かじってみよう社会学Ⅱ第16講『宗教社会学の世界』
社会学の分野で宗教社会学という研究領域があります。宗教社会学(Sociology of Religion)は、「宗教が人々の行動、人間関係、あるいは社会の仕組みとどのように相互作用しているか(社会学的問い)」を観察・分析する学問領域です。「宗教の真偽や教理の正しさ(神学的問い)」を扱ってはいません。
主要な研究軸および具体的な領域は以下の通りです。
1. 宗教と社会構造・変動の理論研究(古典・理論領域):社会が近代化・産業化する中で、宗教の役割がどう変化したかを解明する根幹的な領域です。
2. 現代社会における宗教性の変容(現代的テーマ):「制度化された既成宗教からの離脱」が進む一方で、新しい形で現れる精神性・集団性の探求です。①脱制度化と「見えない宗教」: 伝統的な寺院・教会への所属意識は薄れつつも、個人が独自の教義や実践を組み合わせる「スピリチュアル(霊性)」文化や個人化された信仰の研究。②新宗教・カルト研究: 19世紀以降や戦後に隆盛した新宗教運動(NRMs)の発生メカニズム、入信・脱会のプロセス、マインドコントロールや組織構造の動態解明。③民俗宗教と「祭り」の変容: 地域社会の過疎化や都市化に伴う伝統的行事・民俗信仰の継承問題、および交流人口創出やアイデンティティ再構築を目指す「現代的な祭り・イベント」としての再解釈。です。
私は、昨年仙台から永平寺迄700㎞を一ヶ月かけて歩きました。途中、『親鸞』に関わる記念碑等をいっぱい見ました。仙台に戻ってから調べてみると、親鸞(1173–1262)は、平安時代末期から鎌倉時代中期という社会動乱の時代を生きた仏教者で浄土真宗の開祖です。9歳で出家して比叡山に入り、堂僧(常行堂で念仏を唱える僧)として20年間にわたり厳しい修行を重ねていました。しかし、どれほど修行しても欲望や煩悩を断ち切れない自己の姿に深く悩むことになります。29歳になった親鸞は、比叡山を下り、京都の六角堂に90日間の参籠(おこもり)を行いました。その最終日に聖徳太子の夢告(夢のお告げ)を受け、吉水で専修念仏(阿弥陀仏の名号を唱えれば救われるという教え)を説いていた法然の門に入ります。弟子となった親鸞は他力信仰を徹底的に学び取りました。しかし35歳の時、旧仏教(比叡山や興福寺)からの圧迫により専修念仏が禁止され、法然や親鸞らは処罰を受けます。親鸞は僧籍を剥奪され越後国(現・新潟県上越市付近)へ流罪となりました(承元の法難)。
ここでようやく、新潟県を永平寺(福井県)に向かって歩いていたとき、流罪の地越後国(現在の新潟県上越市)で親鸞に出会った謎が解けたのです。そのようなことがあって、親鸞に関する本を読んでいたら、これまで全く知らなかったことがいっぱい出てきました。
比叡山延暦寺や東大寺・興福寺といった名の知れた既存の仏教旧仏教(奈良・平安仏教)は、南都北嶺と呼ばれる二大勢力でした。旧仏教は、現在の私はからするとビックリするのですが、庶民は全く相手にしていなかったのです。庶民の死は「極めて惨らしく、現代の感覚からすれば放置に近い形」に扱われていました。当時の仏教において「死」は最大の「穢れ(けがれ)」とみなされており、旧仏教の関心は「国家の安泰」や「身分の高い貴族の祈祷」に向けられていたため、庶民の死に手を差し伸べる仕組みがほとんど存在しなかったのです。遺体は「放置・風葬」が当たり前でした。当時、薪(まき)を大量に使う「火葬」や手間の受かる「土葬」を行えたのは、皇族・上流貴族や一部の富裕層に限られていました。庶民が亡くなると、遺体は都の郊外や河原にそのまま捨てられ、風雨にさらして風化させる「風葬(野葬)」が行われました。飢饉や疫病が流行すると、鳥辺野(洛外)などへ運ぶことすら追いつかず、鴨川の河原や路頭に遺体が大量に放置され、犬や鳥に食い荒らされる悲惨な光景が日常化していました。
このような「打ち捨てられる庶民の死」を目の当たりにしたからこそ、のちに鎌倉新仏教を開く高僧たち(法然・親鸞・日蓮・空也など)は旧仏教に強い疑問を抱きました。「修行もできず、お金もなく、ただ野ざらしにされて死んでいく庶民にこそ、仏の手によって救われなければならないのではないか?」との疑問を持ち、彼らは比叡山(旧仏教の本山)を下り、旧仏教の「厳しい山籠もり」や「机上の学問」を離れ、「庶民の生活の現場(街頭・旅先)での実践」や「一つの行を究める修行」へと大きく舵を切りました。鎌倉仏教を築いた代表的な高僧は、法然(浄土宗の開祖)、親鸞(浄土真宗の開祖)、道元(曹洞宗の開祖)、日蓮(日蓮宗の開祖)、一遍(時宗の開祖)等です。こうした高僧が、比叡山(旧仏教の本山)を下り、新たな仏教(鎌倉仏教)を立ち上げた黎明期を経て、法然や親鸞らの死後、彼らが開いた「鎌倉新仏教」は弾圧期を越えて地域社会へと根を伸ばし、農村や都市の集落(惣村)へ広く浸透し、庶民の生活基盤と密着していきました。


私が新潟県で出会った親鸞は、こうした時期の高僧でした。親鸞は、それまでの仏教観を根本から覆す革新的なものでした。親鸞は自らを「僧侶でもなく、俗人(一般人)でもない」と位置づけ(非僧非俗)、戒律を守り世俗を断つ従来の修行者像を捨て、肉を食べ、結婚して子どもを設けました。また、同じ目線での布教に努め、苦難の多い時代に生きる一般庶民(農民や漁師など)と同じ生活を送りながら、煩悩を捨てきれない「厳しい戒律を守れない普通の人々」のための教えを広めました。僧侶であっても普通に結婚し私たちと同じ食事をして、私たちも西方浄土で仏様になれる。このような経緯で親鸞を少しだけ深掘りしていくと、私たちが現在見ている仏教というかお寺さんの様子の源がここにあるような気がします。
良く聴くことに「日本は国民の半数以上が、特定の宗教を持たない無宗教国家である」などと言われることもあります。しかし実際には私たちのほとんどは、なんらかのかたちで仏教、あるいは仏教的行事(仏事)と関わりを持ちながら暮らしています。親族の葬儀を仏式で行うことに違和感を持たずに参列するし、お盆やお彼岸の時期には当たり前のようにご先祖のお墓参りに出かけています。特段意識はしていないのですが私たちの生活の中には、仏教的なものが深く根づいているように思います。
日常会話でよく使われている言葉の中には、もともと仏教の教理、儀式、あるいは修行に由来するものが数多く存在します。
挨拶(あいさつ):本来の意味は、禅宗の用語で、師匠と弟子、あるいは修行僧同士が問答を交わして、お互いの悟りの深さや境界を試し合うことです。これが現代では、出会ったときや別れ際などの交わす交際上の言葉や礼儀となっています。
億劫(おっくう):本来の意味は、極めて長い時間を表す「劫(こう)」という単位に「億」がついた「億劫(おくこう)」。非常に長い年月や気の遠くなるような時間を指します。これが現代では、時間がかかって面倒なこと、気が進まない様子となっています。
工夫(くふう):本来の意味は、禅宗で「工夫弁道(くふうべんどう)」といい、雑念を払ってひたすら坐禅に集中し、悟りを得ようと真面目に努力することです。これが現代では、良い方法や手段を考え出すこととして使われています。
我慢(がまん):本来の意味は、仏教の「七慢(自高自大の心)」の一つで、自分を高く評価して他人を軽んじる高慢さや自惚れの心。これが現代では苦しさや欲望をじっと耐え忍ぶこととなっています。
世界(せかい):本来の意味は、「世」は時間の経過(過去・現在・未来の三世)、「界」は空間の広がり(東・西・南・北などの空間)を表す仏教の宇宙観ですが、これが現代では。地球上の全地域、人間社会あるいは特定の地域社会として使われています。
主人公(しゅじんこう):本来の意味は、禅語で「本当の自分」「人間の本質(仏性)」のこと。環境や他人に振り回されず、自己の本体をしっかり保つことを意味します。これが現代では、物語や出来事の中心人物として使われています。
醍醐味(だいごみ):本来の意味は、牛乳を精製して得られる極上の味わい(醍醐)のこと。仏教では、仏の説いた最高・至上の教え(『涅槃経』)の例えとして使われました。現代では、事物の本当の面白さや、深い味わいという場面で使われます。
旦那(だんな):本来の意味は、サンスクリット語の「ダーナ(Dāna=与えること、施し)」に由来し、漢字で「檀那」と書きます。布施(寄付や寄進)をする施主を指しました。それが今では、夫、店の主人、男性に対する敬称となっています。
:有頂天(うちょうてん):本来の意味は、仏教の世界観(三界)における最高の境界である「有頂天(非想非非想天)」。天界の最も高い場所を指します。現代では、うまくいって喜びに酔いしれ、夢中になっている状態となります。
こうしてみると、仏教で使われていた意味と現代での使われ方では、違いはあるものの、『当たらずとも遠からず』の感じがします。
また、私たちのものの考えからは、白か黒かといった考え方を余りせず、どちらもあり的な考え方を良くします。また中庸的な考え方もします。こうしたことから、一神教を基盤とする方々からすると、日本人の宗教観は『何でもあり』的に見えると思います。しかし私たちは、八百万の神(やおよろずのかみ)」を信じる日本の神道(しんとう)や伝統的な自然観の根幹にある考え方を持ち、多神教・汎神論的な思想を基底に持っています。
「八百万の神」を新いる精神性は、万物に神が宿ると捉えるため、自然を人間が支配する対象としてではなく、「敬い、恵みをいただき、共に生きていく存在」として扱います(自然共生)。また、「お陰様」と「もったいない」の心の元にもなっています。食べ物や道具、日々の暮らしそのものに神々の働き(恵み)を感じ取ることから、物を大切にする「もったいない」という感性や、見えない支えに感謝する「お陰様」の精神が育まれているのです。そして、これが一番一神教の方々には理解されにくいところですが、特定の絶対的な教義や聖典を持たず、時代や地域ごとに新しい神を受け入れてきた柔軟性があります。神仏習合(仏教の仏や菩薩も神の姿を変えたものと捉える考え)に見られるように、異文化や異なる価値観を排斥せず融合させる文化的土壌があります。(包容力と多様性)
このような考え方は、モンスーン型気候の元に生まれた宗教観と説明する識者もいます。和辻哲郎は、気候や自然環境(風土)がその土地の人々の自己理解や文化・存在様式に決定的な影響を与えると論じました(和辻哲郎『風土』)。世界の風土を「モンスーン(受容的・忍耐的/東アジア・南アジア)」「サハラ・砂漠(戦闘的・対立的/中東)」「ペスト・牧場(静観的・合理的/ヨーロッパ)」の3つに類型化し、日本の文化や国民性がモンスーン気候の湿潤さと台風などの猛烈さの影響下で育まれたと解釈しました。日本人の多様性や寛容性は、こうした仏教的なものの考え方を元にし、加えて日本の気候的特徴で醸成されているように感じます。
私たちのものの考え方は、古くからのものの考え方や自然との関わりの中で培われた生活様式との関わりの中で醸成されて行きます。この為、私たちの考え方やその傾向を知ろうとする時には、意識するしないにかかわらず、こうした仏教の考え方を少し調べてみると『納得』する部分が多い様に思います。宗教を単独で抜き出すのではなく、その宗教が生まれ育った環境を紐解くと、私たちの振るまいが古くからの宗教観が底流にあることが分かります。なんかの機会に、宗教についてチョットだけ深掘りするのも面白いかもしれません。こうした視点が宗教社会学です。
