六日目(4月24日)愛媛県松山市から今治市まで

六日目は、四十四番札所大宝寺から五十四番延命寺までの9ヶ寺を巡拝しました。この間、前半の半周巡りの方と後半半周巡りの方の交替もありました。宿泊は、今治市内のリッチなホテルでした。

四十五番札所岩屋寺(いわやじ)は、標高700mの切り立った断崖の中腹にあります。ここに辿り着くまで険しい山道をひたすら歩く。駐車場から距離にして700mを20分から30分の時間をかけて登ります。私にとって体力的に最も厳しい札所でした。深い木立の中に伸びる参道は、参道脇に苔むした石仏や地蔵が無数に佇んでいました。修行、修行と自分に言い聞かせ、何度も立ち止まってはマスクを外し、深く息を吸い込んではまた歩を進める。そんな繰り返しで、ようやく辿り着く山岳霊場です。

本堂の右脇には、ほぼ90度近い角度で置かれている梯子で登る法華仙人(女性)がいた岩をくりぬいた法華仙人堂があります。

弘法大師は、木と石の不動明王を刻み、木造は本堂に、石像は奥の院の秘仏とし、山全体を本尊にしたといいます。山全体を本尊にしたといういい伝えは、この地に立つと納得してしまう霊験あらたかな感じのする場所でした。

後になってからですが、四十五番札所岩屋寺は私が一番好きな場所かも知れないと思います。もし、いまでも弘法大師が修行をしている最中なのであれば、ここで出会いたいと思いました。そんな異空間の場として受け止めました。

六日目は、この四十五番札所岩屋寺しか印象に残っていません。体力的にきついということだけではなく、なぜこのような山岳霊場で修行をしようとするのか、なぜにこのような場を選んでいるのかが分かるような感じがします。

以前、岩手山に登ったことがあるのですが、山頂の外輪山の一角に小さな祠が祀ってあります。強い風が吹き霧が立ちこめ中、両手を合わせたました。山頂に立てた感謝を伝えようと考えていたのですが、ただひたすら手を合わせ無心で何とも頭を下げていたことを覚えています。山岳信仰の場として崇め(あがめ)られた岩手山には、昔から多くの方々この地に立ったと聞いています。無心で手を合わせていると、遠い昔の人々と会えたような気がしました。

ここ四十五番札所岩屋寺の前で両手を合わせたとき、ふと岩手山のことを思い出したのです。無心で神仏に両手を合わせる。古来から、人々は同じようにして神仏と向き合って来た来たのでしょう。21世紀の今、昔と同じように神仏に手を合わせる。我々日本人に通底する信仰心のようなものを感じさせる場だと思いました。

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