民生委員児童委員試論第14講『訪問活動から見える高齢者の気がかり』

仙台市では三年に一度75歳以上高齢者の在宅生活の様子を調査する『在宅高齢者生活状況調査』(悉皆調査)があります。この他、毎年、新たに75歳以上になった方の同種の調査があります。この調査は、後期高齢者の生活状況を把握し、適時適切な支援につなぐことを意図して行われると説明されています。

私が担当する地域は、186世帯です。こうした調査を元にして担当地区の生活状況を概観すると、60%が一人世帯又は高齢者二人世帯といった高齢者世帯です。高齢者世帯というと、なぜか斜陽(時勢の変化で没落しかかること)感があり、重たい感じになるのですが、実際は必ずしもそうではないと感じます。

皆さん色々と不便さを感じながらも、それぞれ工夫しているので、年齢相応に在宅で暮らしています。なので、こうした状況を一日でも長く続けられるようにするのが民生委員児童委員の役割なのではないかと考えています。そこで、今回は、定期に訪問して感じたことを書いてみます。

民生委員の職務は、民生委員法第14条では次のように規定されています。1.住民の生活状態を必要に応じ適切に把握しておくこと。2.生活に関する相談に応じ、助言その他の援助を行うこと。3.福祉サービスを適切に利用するために必要な情報の提供、その他の援助を行うこと。4.社会福祉事業者と密接に連携し、その事業又は活動を支援すること。5.福祉事務所その他の関係行政機関の業務に協力すること。6.その他、住民の福祉の増進を図るための活動を行うこと。児童福祉法でも同様なことが規定されているので、児童委員の職務については省略。

毎月定期的に訪問する主な理由は、民生委員法第14条1項、2項に基づいています。私の場合は、気になる世帯(前任者からの引き継ぎ)を毎月の第一週に訪問して『民生委員児童委員新聞』を持参しながら、生活の様子等を観察し、様々な『気がかり』に耳を傾けています。訪問時は、「なにか問題はありますか」「変わったことがありましたか」等と言った切り出し方はしていません。『問題』とい言葉は、多くの場合、大変なことと捉えてしまい、こんな些細なことは聞けないと言うことになってしまい『ありません』と応えてしまうからです。私の場合は『なにか気がかりなことはありませんか』というう言い方をして、少しだけハードルを下げるような聴き方をしています。

在宅と言っても訪問すると約半数はデイサービス(通所介護)又は通院して不在になっています。デイサービス(通所介護)は、介護保険サービス利用者の41%が使っています。要支援者は週1回程度、要介護者は2回が多い様に感じます。また、通院は高齢になると慢性疾患で薬を処方してもらう為の通院数が多い様です。また、殆どの方は、介護保険と医療保険の両方を併せて利用し、健康管理を行っているようです。このような現状があるので、定期に訪問しても不在が多いのです。このような中にある高齢者の方々の『気がかり』に耳を傾けると、多々感じることがあります。主な内容をかいつまんで書いてみます。

其の一(『今が最も幸せ』) 「高齢者一人暮らしや老老二人暮らしは大変」と、一般的には思われるのですが、訪問してみると、意外にも『今が最も幸せだ』という方が結構多いのです。身体が思うように動かなくなって病院通いが欠かせない中で、なんで『幸せ』という言葉が出るのか不思議でした。よくよく、お話しを聴くと、年齢を重ねることによって余計なしがらみから解放されている、という言葉が多かったのです。また、これまでの仕事や子育てから解放され、好きなように時間を使い、これまでできなかった趣味活動等も行えるようになり、精神的に穏やかに暮らせているとも言います。

高齢者の日々淡々と暮らしている姿は、鎌倉時代末期(1330年〜1331年頃)に出家僧・兼好法師(吉田兼好)によって書かれた『徒然草』(日本を代表する随筆(エッセイ))の序文に書かれている様子に似ています。「つれづれなるままに 日ぐらしすずりにむかいて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやうしこそものぐるほしけれ」(序段原文)。現代語訳では、「なすこともなく所在ない寂しさに任せて 終日 硯にむかって、心に浮かんでは消えるとりとめもないことを、なんということもなく書きつけいていると、われながら妙に興が沸いてきて、取り憑かれたようにもの狂おしい気さえすることである」(萩野文子,2003『ヘタな人生論より徒然草』224頁河出書房新社.)、とあります。

兼好は、この「所在のなさ」を私たちに勧めています。一人の時間をつくり、心を静め、心を清めることが大切であるとし、誰にも寄りかからない姿勢こそが、「自分の人生」を生きる本来の姿ではないかと。一人静まれば、雑念から解放され、心が浄化される。兼好は、「つれづれなる時間」こそが人生の楽しみだといゆうのです。

其の二(『長いお話し』) 訪問すると、とにかくお話しが長いです。次からつぎと止めどなく続きます。そのような様は、「困るごと」「気がかり」であることは殆どなく、病気や親戚のこと、物価や買い物、食事などの日常生活の様子です。最近は、物忘れが多くなり困ったものだ等のお話しは、ほぼ定番です。一応、物忘れと認知症は違うことを説明はするのですが、一ヶ月後には、また同じようなお話になります。やはり高齢者の皆さんは認知症になることが心配の種になっていることに間違いはないようです。

認知症は、「ボケ」というイメージが強く、「あのようにはなりたくない」という強迫観念にも似た受け止めがあるようです。長いお話しは、聴いてもらいたいというよりは、ただ単にお話ししたいだけのようにも感じます。始めの頃は、一言ひとこと聞き漏らさないようにと耳を傾けていたのですが、最近はお話しのキーワードだけを書き留めるようにしています。言葉は悪いのですが、半分以上は聞き流しています。

其の三(『昔と今の違い』)昔は〇〇だったが今は〇〇になってしまって暮らしにくいというお話も良く聴きます。殆どは、昔のようになればよいというのではなく、「今時だから仕方ない」という諦めが多いです。

発達心理学者エリック・H・エリクソンの「漸進的発達理論(ライフサイクル理論)」における人生の段階や危機の概念。そして、カール・G・ユングは40歳前後(現在では50歳~60歳)を「人生の正午」(中年の危機)と呼び、それ以降を「人生の後半生」として真の自己実現を目指す最大の転換期と位置づけています。人生の午前(前半)は右肩上がりで、昨日よりも今日が成長しています。しかし、人生の後半(午後)になると右肩下がりとなって、今日よりも昨日の方が高い位置にありよかったとなります。こうした、理論を基にすると、高齢者が「昔はよかった」というのは当然のことです。問題は、昔に憧れることではなく、現在に落胆し生活の意欲が低下することです。民生委員児童委員は、こうした諦めに視点を置き、残された人生に対する喜びを思い起こさせる「励まし」が必要だと思っています。

この投稿シリーズ『民生委員児童委員試論』は、現役の民生委員児童委員に対して、そんなに力んで活動しなくても良いです。もっと肩の力を脱いで活動してくださいというメッセージと応援を意図して書いています。また、このような形で民生委員児童委員活動がやれるのなら『一肌脱いでみるか』と思ってもらえ、民生委員児童委員になってくれる人へのお誘いの意図を持って書いています。どうか、民生委員児童委員に対する理解をお願い致します。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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