震災後の課題 住民目線で!

見覚えのある方々が、今朝の河北新聞(10月14日)に掲載されていました。南三陸町社協ホットバンクに登録しているボランティアさんです。南三陸町社協は、震災後の早い段階で被災者支援センターを立ち上げ、多くの住民が被災者支援の担い手にして、最も身近な支援者として活躍しました。 

震災の混乱期から復興への努力を重ね、次第に落ち着きを取り戻しつつある過程で、震災時の支え合い活動で得た知見(学んだこと)を平時の生活にも生かそうと、2015(平成27)年4月に被災者支援センターの中心的役割を担った生活支援員などが中心となって、町民ボランティア制度「ホットバンク」を設置しました。

震災から3年が過ぎた、まだまだ仮設住宅が建ち並ぶ状況下にあって、次の段階での住民相互の「お互い様」の醸成を意図して始めています。このことは、被災者支援から地域福祉への移行を早い段階から目指していたと言うことです。 

ホットバンク制度の切っ掛けになったのは、生活支援員の中でも特にご高齢の方がその役割を担っていた「滞在型支援員」の方々です。滞在型支援員は、自らも仮設住宅で暮らしている平均74歳の高齢者です。この方々が、自分の暮らす仮設住宅団地の見守りが必要な方への声がけ・安否確認を担ったのです。

仮設住宅が沢山建てられた当時、元気だよって言うサインとして「黄色い旗」を掲げてはどうか、何かあったら「赤いランプを点灯させる」のどうか等々が役場から提案されてきました。当時、南三陸町で福祉アドバイザーをしていた私は、この提案を全てお断りし、サイン(旗や赤色灯等)では無く、近隣の方々の声がけを下にし、将来の住民相互の支え合いを射程にした「滞在型支援員制度」を提案しました。

この滞在型支援員は、その役割を終えた後にも、「何らかの役に立ちたい」という申し出が多く寄せてくれました。滞在型支援員として得た経験で、人様の役に立ちたいと言ってきました。こうした住民の近隣の困っている人への想いや被災者支援その先の平時移行の有り様を考えていた社協の手で、「ホットバンク」が練り上げられたのです。それが、今に続き、更なる発展が遂げられているとのこと、とても嬉しい記事でした。

こうした住民のお互い様を生かした「地域共生社会」の構築が今求められています。これが、ボランティアという形を取らなくとも成り立つ社会が求められます。この様なときに思い出すのが、富谷市成田地区を中心に活動している『Naritaマルシェ』です。

この団体は、NPOともボランティア団体とも名のらず、地域の方々が地元町内会と連携しながら、子どもたちの居場所づくり等を行っています。この団体は、震災の翌年に活動を開始しています。この団体の特徴は、自ら楽しみながら子どもたちの成長を見守り支えているところにあります。

中心的な事業は、「まかないつき寺子屋」や使わなくなった制服などを必要な人にお渡しする「おさがり会」等があります。2年ほど前から行われるようになった、「おむすびの会」等は、多くの小さいお子さんが集まり、未来が明るくなるような集いです。

現在、コロナ禍にあって出来ることを模索し、10月23日(土)には、「地域の居場所づくり」(代表は縁側と言っています)として、住んでいる方たちの「ちょっとした非日常」「温かな居場所」を提供できたらと願って「マルシェかふぇ」が開催されます。

こうした地域住民が、よりよい、より住みやすい地域づくりを楽しみながら行っていることは、とても素晴らしいことだと思っています。何かの機会にHP Naritaマルシェを検索し、のぞいてみては如何でしょうか、私の“押し”です。Naritaマルシェ代表が活動の紹介だけではなく、ご本人の綴る言霊に接することが出来ます。(https://naritamarchaiswebsite.tumblr.com/)

いつも楽しそうなNaritaマルシェメンバー

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

震災後の課題 住民目線で!” に対して2件のコメントがあります。

  1. 私たちNaritaマルシェのご紹介をありがとうございます。

    娘たちが小さかった頃、怪我をした時に近所の方が私より先に手当をしてくださっていたこと、帰りがちょっと遅くなり昼を過ぎてしまった時、近所の方がお昼を食べさせてくれていたこと、まだ低学年だった娘が犬の散歩をしたまま1時間たっても帰ってこなかった時に、近所の方達と(その犬たちが)捜索隊(大袈裟ですが)を出してくださったこと・・・今思い出しても涙がこぼれるほどありがたい数々の温かな心と手が周りにありました。私はそのありがたさを一生忘れないと思います。

    そして今、このNaritaマルシェがその温かな「心」や「手」になれたらと願っています。近所の方達は「NPO」でも「ボランティア団体」でもありませんでした。ただ「互いを気遣っているご近所さん」でした。だから、私たちもそうでありたいと願っています。

    ご紹介のあった河北新報の記事を目にしていました。本間先生のコメントが目に留まり、あらためて南三陸に素晴らしい土台を築かれたのだと心打たれていました。

    「旗や赤色灯ではなく、互いの声がけを」という想いに心震えます。まさに、そういうことが地域社会には大切だと。

    先生のホームページを読まれる方たちが増え、ここに書かれてあることの大切さをあらためて感じ、自分にできる一歩を踏み出す方たちが増えることを心からお祈りしています。

    いつも心にかけていただき、ありがとうございます。

  2. S.M より:

    温かい見守りのある地域なら、この先の超高齢化社会でも安心して暮らせると思います。住民同士だからこそ、痒いところに手が届く細やかな気づきが有るのではないでしょうか。
    点が線になり線から面に拡がるように、私自身も心掛けて近所づきあいから見直していきます。

    素敵な地域のご紹介、ありがとうございます。

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