2023-07-24 / 最終更新日時 : 2023-07-23 welfare0622 研究・地域活動 新たな企画を思案中 12年前の7月19日南三陸町被災者支援センター開設(2011/07/19)記念日を前にして、1年間にわたる南三陸町被災者支援に関わる記事を終わりにしました。稚拙な駄文におつきあい頂き有り難うございました。それから、多くの […]
2023-07-17 / 最終更新日時 : 2023-07-17 welfare0622 研究・地域活動 町民の想いを形にした歩み出した日 2011(平成23)年7月19日は、南三陸町被災者生活支援センターの開設運用が始まった日です。南三陸町の復旧復興に向けた住民主体の歩みが組織的に行われた大切な日です。 そして今現在まで、その場を「結の里」に換え、地域福祉 […]
2023-07-10 / 最終更新日時 : 2023-07-09 welfare0622 研修会等講義資料 プチ誕生秘話(結の里) 東日本大震災で南三陸町は甚大な被害を受けました。介護施設等の社会資源も同様に被害は甚大でした。介護サービスの停滞は、施設入居者及び在宅で暮らす要援護高齢者を直撃し、日増しに身体的精神的社会的介護状態が低下して行き、待った […]
2023-07-03 / 最終更新日時 : 2023-07-03 welfare0622 研修会等講義資料 プチ誕生秘話(滞在型支援員制度) 東日本大震災に際して被災町民を支える為に、南三陸町は地元の南三陸町社会福祉協議会に事業委託をして「被災者生活支援センター」を2011(平成23)年7月19日に開設しています。そこでは、三形態の生活支援員が設置されています […]
2023-06-19 / 最終更新日時 : 2023-06-19 welfare0622 研究・地域活動 プチ誕生秘話(保健センター再建) 東日本大震災で八幡川沿いあった保健センターは被災して使えなくなり、健康診査(健診)事業の実施はなかなか難しい状況に有りました。それでも保健師や栄養士は何とか頑張って学校を間借りするなどして行っていました。しかし、学校が再 […]
2023-06-12 / 最終更新日時 : 2023-06-11 welfare0622 研修会等講義資料 なぜ南三陸町に行ったのか 特段の理由もなく、私はなぜ南三陸町に行ったのかを考えていました。ここ数日は、パソコンを新しくしたので様々なDataを移し替えたりしていました。技術が未熟で途中で消えてしまったりしたDataが沢山出たりして頭を抱えながら、 […]
2023-06-05 / 最終更新日時 : 2023-06-04 welfare0622 研修会等講義資料 南三陸町被災者支援でできなかったこと(南三陸町震災伝承) 先週金曜日(6月2日)は、理由は明確ではないのですが絶不調で前日から伏せっており、投稿をお休みしました。1200キロ走破した身体なのに、熱に弱い私は、いとも簡単に寝込んでしまいました。4日日曜日は、今一の体調でしたか、寝 […]
2023-05-29 / 最終更新日時 : 2023-05-28 welfare0622 研修会等講義資料 南三陸町被災者支援で出来なかったこと(「定点撮影」) 東日本大震災後の南三陸町は、震災直後こそ痛々しいまでにその爪痕を残しましが、がれき撤去や住宅の基礎の撤去が進むと、自分の住まいの場所さえも分からなくなるほど街の様子を変えていきました。 災害公営住宅の整備に合わせて、山は […]
2023-05-22 / 最終更新日時 : 2023-05-22 welfare0622 研修会等講義資料 南三陸町被災者支援で出来なかったこと(「弁当プロジェクト」) 2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災で、南三陸町は甚大な被害を受けました。最大避難人員は、2011(平成23)年3月19日に、消防団などによる状況把握により、33の避難所に9,753人(全町民の55.2 […]
2023-05-15 / 最終更新日時 : 2023-05-14 welfare0622 研修会等講義資料 南三陸町で出来なかったこと(其の一) 東日本大震災で南三陸町に行くようになったのは、沿岸部被災地に手紙を出して受け入れの返事をくれたのが南三陸町だった。それだけで甚大な被害を受けた南三陸町に赴いたので、以前から特段の関係があったわけではありませんでした。この […]