講座かじってみよう社会学Ⅱ 第15講『ほんとうの自分はこんなんじゃない』
自我(私)は、相互作用の中で形成されます。言い換えれば、自我(私は)社会化(2025-05-05かじってみよう社会学Ⅱ 第1講 『親の顔が見たい』参照)の産物だということになります。しかし、E.ゴフマン(Erving Goffman, 1922–1982)は、人間は社会化しきれない部分あるとし、『役割距離』という考え方で説明しています。
人間には、何かに関わったり行ったりしたときの結果を自己評価して「ほんとうの自分はこんなもんじゃない」と思いがちだと言います。与えられた役割を遂行する際の社会的自我(Social Self:人間が社会や他者との関わり(相互作用)の中で形作る、自分自身に対する認識や自己像のことを指す)の他に、心の何処かに「ほんとうの自己」を持ち、何かことがあれば持ち出す(頭を持ち上げる)くるようになっています。
私たちには、基本的な欲求として「対自欲求」(自分自身に対して、意味や価値のある存在として自分を位置づけたい・認めたい、という自己肯定・自己確認への欲求)があります。
私を見つめるとき、「社会的自我」(他者との関わりに中で意識した自分)と心の何処かに置いてある「ほんとうの自己」(私はこんなもんじゃない)との間にギャップがあります。これが『役割距離』です。
何らかの行為をした際、社会的自我が思うように発揮できて他者に喜ばれたり賞賛されたりすると、「社会的自我」と「ほんとうの自分」の距離が縮まって同一化(社会的自我=ほんとうの自分)します。一方、行ったことが上手くいかず他者から叱られたり、また、自分をより大きく見せたい、価値ある存在と思わせたい時には、役割距離が広がってしまい、「ほんとうの自分はこんなもんじゃないんだ」と思いたくなります。自分を何とか肯定したいんだよね。分からないこともないけど、度が過ぎるとチョット心がいびつになってしまうように思います。
私たちは対自欲求(自分自身に対して、意味や価値のある存在として自分を位置づけたい・認めたい、という自己肯定・自己確認への欲求)の満足度を高め、精神衛生(心の健康)を維持するために、「私はこんなもんじゃない」という自己を調整する、即ち『役割距離』を操作して、心の安定を保っているのです。
いずれ、私たちは、『役割距離』を過度に操作しなくても良いように、「俺はこんなもんじゃない」という気持ちを過度に出し過ぎず、そして社会的自我を過大に意識しない、日本人的な感覚で言えば『中庸』が必要なのかもしれません。

