌にも発表されました。急逝後も、著作の一部は英語のほか、韓国語、中国語にも翻訳され、海外でも広く読まれている。国内でも小・中・高等学校の教科書に作品が掲載され、次世代へと読み継がれています(仙台市文学館hp引用)。

亡くなってからだいぶ時が経っていたのですが、恥ずかしながら、彼の存在や写真集その他の書籍については、これまで全く知りませんでした。今回、圧倒的な迫力と限りない慈しみと優しさの滲み出る写真に出会ってきました。同年代の方の感性を知り、自分自身の感性の貧弱さを嫌というほど感じさせられました。

写真展で最も印象に残ったのは、静まりかえった朝霧に覆われた水面から尾びれだけを出したザトウクジラの呼吸音が聞こえるような写真の横に添えられた言葉です。

『こんな風景の中で風に吹かれていると、人の一生には自然というもう一つの現実があるということを改めて教えてくれる。広がりにうちのめされ、自分の一生の短さを知り、なぜかわけの分からぬ元気が湧いてくる。それは、とにかくやってみようという、説明のつかない力のようなものだ』

私は、この春四月から、市井の人として日々淡々と暮らしています。手帳が真っ白というこれまで経験したことのない世界に戸惑いながら、どの様に一日を過ごし、時を積み重ねていったら良いのか分からないまま、時が過ぎています。家事への参加を「修行」として関わり、Home Pageを立ち上げ、書くことからできるだけ離れないようにする等が精一杯の毎日です。何一つ生産性のない、社会貢献とはほど遠い日常です。

こんな私に、「なぜかわけの分からぬ元気が湧いてくる。それは、とにかくやってみようという、説明のつかない力のようなものだ」と、感じる時が来るのだろうか。それとも、待っているのではなく、取りに行かなければ得られないのだろうか。

書斎に籠もる時間が多くなった今日この頃、星野道夫氏の写真展-悠久の時を旅する-から何感じとり、それをどの様に生かすのか、じっくりと自分と向き合いたいものです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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