おもちゃ屋さんの発案か?「お盆玉」

隣に住む孫が、習い始めのひらがなとカタカナで、なにやら書いた小さな紙を持ってきました。そこには「おぼんだまおねがいします ウルトラマントリガースカイタイプ」と書いてありました。母親(娘)との共同作業の匂いがします。何処で売っているのかわからないので母親(娘)に聞くと、店の場所や陳列棚の位置まで丁寧に教えてくれた。これは下見済みだな! 

孫には大甘の私、早い方が良いとばかり、富谷市にあるおもちゃの店「トイザらス 仙台泉大沢店」へ財布持ちを含めた三人で向かいました。店に着くと、孫は、慣れた感じで目的のウルトラマンが並んでいる陳列棚まで直行で案内してくれました。そこには、いつも遊んでいる怪獣や何種類ものウルトラマンが並んでいます。私には、何が何だかさっぱりわかりません。孫からしたらウルトラマンだけを扱った本を繰り返し読んでいるので、微妙な違いがしっかり頭に入っているようで、簡単に目的の「トリガースカイタイプ」を見つけ出しました。 

陳列棚は、宝の山なのでしょう。様々な怪獣やウルトラマンを手にとっては、なにやら聞いたことも無いカタカナ語を話してくれます。近くには知育玩具が並んでいるので、そちらの方にも誘導するのですが、そこには全く興味が無いようで素通りです。彼の頭はウルトラマン一色のようです。 

所で、私は「お盆玉」という言葉は、孫が生まれてから聞くようになりました。それまでは、全く聞いたことも無かったです。「お盆玉」とは、お盆の時期に祖父母や親戚などから子供たちにわたすお小遣いのことを言います。「お盆玉」よりよく知られているのが「お年玉」。お年玉は、正月に子供にわたすお小遣いで、「お盆玉」はそのお盆休みバージョンというわけです。 

「お盆玉」は近年始まった習慣のように思われるかもしれませんが、実はかなり長い歴史があります。その歴史は、江戸時代にまで遡るそうです。江戸時代、商家では子供たちが「丁稚(でっち)」奉公として働いていました。その子供たちが自分の家に帰ることができるのが、お正月とお盆の年2回だけ。特に山形地方では、その実家に帰る子供たちに「お盆お小遣い」と呼ばれるものをわたす習慣があったそうです。この習慣が、現代の「お盆玉」のいわば原型ともいえるものと考えられています。 

「お盆玉」という習慣が昔からあったものの、それが日本中に知られるようになったのは、マルアイという山梨県の紙製品メーカーがきっかけといわれています。マルアイは「お盆玉」をわたすときに使うポチ袋を販売しています。最初はなかなか売れ行きが伸びずにいたのですが、郵便局で封筒などと一緒に「お盆玉」も置くようになったところ、「お盆玉」の存在が広く知られるようになったようです。

私の仮説では、玩具メーカーがお盆玉の仕掛け人と思っていたのですが、お盆玉が一般化した切っ掛けをつくったのは「プチ袋」でした。全く意外な事実です。

今日の昼近くから孫と三人で温泉です。牧場でアイスクリーム作りを楽しんだ後に温泉宿に向かいます。温泉宿では怪獣とウルトラマンの戦いが繰り広げられることでしょう。今日の夜は長そうです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

おもちゃ屋さんの発案か?「お盆玉」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 鈴木郁子 より:

    息子が小さかった頃のことを懐かしく思いだし笑顔になりました。
    箱いっぱいのヒーロー達、なりきりカタカナ語で解説、可愛い声も思いだします。
    おむつの入ったリュックを背負って、私の両親と3人で鎌倉へ出かけたこともありました、幸せな時間ですね。

    1. welfare0622 より:

      投稿有り難うございます、とても嬉しいです。孫との関わりは、仕事をしているときに十分な関わりを持てなかったそんな反省もあるように思っています。また、その時は、夢中で余り記憶が無いということもあるような気がしています。おっしゃるように、孫との時間は「幸せな時間」そのものです。この様な時間を持てていることに感謝です。

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