24時間テレビ―わたしたちの家族の話―

『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』は、1978(昭和53)年日本テレビ開局25周年を記念する特別番組としてスタート。当時の民放では異例だった「終夜生放送」を敢行し、福祉やボランティアを前面に掲げたチャリティー番組として大反響を呼びました。総合司会は萩本欽一氏らが務めました。

第15回1992年(平成4)からバラエティ要素を強化され、この回から名物企画である「24時間マラソン」(初代ランナー:間寛平氏)が始まっています。2000(平成12)年代当初は、ジャニーズタレントを中心としたメインパーソナリティ制が定着。ドラマスペシャル、感動的な障害者チャレンジ企画など、エンターテインメント性を高めた構成で高視聴率を記録し続けました。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、第43回2020年(令和2)年は番組史上初となる会場(両国国技館)無観客で実施、公道でのマラソンを中止し、敷地内でのトラック周回(募金ラン)に切り替えるなど、感染対策に特化した異例の放送形態をとりました。第47回2024年(令和6)年では、番組テーマを従来の「愛は地球を救う」から問いかけ型である「愛は地球を救うのか?」に変更。チャリティーの本質や番組のあり方自体を再定義する大きな転換期を迎えました。

募金もテーマ型となって、マラソンランナーの生い立ちなどを前面出して、ランナーの希望する使い道を明確にして募金が行われる新しいチャリティーが始まりました。マラソンランナーとチャリティーの関係がより密なものになってきた。ランナーが福祉の問題を考える必然的理由があり、走ることがよりストレートなメッセージ性を持つものになってきた。転機になったのは、2024(令和6)年芸人のやす子さんがその始まりで、視聴者も意図がとてもわかりやすく共感を持って募金活動が行われたように思います。

今年2026年の24時間テレビは、テーマを「わたしたちの家族の話」とし、多様な家族の形や支援にスポットを当てた家族のあり方が取り上げられていました。また、24時間マラソンランナーは、先天性ミオパシーの子どもを持つタレントが務めています。「できない」を「できる」に変える支援をお願いしたいと語っています。

この二日間で感じたことを少しだけ書いてみます。私は、この二日間で一年分の涙を流す24時間であってもいいように思います。笑顔は、その後に必然的についてくる。本来そこが、この24時間テレビの肝だと思うのです。8月になると原爆や戦争の話題が多くなります。誰もが、その悲惨さを嘆き二度と繰り返してはいけないと感じます。事実を淡々と見せることだけで十分です。後は視聴者が考えます。

24時間テレビは、エンターテインメント性を高めた構成で高視聴率を記録し続けなければならない大人の理由があり、また視聴者である私たちも、タレントや笑いに引きづられて、ついでに観ているのかもしれません。でもそんな状況だからこそ、視聴率が下がっても、しっかり世に問うような番組作りをしてもらいたいものです。そしてそれを理解してくれるそんなスポンサーが出て来てもらいたいです。

印象に残った内容としては、青山学院大学の原監督と奥様に関わる部分です。チームを引っ張ってきた主将の神林勇太さんが、大会直前に仙骨の疲労骨折が発覚。原監督は「何で神様は、頑張った者に対してこんな苦労、試練を与えるか」と、思ったそうです。コロナ禍に沈むチームを引っ張ってきた主将なので、監督より親心が勝ってしまい、監督としては失格だったと振り返っています。

「学生に涙なんか流すなって指導している私が、ボロボロ泣きながら、問いかけましたかね。“神林を使いたい”」と。“故障によって走れなくなって、途中リタイア。チームは記録なし…それでいいじゃないか。このチームのためにここまで頑張ってくれたのは神林なんだから、また来年、チームを立て直してくれたら、それでいいんじゃないの?”って話をしたといいます。

しかし、神林主将自ら「外して欲しい」と申し出があり、原監督は泣く泣く、メンバーから外したといいます。監督は、神林主将を給水係として箱根路を駆け上がる選手をサポートする形で箱根路を走らせています。私は、この話を聞いて号泣しました。親が子を思い、親の想いを子どもが理解して親に応えている。正に監督と選手を超えた家族的つながりを感じたのです。卒業後、神林さんは「『まるで原監督のよう』と言われるような大人になれるように頑張ります」と、語っています。このようなことを言われるような自分になりたいです。

また、マラソンナンナーの方が、自分の娘を両手を広げて「こちへおいで」と言った時に、来ることができる、その『できた!』を増やせる未来を築きたいと語っていました。この考え方にも感動しました。

そして思い出したのです。だいぶ前のことですが、関わりのあった養護学校の先生が、卒業後に仕事ができる場がなくて、自宅に戻らざるを得ない。そんな現状を何とかしたいと、自らが障害者の就労施設をつくり障害者に仕事の場を設けたのです。「はらから豆腐」はその施設のメインとなった商品です。そのとき彼がいった言葉が今でもしっかり残っています。「障害者の残っている能力を生かせる機械・道具があれば、生産に関われ障害者から解放され納税者になれる」と。今回のチャリティーランナーの『できた!』を増やせる未来を築きたいという想いをきいて、数十年前のことを思い出したのです。

また、城島茂が長いことか変わり続けている福島県浪江町の取り組みも、手を合わせ祈りを込めて観ていました。昔からの伝統やぶさめを元にして、大きな弓を地元木材でつくり、101メートル先にある相馬野馬追を描いたまとを射ようとする企画です。一回目は50メートルで届かず、二回目は95メートルまで届いてあと一歩、三回目は矢が折れて全くダメ、泣きの四回目を申し出て準備したのですが、結局弓の状態が悪くなり断念。結果は不成功で終わりました。何ともあっけなく画面から消えてしまいました。残念ではあったのですが、地元の方々が精一杯準備をして復興に祈りを込めた姿勢には共感したのです。結果の是非にかかわらず、こうした前を向いて頑張る姿勢には胸が熱くなります。

今年の24時間テレビは『わたしたちの家族の話』がテーマ。なので、私もそれに関するとこと書きます。

娘や息子が小さい頃、まだ住宅が建っていない区画だけされて原野のようになっている所を散歩していました。様々な花が咲いていました。子どもは、それを眺めたり摘んだりして遊んでいます。子どもにとっては、広大な遊び場なのでしょう。何が面白いのだろうと思うほど、嬉々として草むらを走り回ったり、小さな花をいつまでも見ています。道端に転がっている石を見つければ、宝石を見つけたかのように小さな手を広げてそこに置き、しげしげと見ています。私は縁石に腰掛けて、子どもの様子を観ているだけです。

遊び疲れると、お決まりの「おんぶして」になります。子どもは、体力の限りを尽くして遊ぶので、帰る頃には余力はなく、電池切れのように一瞬の間に眠りに入ります。摘んだ白爪草をしっかり握ったまま眠りについている子どもをおんぶして家路につくころは、背中に夕日が当たります。ヘタな童謡を歌いながら長くなった影を追うようにして帰るのです。私は、なん幸せなんだろうと思うのです。子どもと一緒に遊んで、遊び疲れた娘をおんぶして夕日を背にする。まるでテレビドラマのようだと、子どもがことさらに愛おしく思えるのです。

当時、私は仕事の関係で、障害者や経済的に窮している家族と関わる機会もありました。比較して語っている訳ではありませんが、このような幸せを自分一人で独り占めしていいんだろうかとよく思ったのです。「幸せ」の形はそれぞれの家庭で異なるのかもしれませんが、私が今感じているような「幸せ」が難しい家族も多い様に思えたのです。

なので、私が感じている幸せを独り占めにしない方法と言えば「ボランティア」等の社会貢献が浮かびます。でも、私は社会性がないのでボランティア活動は難しいように思い、その他何が出来るのだろうかと考えたのです。その時、「自分が勉強してその知識を生かして社会貢献をする」。このような方法でも社会貢献ができるのではないだろうかと考えたのです。こんな時に、東北学院大学に社会人も含めた大学院があると聴いたのです。人間情報学研究科で社会学を基礎にしたことが学べるわかり、私はさっそく飛び込みました。

私の大学院での学びは、子どもが教えてくれた社会貢献への道(手段)です。それ以降、東北学院大学大学院では社会学を学び、その後東北大学大学院へ編入学して福祉社会学を研究の対象にして現在に至っています。こうした学びは、公務員時代には県及び国が進める高齢者施策等々に生かすことができました。退職して市井の人になってからは南三陸町で被災者支援に関わり地域福祉の枠組みで被災者支援を行うことや役割理論、社会的相互作用等々の理論を現場に生かす工夫等生かすことができました。現在は民生委員児童委員を行い、地域の皆さんに社会学をBaseにした振る舞いのありようなどをチラチラ織り込みながら活動をしています。

私の今は、子どもたちが気づかせてくれ、妻が背中を押してくれ、関わってくれた多くの人達の支えで頂き、今日まで様々な学びを重ねながら過ごせています。何ともありがたいことです。私に、進むべき道を教えてくれた子どもたちは、それぞれ人の親となり懸命に生きています。きっと、私と同じように教えられながら日々を過ごしていることと思います。私の場合は子どもでしたが、必ずしも子どもに限らない様のも思います。どのような形であれ、自分の道を見つける切っ掛けはあるように思います。それを生かし、自分自身を知ることはできるように思います。

道草(「この花のお名前は?」)
公園で日光浴
泉型兎平
八木山動物公園
弟と一緒に
クマと一緒に
私のまねっこ(「CQ CQ」)

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