かじってみよう社会学Ⅱ第9講『社会的ディレンマ』(social dilemma)
私たちが日々暮らす中で良く体験することに「こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず」等と言ったことがあります。その間に入った人は、どちらにも荷担できず「板挟み」になって頭を抱えてしまいます。
この様状況(ディレンマ≓ジレンマで良いかな!)は、二つの選択肢から一つを選ばなければならない状況下で、どちらを選んでも片一方に望ましくない結果や不利益が生じる点が特徴です。この様な状況に似たようなことで、個人と社会にあてはめて見たとき、私たちの「判断」を問われる場面が結構あることに気づきます。今回は、『社会的ジレンマ』という状況を知り、解決策は一朝一夕には生み出せないものの、そうした場面で自分はどのような振る舞いをするのかを考える機会になれば幸いと考え、このテーマを選んでいました。
始めに『社会的ジレンマ』を簡単に説明しましょう。『複数の行為主体のおのおのが自己の利益を求めて行動すると、個々人の行為が社会システムに与える影響は微々たるものであっても、其の集積結果としての社会にとっては、本人も含め望ましくない状況を生む』(新社会学辞典)『社会的ジレンマとは、短期的・利己的にメリットのある行動(非協力的行動)を行うと、長期的・社会的にデメリットが大きくなる社会状況のことである』(筑波大学)また、『個人の合理的な選択が社会としての最適な選択に一致せず、乖離が生ずる場合の葛藤(ジレンマ)をいう。』(Wikipedia)
非常に簡単に言えば『私一人くらいやってもたいして問題は出ないだろうと思って行っていると、社会全体としては大きな影響が出てしまう』と、いう社会現象です。
概ね『社会的ジレンマ』のイメージは掴めたと思います。その上で、一度は関わったかも知れないような汎用性のある事例を挙げてみます。
其の一『駅前の自転車』駅前の放置自転車は、禁止を無視して止めた方が通学に都合がよく、電車に遅れそうなときは尚更、禁止は分かっているけど一台くらいなら問題にならないだろうと駐めてします。しかし、同じようなことを考える人が出て来たり、一台停まっていると私もとなり台数が増えていく。こうして放置自転車が増えていくと、交通渋滞や通行障害を招くことになります。また、撤去のために税金が増加するといった社会的コストの膨らんでしまいます。この様に個人の合理的判断(便利)は、社会取っては無視でない問題を生んでしまいます。
其の二『ゴミのポイ捨て』だいぶ前になりますが、地元の中学生の提案で始まった、故郷の活性化の一環で進められた『「30年後の故郷に贈る ふくしま浜街道・桜プロジェクト」活動に参加したことがあります。その際、国道や県道沿いのゴミ拾いを行い、原発で痛めつけられた故郷の30年後に桜並木をきれいにして贈ろうというものです。道路の法面や水路には、ビニール袋に入ったお弁当の殻やタバコの吸い殻、ペットボトル等々、車から投げ捨てられただろうと思われるゴミが沢山集まりました。長い国道沿線で車を走らせれば、風景は流れるように変わり、そこに弁当の殻やペットボトルを投げ捨てても『ゴミ』と認識できない状況で走り去ります。投げ捨てた当事者からすれば、室内はきれいで住み心地が良いのでしょう。同じように考える人が『一人の弁当殻』等たいした量ではないと思って投げ捨てているのかも知れません。でも、集まったゴミの量からすると一人や二人の問題では無いことは一目瞭然です。一人の快適な空間づくりで、地域の美化が損なわれ、中学生の夢まで打ち砕いているのです。
其の三『いじめ』 ある児童がいじめを見たとする状況下で、個人としては傍観する方が得である。止めようとするのは危険なのである。いじめを止めようとした結果、いじめられたという話を多く聞くからです。いじめられる端とは様々です。しかし、其のいじめを止めようとしたり止めさせようとした結果は、自分がいじめられそうになるリスクを背負うようになることは共通しているようです。この為、いじめを止めようとするのは危険で、だから、傍観者になるのが、個人としては楽な「選択」であり、得な「選択」となってしまう。しかし、全員が傍観者になり誰もいじめを止めないと、いじめが横行する状態になり学級崩壊にもなりかねなく、成員全員にとって損な状態になってしまう。一人ひとりが個人として得な「選択」した結果、全体としては全員が損をする状態になってしまう。
このことは、学校のいじめ問題だけではなく、様々な社会関係の中で起きています。自分が不利になる損をするという実利的な場面だけではなく、上司、発言力の強い者との関わりの中では、保身や幾ら語ってもどうせ無理だから等々と口をつぐんでしまう。今、国政選挙が始まります。この時も、誰がやっても変わらない、たった一票で何が変わるの、今日は天気が悪いから等々、その人個人の理由(判断)で投票に行かない。前回の令和6年10月に行われた第50回衆議院議員総選挙では、投票率52.16%でした(宮城県)。何と、907,997人もが棄権しているのです。こうした結果、私たちが選択した『社会』は、社会全体として損をしていないでしょうか。
『一朝一夕には難しい社会的ジレンマの対策』 そうは言っても何らかの手がかりが必要なので、ここでは、代表的な二つのアプローチを示します。個人の行動変容を促す心理的アプローチである『心理的方策』とルールや制度を設ける『構造的方策』です。
『心理的方策』 個人の意識や行動を変えるという行動変容を促すことを目的とします。①情報提供:問題の深刻さや協力のメリットを伝える。②教育:環境問題などに関する知識を深める。③信頼の醸成:他者への信頼を高め、協力行動を促す。既にやっていることではありますが、地道に時間をかける必要性がありそうです。ただ、情報提供に関しては、もっともっと出す必要があるし受け止めてもらえるような出し方に工夫が必要だと思っています。
『構造的方策』 社会の仕組みやルールを変更又は厳格化・明確化することで、協力行動を促します。①罰則の導入:非協力的な行動に罰金を科すなど。②インセンティブ:協力的な行動に報酬を与える。③ルールの明確化:ゴミの分別ルールなど、行動規範を明確にする。罰金や報酬での対応には共感しかねます。お金での解決は、人の調整能力・判断能力を妨げます。選挙が近くなると、経済対策の名目でお金をばらまく。支持率が上がる。何とも嘆かわしい現実です。ルールの明確化をしつつ整った状態の心地よさを繰り返し見せていく方法が良いと思っています。
この様に『社会的ジレンマ』は、一個人に取っては合理的判断なのだが社会にとっては大きな損失をもたらします。ゴミのポイ捨て等は、明らかに自分が関わってはいないことを胸を張って言えると思いますが、地球の温暖化、マイクロプラスチックで汚されている海洋汚染、二酸化炭素の削減、公共交通機関を利用しないで自家用車対応、過剰包装、安い食器を選んで漆器の伝統を衰退させている、セルフケアを怠り病院に駆け込む等々、挙げれば切りが無いほど自分の便利さ等の自己都合を優先させていることにより、社会に大きな負荷をかけていることに気がつきます。
社会的ジレンマという視点で、今一度自分に振る舞いを考え直す機会をもっても良いのかも知れません。今暮らしている地域社会、もっと大きなことを言えば、この地球という素晴らしい環境を後世の子どもたちに残してあげるように意識して振る舞う。これは大人の責任として考えなければいけないことのように思います。

