南三陸町津波被災者生活支援センター開設から15年

今日は、本来なら講座名『保健体育』なのですが、私の勝手で申し訳ないのですが。南三陸町の被災者事業を開始した日(2011年7月19日)から16年経過した思いで深い時なので、それについて少しだけ取り上げさせていただきます。

2011(平成23)年3月11日午後2時46分頃、東北地方太平洋沿岸の市町村を襲ったM

9.0(日本国内観測史上最大)・震度7(宮城県栗原市)の東北地方太平洋沖地震は、地震のみならず巨大津波を引き起こし、更には福島県にある東京電力福島第一原子力発電所事故の引き金となり国際原子力事業評価尺度で最悪のレベル7という歴史上最大級の深刻な原子力事故を引き起こし多大な被害をもたらしました。後に、災害の規模の甚大さにより『東日本大震災』と表現するようになっています。

東日本大震災では、多くの犠牲者を出し、膨大な資源を失いました。更に住宅を失った被災者も多く、その方々に対して過去最大の約5万3,000戸の仮設住宅が建設されました。仮設住宅の整備は用地不足などの理由により、必要な建設戸数が完了するまで約6ヶ月を要しています。また、民間賃貸住宅を自治体が借り上げて被災者に提供する「みなし仮設住宅(賃貸型応急住宅)」を本格的に導入されています。最終的に、建設型(プレハブ等)を上回る約6万8,000戸がこの「みなし仮設」として供給されました。このことにより、被災者支援は、従来経験したことのない広範囲の支援活動が求められました。

「みなし仮設住宅(賃貸型応急住宅)」の整備とともに、恒久的な住宅の確保が進められ、被災3県で約2万6,000戸以上の災害公営住宅(復興公営住宅)が整備されました。宮城県は。被災3県の中でも家屋の全壊・半壊が突出しているため15,823戸もの災害公営住宅が整備されました。

南三陸町では、4月29日に第一期の応急仮設住宅が入居すると聞きつけ、4月に入って早々に阪神淡路大震災時に発生した応急仮設住宅及び災害公営住宅での『孤独死』問題を上司に説明し、被災者支援センター設置を促しました。

当時は、内閣府職員と災害支援の経験豊富なNPO職員が被災地を周り、被災者支援センターの設置を促していました。その内容は、支援センターに専門職を配置し、そこで被災者の相談支援に応じようとするものでした。私は、この話を町の職員経由で聞き、この方法で被災者は救えないと思い、アウトリーチ型(被災者支援の職員が被災者の居住する住宅を訪問する)の被災者支援センターを提案しました。

宮城県内で一番早く被災者生活支援センターを開設したのは岩沼市です。7月1日に海外協力隊のOB『Joka』が立ち上げて行っています。当時は、岩沼市からの委託事業ではなく自主的な活動として1から2名を配置して行われていました。これに対して、南三陸町は7月19日に社協に『南三陸町津波被災者生活支援センター』事業を委託しています。将来の指導的役割管理的役割を担って頂く職員として、先行で20人程度を採用し8月には100人体制で支援活動が展開されています。

4月早々に提案した被災者支援事業は、議会の承認や担い手の募集を経て7月19日に第一期生が辞令を受け支援事業が始まっています。この一期生の多くは、町内及び登米市に設置した被災者支援サテライトセンターの運営を担う『主任生活支援員』となり、事務担当職員は1億円にもある事業費を任されることになりました。

設置までの概要はこのくらいにして、毎年7月19日には、南三陸町を訪れ何するでもなく、町内の思いで深い場所を回りながら、当時のことや南三陸町を救った『奇跡のおばちゃん』たちを思い出していました。今日も、同じように町内を廻り、当時と今を比較しながら、復興の様子をみてきました。南三陸町社協では、ほとんど全てを地元の方々で被災者支援を行っています。この為、被災者支援がある程度の段階まで来て地域福祉に移行する場合においても、被災者支援で培った経験を地域福祉に重ねることができます。このことは南三陸町の住民参加の復興に非常に大きな力となっています。

さんさん商店街は町外者によって賑わっていました。即ち『外貨』をいっぱい落としてくれたと思います。私も、物珍しさで『タコバーガー』なるものを食べてきました。これは、イケます。お勧めです。商店街のまとめ役である及善さんともお話しをしてきましたが、多くの皆さん方に来てもらい有り難いと語っていました。

町から『色が消えた被災地』をみて過ごした私にとっても嬉しい賑わいです。私が居た頃は、土色に覆われていた場所が気温の情報とともに緑一色になり、そして茶色になり白くなる。これの繰り返しでした。今は、少しずつ色を取り戻し、ダンプや重機の黒煙を吐きながら地響きのような音から、様々な音楽を交えた音も復活してきました。災害公営住宅は、静まり帰っていますが、その内に子どもたちの声が響き渡ることでしょう。60歳だった私はいつしか76歳になってしまいました。私の衰えと反比例して元気で活気のある南三陸町になってもらいたいです。

下記、小さな社協のこだわりフォーラム冒頭で、南三陸町被災者支援の基本設計の意図などを語っています。是非、みて頂けると幸です。南三陸町被災者支援の基本姿勢が読み取れます。また、左のファイルは、復興庁の補助で作成した後世に伝えるべき内容の社協版としてつくられたものです。こちらもお呼び頂けるととても嬉しいです。

      2024/12/05 『小さな社協のこだわりフォーラム』(歩み編)

当初は仮設庁舎2階保健福祉課で寝泊まり
二次避難所訪問聞き取り
新任職員研修

東日本大震災から約2年、被災者支援センターとしても約1年半経過し、一端これまでの支援のあり方を振り返り、これからの支援のあり方を話し合い、その結果を報告し合う機会を設けました。以下は、その話し合い結果の報告の様子です。当時の状況が報告され、興味深い内容になっています。再生時間が長いので適当な時間で切れ挙げて頂いて構いません。編集していないので、少々まとまりのない組み合わせになっているかもしれません。生のままなので、それもあると思って観て下さい。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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