四国八十八ヶ寺歩きお遍路巡礼紀行(4月18日37日目)

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行程等基本データ

□月日:令和5年4月18日(37日目)

□天気:午前☀/午後☀

□歩いた時間 9時間03分/日

(6時15分宿発~15時18分着)

□巡拝寺院 寺巡拝

(番札所〜番札所)

□歩いた距離:30.5㎞ 

□平均速度3.4㎞/h

□高低差:86m

     2m↔808m

□行程の特徴 一日中ほぼ平坦な一本道を歩きました。青木地蔵を通る遍路道の所だけ勾配がキツかったのですが、その場所を除くと、静かな波のない海沿いや郊外の住宅街を歩く一日でした。

  

□本日の行程地形(時間軸×標高)

長かったけどストレスの無い行程

心身の状態・特記事項(感想)

□身体的状態

 ○  ○  ◇  ○  ○

一日中ひたすら歩くので、足首への負担はそれほど多くはありませんでした。ただ、長距離なので、かかとが少々痛いです。

精神的状態

 ○  ○  ○  ○  ◇ 

一本道だったので、マーク探しのストレスはほぼありませんでした。更に、特別なおせったいを頂き、とても満足感の高い日となりました。

□受けた「おせったい」 

涙 青木地蔵堂を通る遍路道を越えて住宅街をあるいていたら、80歳は超えていそうな女性がやって来て「やっと会えた」と言いながら私の手を握り、金剛杖(お大師様の代り)の上部を撫でるかのように擦るのです。

私は納め札を渡し、金剛杖を握る手を両手で包むように握り、南無大師遍照金剛をとなえると、涙を流しながら「有り難い、有り難い」と言うのです。

図らずも南無大師遍照金剛が涙声になってしまいました。先を急ぐのでと、その場を辞すると、何度も頭を下げいつまでも見送ってくれました。

塩飴一袋(20個入り)遍路道と交差する一般道に差しかかった時、交差点で車が止まり「お遍路さんちょっと待って」と後部座席から取り出して渡してくれました。

交差点なので、私も気がかりで、納め札を渡すだけで、先を急いて下さいと促しました。その方は「お気をつけて〜!」と窓越しに言いながら車を走らせて行きました。

□特記事項(感想)お遍路がどのように生活の中に溶け込んでいるのかの一面を垣間見た一日でした。

お遍路さんやおせったいは、私がこれまで考えていたよりも、はるかに深いことの様に感じて来ました。お遍路さんに自分の想いを託したり、おせったいも、供物的意味合いがあるのではないかと思ったりしています。

そして、このお遍路文化を維持することに、微々たるものですが、私も関わっているといえるかしれないと思ったりしています。「なんちゃってお遍路」では申し訳ないと思わせられら今日でした。 

 

□明日の行程の留意点 明日も、平坦な道を札所を巡拝しながら歩き、一日の終わりに、少々キツイ255mの札所を巡拝して、そこの宿坊に泊まります。20kmの距離なので、最後の巡拝まで、体力を残して前半を進めたいと思います。

最後がキツイ

印象に残る写真

宿から3時間歩いた現在地
波の音の無い海
青木地蔵峠
遍照院
由来

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

四国八十八ヶ寺歩きお遍路巡礼紀行(4月18日37日目)” に対して4件のコメントがあります。

  1. いくこ より:

    先生、おはようございます。
    ページを開いて、お天気マークを見てホッ、時速を見ておお~、精神状態を見て「おおっ!」。
    おせったいの所でじ~んうるうるです。
    日々少なくないお遍路姿の人々を目にしてきた地域の人々、中でもお年寄りには先生のその佇まいから、真摯さや心根を感じて「やっと会えた」とおっしゃったのではと思いました。
    心根が伝わったと感じ、胸の奥があたたかくなりました。

  2. スマイル より:

    お遍路では「同行二人」という言葉が使われ「常にお大師様と一緒」という意味があり、金剛杖こそお大師様の化身であるとのこと。「やっと会えた」と言いながら金剛杖をさすっていらしたというその女性に、どんな想いがあったのでしょうか。よほどの強い想いがおありになったと感じます。どのお遍路さんでも良かったわけではなかったと思います。探していたお遍路さんの姿と金剛杖だったのではないでしょうか・・・その巡り合わせの奇跡と神秘に心打たれます。
    本間先生の精神状態が満点の緑のにっこりマークであること、きっとその巡り合わせに言葉にはできない大切なことを感じ、この旅に出た深い意味を感じ取ったからなのではないでしょうか。
    ずっとご加護の中にあったお遍路の旅路の中でも(だからこその必然)、特筆すべき出来事となるだろうと思いながら読ませていただきました。

  3. ハチドリ より:

    「やっと会えた」と言いながら先生の手を握り、金剛杖の上部を撫でるかのように擦ったというその女性。
    「やっと会えた」と言う言葉には、そのおばあさんのどんな想いがあったのだろうと私も想いを託してみました。この数年はコロナ禍もあり、お遍路さんを見かけても遠くから拝むだけしかできなかったことでしょう。毎日お遍路さんに会えるのを楽しみに道路を眺めていて、昨日はその時間にやっと先生に会えたのですね。どんなに嬉しかったことか!感動です。本当に良かったです。
    交差点で車を止め、塩飴をくださったかたもそう、先生が仰るとおり、お遍路さんに自分の想いを託したり、おせったいも供物的意味合いがあるのかもしれませんね。

    最後の写真の遍照院の馬のお顔がこれまでの雰囲気と違いますね。何故に馬なのでしょうか。

    今日も平坦な行程のようですが、最後の少々キツい札所めざして頑張ってください。(これまで頑張ってとあまり言えなかったのですが、今日はちょっと言えます🤗)

  4. 鈴虫 より:

    昨日はとても貴重なおせったいを受けられましたね。
    きっとお遍路も後半に入った今だからこそ、真新しい金剛杖ではない、汗が染みつき杖先に花の咲いた様子だからこそ、そこにお大師様を感じて有難いと仰ったのだと思います。
    それを素直に受け入れて「素晴らしいおせったい」と感じることが出来たことも素晴らしいです。

    昨日ほど『同行二人』を噛み締めた時はなかったのではありませんか。
    おめでとうございました。

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