被災地での母子保健業務請負型支援(富谷町・大和町保健師の活躍)

甚大な被害を受けた南三陸町には、県内外の県・市町村から専門職なども派遣され、様々な支援活動が展開されました。私が関わった保健福祉部門での専門職というと「保健師」がよく挙げられます。今回は、これまでもお付き合いが有り知っていた保健師が南三陸町支援に関わって頂いたので、その事について書いて見ます。

市町村では、成人保健、母子保健、歯科検診など様々な保健診査(健診)が行われています。南三陸町においても、毎年、計画的に健診が行われていましたが、この震災で健診を行う事が難しい状況になってしまいました。成人保健などは、実施時期を後ろに回すことが出来るのですが、子どもの発達にあわせて行う母子保健は、1歳6ヶ月健診や3歳児健診など、その時期を遅らせることにできない健診です。

この様な状況にあるとき、たまたま富谷町と大和町の保健師が、南三陸町の保健部門の現状把握に来てくれていました。この方達は、町から派遣されたと言うのではなく、南三陸町の保健師と一緒に学んだという学友の縁で、心配になり近隣の仲間を誘って来てくれたといいます。

この時期は、多くの保健師が南三陸町に入り、避難所で過ごす方々の健康チェックや感染症対策(ノロウイルス等)に、入れ替わり立ち替わりながら従事していました。そうした中で健診も行わなければ行けなかったです。南三陸町の保健師は、小規模基礎自治体なので、そもそも人数がそう多くはいません。人手は幾らあっても足りないという状況に加え、応援の保健師は、1週間単位くらいで変わります。その為、その都度手順等の説明を毎回繰り返さなければいけない状況にありました。

この様な状況を見て、この様なやり方を繰り返していては、母子保健の再開は難しいと思いました。そこで、たまたま来ていた富谷町と南三陸町の保健師を呼んで提案をしました。健診の中で時期をずらせないのは母子保健。そこで、まず始めに母子保健を優先して再開することを提案しました。そしてその方法は、①母子保健の一切を富谷町・大和町合同チームに任せる。②富谷町・大和町合同チームは、派遣職員が変わっても継続して母子保健に従事する③引継ぎなどは、富谷町・大和町合同チームで行い、業務の停滞がないように努める。このような原則で進めてはどうかと提案しました。

母子保健は、当初県の事業として行われていました。その後、母子保健法の改正により、1997(平成9)年4月から住民に身近な市町村において健康診査や訪問指導が行えるよう主たる実施主体を市町村に移譲されました。私は、宮城県庁健康対策課に在籍しているときに、担当班長としてこの移譲業務を進めています。その後、母子保健は、市町村の業務として定着しており、保健師の最も得意とする業務の一つになっていました。また、母子保健市町村移譲に際して、実施する市町村間で健診内容等に差が出ないように標準的な健診システムを提供したりしていました。この為、母子保健業務は、市町村が変わっても、業務の進め方に大きな差は無かったのです。この様な背景があったので、私は、上記の提案が出来たのです。

私的に南三陸町に来ていた富谷町・大和町の保健師は、この提案に賛同しつつも、公的派遣にならないと継続的な支援は出来ないので、持ち帰り上司に相談することになりました。持ち帰った顔見知りの保健師は、どの様に報告したのか聞きませんでしたが、時間を置くことなく長期派遣を決定し、南三陸町の母子保健を一手に引き受け、早々に母子保健を再開させたのです。傍目に見ていても素晴らしい活躍でした。南三陸町の現場は、十分な設備や健診環境が整っているわけではないので、南三陸町派遣チームと富谷町・大和町の保健福祉課とで連絡を取り合いながら、現場の不足分は富谷町・大和町で補い合いながら着実に事業を進めていました。

南三陸町保健福祉課では、あたかも職員が一時的に増えたかのように、富谷町・大和町合同チームに、健診の通知から始まり一切の母子保健業務を任せていました。とても心強かったと思います。お子さんを持つお母さん達は、混沌としている状況下にあって、子ども達の健康が何よりの気がかりです。そうした中で、真っ先に母子保健が再開したのです。本当に心強かったと思います。

この様な「個別業務請負型支援」は、地元職員の負担軽減を図ることが出来るという意味でも大きな成果を上げたと思います。これから災害は、大規模化、長期化、広域化します。そのような中にあって、様々な支援の方法も、変えていく必要があるように思います。そうした時、このような「個別業務請負型支援」も検討に値するのではないかと考えています。

南三陸町で母子保険業務(2011-05-18)

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

被災地での母子保健業務請負型支援(富谷町・大和町保健師の活躍)” に対して2件のコメントがあります。

  1. スマイル より:

    私も乳幼児健診のお手伝いをしたことがあり、記事にあるように「子どもの発達にあわせて行う母子保健は、1歳6ヶ月健診や3歳児健診など、その時期を遅らせることにできない健診です」ということがよくわかります。何かの事情でひとつでも先送りになってしまうと人数的に大変なことに。子どもはじっと待っていることができないので、保護者の方の心理的負担も、その負担を軽くしながら業務をこなそうとする職員の苦慮も増大します。ましてや被災地で、ただでさえストレスを抱えているであろう親子のことを考えると胸が苦しくなります。
    保健師さんたちは、その苦労を誰よりも知っていらっしゃる。派遣としてでなく「仲間を気遣って」駆けつけてくれたその気持ちのありがたさ、素晴らしさ。許可を出してくださった上司の方達のありがたさ。これ以上ない的確な提案をしてくださった本間先生の素晴らしさ。先生のご経験のすべてが生かされたのですね。どれほどの人たちが救われたでしょうか。
    ハチドリさんもおっしゃっているように、ぜひこのことを記録にとどめ、この先にも生かしていただきたいと切に願います。
    毎週月曜日にここに書いてくださっているいろいろな記録や記憶が、いつか一冊の本になったらいいな、と思います。

  2. ハチドリ より:

    『個別業務請負型支援』、すごい、素晴らしいですね。
    綿密な打ち合わせなど無くても、お互いの専門性に信頼があり、すべてお任せすることができたのでしょう。すぐに許可を出した富谷町、大和町の上司も素晴らしい!
    乳幼児健診一つとっても、対象者の選定、通知出し、健診会場の準備、健診の実際、その後のフォロー,次のチームへの引継ぎなど、さまざまなことがあると思います。これらをすべて引き受けてもらえたなら、地元職員の負担軽減を図ることはもちろんですが、住民の皆さんの安心に繋がっていくことでしょう。
    「このような応援の仕方もある」ということを県は記録にとどめ、もしもの時に先導に立ってもらえたならと切に願います。

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