プチ誕生秘話(滞在型支援員制度)

東日本大震災に際して被災町民を支える為に、南三陸町は地元の南三陸町社会福祉協議会に事業委託をして「被災者生活支援センター」を2011(平成23)年7月19日に開設しています。そこでは、三形態の生活支援員が設置されています。

一般的にどこの被災市町村でも設置された応急仮設住宅を廻り被災者の生活を支えるのが生活支援員です。南三陸町社協では「巡回型支援員」と呼んでいます。その他の二種類の支援員形態が南三陸町社協Originalです。自らが居住する仮設住宅団地で見守り活動を行う「滞在型支援員」。もう一つが、東日本大震災では「見なし仮設」と呼ばれる既存のアパート等で避難生活を送る方々を訪問して、町外で暮らす被災者の帰郷の想いを支える「訪問型支援員」です。ここでは「滞在型支援員」の誕生秘話をお伝えします。

被災者支援センターが設置され数ヶ月経った9月議会(記憶が曖昧ですがたぶんこの頃)の一般質問で次のような提案がありました。「応急仮設住宅の被災者の安否確認を行うために、『私は大丈夫』というしるしに黄色い旗を軒先にかけてもらい、孤独死防止を図ってはどうか」という質問・提案がありました。保健福祉課長はこの質問・提案に対してどのようにどのように応えれば良いのか相談がありました。議員提案の手法は絶対だめだと言うことだけは伝え、即答を避け少し時間を空けて、企画書を作成して提案したのが「滞在型支援員」制度です。

何度も書きましたが、「巡回型支援員」は、一般的な就業時間帯(9時から17時)が見守りの時間帯になります。この為、朝夕の時間帯がブランクになってしまいます。この時間帯を埋めることができれば、ほぼ全時間帯をカバーできるようになります。更に、高齢者が何の役割も持たずに応急仮設住宅で過ごしていることは、今でいうフレイルに陥ってしまう危険性があります。この為に朝にラジオ体操などをやっているのですが、何らかの役割を持って活動していただけば、より健康的な生活を営めるのではないかと考えたのです。

何より、旗などのサインに頼るのではなく、隣近所の方々の気遣いによって支え合うことが、今後も地域生活を長く続けていくために大切な「お互い様」を醸成する良い機会になるのではないかと考えたのです。滞在型支援員さんは、自らの健康づくりにも一役買える様に、主任生活支援員や応急仮設住宅団地の自治会長さんに推薦していただき担い手になって頂きました。その数は100名を超えます。旗などのサインに頼ると、旗だけを見て「気にかける行為」が弱まってしまうのです。この様な理由で「滞在型支援員」制度を提案し、すぐさま受け入れられ議員さんも納得し、即実施に移されました。

この滞在型支援員さんは、応急仮設住宅が次第に閉鎖されていく過程で、役割を終えていきました。その過程で、「名札(滞在型支援員)を返しても見守りは続けるからね」という嬉しい言葉が多くありました。また「何かしらの役割の目印を頂けると見守り活動をしやすい」とのお話しがあり、そこで生まれたのが「ほっとバンク」制度です。

この様にして、被災者支援の経験は、平時のボランティア活動に継承され現在に至っています。「ほっとバンク」メンバーは、現在200名を遙かに超え、様々な地域行事を行う際の大きな力となっています。まさに「地域力」を象徴する存在となっているのです。

入谷仮設住宅団地を巡回する滞在型支援員さん

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

プチ誕生秘話(滞在型支援員制度)” に対して3件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    滞在型支援員にまつわる忘れられないエピソードがあります。
    あるご家族は、ご主人が家に居て奥さんが仕事に出ていました。まだ働き盛りの年頃のご主人がなぜ?と少し違和感を覚えていました。
    そんな時、滞在型支援員を各仮設住宅から2人推薦してというお話があり、私達のサテライトでも皆で相談して人選をする時でした。
    そのご主人にお願い出来れば、家に引きこもらずに交流も持てるよね、ということでお願いに行きました。
    するとちょっとためらい気味でしたが引き受けていただきました。

    それから少し経ち、毎日の訪問活動に出てくれていたある朝、本部ミーティングの最中に仮設住民からその方が倒れて救急搬送されたと電話が入りました。
    私が急いでお宅に向かうと、既に帰宅されていて奥さんが出てきました。
    すると奥さんは涙ながらに「じつはお父さんは持病で時々このように倒れるの。でもみんなに話せなくて、内緒にしててすいませんでした」と言うのです。さらに「やっと言うことが出来てホッとしました」と。
    私はそういう事情でご主人は家を守っていたのかと納得できました。
    そして、ご夫婦がいつかこんな風にみんなの前で倒れてしまうかもしれないという不安を抱えていたことに、胸が潰れそうになりました。

    幸いご近所の方々の理解もあり「大丈夫だよ、みんなで見守るから」と言っていただき、その後も滞在型支援員の活動を安心して続行していただきました。

    見守る人と見守られる人、どちらがどちらなのかもうわからない。でも、お互い様のある暮らしがそこに醸成されつつあることに、私達支援員はみんなで感動したのでした!

    滞在型支援員、とても素晴らしい支援体制でした。

    1. スマイル より:

      家族が抱えている悩みや問題は、なかなか周りに打ち明けることができないものですよね。でも思い切って「ご迷惑をおかけするかもしれないけれど・・・」と打ち明けて頼ることで、「お互い様」の関係ができていき、家族は肩の荷をおろすことができて心の余裕が生まれ、問題そのものも良い方向に向かいやすいのではないか、と感じます。
      心を開く、ということはとても難しいことです。この支援体制があって本当に良かったと思いました。同時に一気に心を開いていけるものではなく、普段から少しずつ関係性を築いてこそ可能なことであり、鈴虫さんはじめ支援員さんたちの細やかな気遣いや思いやりあってこそ、と心打たれています。私も心にとめたいと思います。鈴虫さん、いつも貴重なコメント、ありがとうございます。

      1. 鈴虫 より:

        スマイルさん
        過去の事例から自分達の地域に当てはめて考えていただきました。
        ありがとうございます。

        「ご迷惑をおかけするかもしれないけれど…」(じつはちょっと手を貸して欲しいの)っていうことですよね。
        その様にちょっと頼れる関係性が、是非ご近所に欲しいです。そんな関わりをコツコツと積み重ねておくことが、困ったときの備えになりますから。
        先日、「認知症の予防ではなく、備えこそが大事」という話をしましたが、まさにこういうことですね。
        「私は地域のために何が出来るか」という問いかけをしながら過ごしていれば、必ずや何らかの役割を見つけられるだろうし、いつもより瞳を輝かせて暮らすことが出来るように思います。
        そんなことを考えるだけで、毎日が明るくなりそうですね✨

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