町民の想いを形にした歩み出した日

2011(平成23)年7月19日は、南三陸町被災者生活支援センターの開設運用が始まった日です。南三陸町の復旧復興に向けた住民主体の歩みが組織的に行われた大切な日です。

そして今現在まで、その場を「結の里」に換え、地域福祉推進の場、町民の居場所として続いています。南三陸町社会福祉協議会は、類い希な社会資源として南三陸町の復興発展の足下を確かなものにするおおきな役割を果たしています。

忘れないで欲しい。そこには、須藤、高橋というたぐい希な社協職員のリーダーがいて、彼等と伴にした多くの町民がいて、汗と涙と何よりも満面な笑みを持って被災した町民を支えたことを!

2022(令和3)年度3月に「かじってみよう“社会学”」シリーズを終えました。そして次には何について皆さんと一緒に考えていくか色々と思いを巡らせた末に、2022(令和3)年4月に入り新たなテーマは、次のようなことから書き出しています。

「何が書けるか自分でも全く自信が無いのですが、南三陸町被災者支援に関わることを書いて見ようかと考えています。資料等は全て処分しているので、書けるのかどうか本当に不安なのです。でも、今書かないと全て消えてしまいそうで、それは自分としては受入難いことです。その内そのうちと言っていると、いつになってもその時はこないので、無理を承知で踏み出そうということです。」

「みなさまにおかれましては、「かじってみよう“社会学”」で得た知識で、これから始まる駄文をお読み頂きたいと思っています。そうすると、新しいメスを手に入れた分、少しだけかも知れませんが、これまでの印象とは違った見方・読み方ができるのではないかと期待しています。参考にするテキストも文献もない中でのスタートです。願わくば、この取り組みが、いつ来るとも知れない災害に向けた備えや減災の役に立てたらこれに勝る喜びはありません。稚拙な駄文になること必須ですが、お付き合い下さい。宜しくお願い致します。」

こうして新シリーズの「南三陸町被災者支援」は、2022(令和3)年度4月4日(月曜日)「東日本大震災との向き合い(震災から20日間の対応)」から始まりました。こうして振り返ってみると、1年にもわたって稚拙な駄文を書き続けてきたようです。

今日は、被災者支援センターの開設1周年に行った事業報告会で行われた主任生活支援員の言葉を引用して、南三陸町被災者支援シリーズの締めくくりとします。長い間、このテーマに参加して頂きまして有り難うございました。次は、何にするか決まっていません。少々お時間を下さい。

主任支援員活動報告と「夢」

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

町民の想いを形にした歩み出した日” に対して4件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    今日の記事は、忘れかけていたあの頃の情熱をもう一度呼び戻してくれました。
    本間先生、ありがとうございます!

    当時、100人以上のど素人の支援員達を、熱いハートの須藤課長がリードしてくれました。
    決して上から目線ではなく、一緒に泣いたり笑ったりしながら支援員の活動をいつも応援してくれました。
    きっと沢山の苦労や葛藤がおありだったことでしょうが、いつも颯爽とした姿はみんなの憧れでした。
    あれ以来何年もお会いすることなく過ぎてしまいましたが、その節はたいへんお世話になりました。
    私はあの頃に抱いた夢をいまだ追い続けています。地域のことを我がこととして捉える感性をあの時養っていただいたこと、ありがとうございました。
    これからもずっと、それぞれの場所で楽しく精一杯やっていきましょう!

    ステキな彼女にどうか届きますように✨

    1. スマイル より:

      須藤さんのお話をここ富谷の「地域福祉フォーラム」でお聞きしたことがありました。どなたにパネリストになっていただくか、という話し合いの場にもいました。その時本間先生から提案があった「南三陸の支援員制度のお話」について全員で賛成しました。実際にフォーラムでお聞きした時、そのお話に心打たれたのはもちろん、須藤さんがとても素敵な雰囲気だったこと、いまだによく覚えています。このような制度が機能し今にまで続いている陰には必ず全身全霊で取り組んだ核となった人たちがいらっしゃったはず。南三陸の宝ですね。

      それから「主任支援員」さん(鈴虫さんですね?)の活動報告と夢、その言霊にも心揺さぶられました。「支援員と被災者という関係ではない、苦楽をともにする同じ町民同士という関りが生まれてきている」という言葉は、本間先生が考えたこの支援員制度の素晴らしさを物語っています。(同時に、だからこその大変さや葛藤、悩みや苦しみがあったことだろうとも思います)

      そして最後に語られている夢「この壊滅的ともいえる町並みがいつの日か生まれ変わり、これまで以上に愛着の持てる南三陸町に発展するよう、ひとりの町民として長く関わっていくこと」・・・実際に鈴虫さんとお会いして、その夢はさらに力強くなって現在にいたることを感じています。「この夢は見るものではなく叶えるもの」という言葉も、一見たおやかでありながら、男前で懐も愛も深い鈴虫さんそのものです。(ちなみにユーモアもたっぷり・・・)

      このシリーズの締めくくりに、本当にふさわしい記事だと思いました。誰よりも本間先生の想いを深く受け取り、実践しようと奮闘した一人の女性の生きざまが、南三陸で起こったことを雄弁に語っています。

      この奇跡(軌跡)を知ることができたこと、本間先生はじめ関わってくださったすべての方達に心からの敬意を表し、感謝いたします。ありがとうございました。

      1. 鈴虫 より:

        スマイルさん
        決して同じ経験をしたのではない、ましてや近くで見ていたわけでもない第三者でありながら、とても深く理解していただいたことに、心からありがとうを言わせて下さい。

        南三陸町はマスコミに取り上げられることが多く、報道を見てある程度当時の様子は世間に知られているのだと思います。でも、日常生活レベルの町民同士の関わりについて知る人は数少ないのではないでしょうか。

        本間先生の記録的な記事によって、私も当時経験したことやその時々の感情を、心の引出しから取り出して自分の言葉でみなさんにお伝え出来たことは貴重なふり返りになりました。出来るだけ沢山の人に伝えなけれはならないことばかりだと考えているにもかかわらず、きっかけが無いので口にすることがどんどん少なくなっていました。

        今回はおかげさまで、貴重な沢山の記憶をカビ臭くしない様にムシボシすることが出来たように思います。

        この機会を与えて下さった本間先生と、関心を寄せていただいたみなさんのおかげですね。ありがとうございました。

    2. いくこ より:

      事業報告を読ませてもらいました。スマイルさんも書かれていますが「夢は見るものではなく叶えるもの」胸にじーんと沁みました。
      決意の言葉は時を経ても色あせることなく輝きを増しているようですね。
      私も!と心にとめています。

      本間先生、1年間の講義をありがとうございました。
      震災からの日々は、被災された方々を思うとお気の毒でつらい気持ちでおりましたが、心を強く努力を重ねられてきた方々のことを知ることができて、これからは同情などではなく、敬意をもってお会いすることにしようと思いました。

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