課外活動 第15講『敬老の日と敬老週間に寄せて』
書くのが少々遅れてしまいましたが、敬老の日と敬老週間についての雑感を書いてみます。以前の敬老の日は9月15日と決まっていました。敬老の日のルーツは兵庫県北播磨にある多可町(当時の多可郡野間谷村)とされています。 当時の村長(門脇政夫)が「お年寄りを大切にして村の発展のための知恵を借りよう」と提唱し、敬老会を開催したことが発祥とされています。それが国民の祝日「敬老の日」が9月15日になったのはいくつか説があります。聖徳太子が大阪の四天王寺に悲田院を建立した日だからというもで、悲田院とは、現在の老人福祉施設のような場所(以前は養老院とも言われていました。)。それから717年に元正天皇が養老の滝に御幸した(訪れた)日という説もあります。いずれにしても、当初より、高齢者であるおじいちゃん、おばあちゃんを大切にする目的がありました。現在は、「国民の祝日の関する法」により、9月の第3月曜日と定められています。2003(平成15)年にハッピーマンデー制度の導入に伴い再三月曜日に移動しました。観光業の振興策ではないかと勘ぐってしまうのですが、三連休にするためにこのような日の設定になっています。その趣旨は『多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う』とあります。
また、別の法律「老人福祉法」では9月15日を老人の日(記念日)と定め、9月15日から9月21日までの1週間を老人週間としています。その趣旨は『高齢者福祉への関心と理解を深め、高齢者自身の生活向上への意欲を高める』とあります。私としては、老人福祉法に定める老人に日の趣旨方がとてもしっくりきます。
さてさて、敬老の日に併せて高齢者数の統計資料が発表されています(別添参照)。私は、高齢者数と平均余命の二つの指標に関心があります。なぜなら、高齢者数の増加は、社会への影響としてネガティブな視点が多く、平均余命は、医学や食生活などの向上と言ったポジティブな視点で語られることが多い様に思うのです。でも、何となくしっくりこなくて、両方の指標を併せて社会を見たいと思っているのです。
高齢者数増加は、子どもの数の減少と全人口数の減少の両方の視点で見る必要があります。日本の最新合計特殊出生率(2025年「厚生労働省人口動態調査(速報値)」)は、1.14です。宮城県は1.00で、東京、北海道に次ぐ低さです。第一次ベビーブーム(1947~49年)4.32、2,696,638人が生まれています(1949年)。第二次ベビーブーム(1971~74年)2.14、2,91,983人が生まれています(1973年)。2025(令和7)年の出生数は671,236人です。加えて、自然増減数(出生数と死亡数の差)は、△918,253人です。この数値は、秋田県の人口(878,798:2025年10月1日秋田県)を上回っています。日本の人口を見るときは、出生者数が減り、高齢者数が増え、加えて死亡者数が増加しているという現状です。これを識者は『少子多死社会』と呼んでいます。出生数が減少する「少子化」と、年間死亡数が急増する「多死化」が同時に進行する社会構造のことです。主に日本で顕著に見られる現象です。
少子化は、未婚化・晩婚化、子育て世帯の経済的負担、将来不安等が主な要因と言われています。また多死化は、団塊の世代(1947〜1949年生まれ)が後期高齢者(75歳以上)から平均寿命に達しているためと分析されています。
「多死化」の社会への影響としては、医療・介護のひっ迫があります。ターミナルケア(終末期医療)や訪問介護の需要が急増しています。この為エッセンシャルワーカーの不足が社会問題化し海外から看護師や介護福祉士を海外から呼び込む事例が多くなっています。ガン等は、医学の進歩によりある程度、余命が分かるようになり、これに伴い最後は(看取り)自宅で過ごしたいという希望が増え終末期医療と在宅医療が重なり、それに対する社会資源が求められています。当然、終末期の医療費・介護費が膨らむ一方となり、支えて(生産年齢人口)が減少していく中で、その負担のあり方に対する新たな社会的コンセンサスが求められます。特に、需要の中核となる後期高齢者は、自分自身の生活のあり方や公共サービスを含めた社会サービスとの付き合い方にパラダイム転換が求められるのではないかと考えます。医療面で言えば、0次予防や一次予防にシフトした向き合い方です。これは介護に関しても言えるように思っています。即ち、消費者としてのあり方を変えることで社会を変えていくことが必要だと思っています。
次に少子化です。宮城県は、合計特殊出生率が1.00で全国で下から三番目です。去年は二番目でした。それに対して如何なる施策が打たれているのかはなはだ寂しいものがあります。奇跡の町と言われている岡山県奈義町は、2019(令和元)年の合計特殊出生率2.95で宮城県の約3倍です。宮城県では、国の地域少子化対策重点推進交付金を使って「結婚支援事業」を行っています。事業内容は、対面での登録面談や活動に関する相談対応等、AIマッチングによる引き合わせ、会員数の増加及びセンター認知度向上のための周知広報(SNS、交通広告等)等々です。その他にもあるようですが、何か違うような気がしてなりません。
岡山県奈義町の保健師は、手当や医療費等で優遇しても誰も乗ってきません。こんなことで子どもを産み育てる気持ちが促せないと語ります。奈義町では、若いお母さん達を孤立させない取り組みや若いお母さん他の就労機会を町内設け、地域の子育てを終えた先輩ママさん達が子育てを支援しているのです。こうした、子育てを社会全体で行う仕組み作りこそ大切なのだと思います。お金を少しもらえるからと言って、子どもを産み育てる夫婦が増えるなんて誰が考えてもおかしいのです。私の住む地域でも「子ども会」という組織が減っています。子どもを地域全体で育てるという考え方や社会的コンセンサスが持てなくなっているのです。だいぶ前に、四国八十八ヶ寺歩きお遍路の時に報告しましたが、愛媛県では、現在でも集団登校が一般的です。しかし、宮城県ではその割合は低く、共稼ぎの親の元で、子どもが一人で登校する様子を当たり前のように見ます。このような現状を見ても、「子育て」と「地域社会」が組み合っていないのです。
私は、このような状況だからこそ、地域社会の構成員一人ひとりの意識改革が必要だと思い、地域づくりの必要性を機会あるごとに語っています。私如きが声を出しても何の影響力を持たないと思いますが、全くないよりは良いのではないかと思っています。この為、町内で行われているお茶のみの機会「ふれあいサロン」に少しだけ関わったり、地域の高齢者の出る幕を設けるなどの細やかな活動を行っています。いつの時か、共感する方が現れ行動を共にしてくれるのではないかと細やかな期待をしています。
敬老の日と敬老週間とはだいぶ離れてしまいましたが、私が申し上げたいのは、こうした機会にその背景やそれによる社会生活の変化そしてその変化とどの様に向き合っていくのかを考えて頂く絶好の機会なのではないかと思い、このようにクドクドと書いています。
皆様からのお布施(返信)をお待ちしています。

