永平寺への未知・みち15日目(6月08日)

菩提寺(仙台市)から永平寺までの700キロ15日目(6月08日)の様子です。

上越市柿崎区の宿の近くで親鸞聖人に関する碑がありました。今日は、そこから20キロ先の上越市長浜を目指して歩きました。

出だしは曇り空で助かった〜って思ったのですが、晴れたり曇ったりで、湿度の高い一日でした。上越市直江津に入ると、親鸞聖人に関する碑が多く見かけるようになりました。

四国では、弘法大師空海の法力を自在に操った逸話が多く残されているのですが、ここ直江津では、民と親しく関わりわかりやすく説法をしている様子が伝えられています。

私は、さしたる根拠があるわけではありませんが、ここ二日で親鸞聖人に親しみを感じています。四国に行くときに空海に関する本を読んでいましたが、この旅が終わったら親鸞聖人に関する本を読んでみようと思います。確か、上下2巻の本があったように思います。

今日は21.4キロ7時間17分3340kcal平均2.9km/hでした。25キロ前後の行程だと、最後の1時間は、地を這うようなバテバテの歩きになります。今回の様に20キロ少々だと、最後のバテバテ時間が少ししか無いので、宿について動けなくなるようなことはなくて、だいぶ楽な感じがあります。

明日も20キロ少々の行程です。今日と同じように日本海を見ながら歩きます。

六地蔵
念仏の弾圧によって京を追われた親鸞が、流罪先のここ越後国府についたのは、承元元年(一二〇七)雪国の長い冬が終わりを告げるられています。この木像こそ、現在国分寺境内の竹之内草庵に安置されている頃、親鸞三五才の春でした。この地で七年間過ごした親箸は朝廷より罪を許され、関東へ布教に向うこととなりました。親鸞は、別れを惜しむ信者のため、自身の姿と記念に残しておこうと思い立たれ、この池に姿と映して木像と刻んだと伝え「伝親鸞聖人座像」(上越市文化財)と伝えられています(新潟県上越市)。
この地で遅めの昼食 教えていただいた凍っている飲み物
これはイイ!宿を出て直ぐに見つかると最高なのだが。
越後国分寺
誰もいないようだったので本堂で声を出してお経を唱えたら売店で昼寝をしている人が起きてしまった。相手と私、二人びっくり
流罪から戻って来た上陸の地(上越市直江津)
親鸞聖人上陸の地は、現在、若者は波に乗り子どもたちは波に追われて遊んでいました。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

永平寺への未知・みち15日目(6月08日)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    今日は昨日より海沿いの道を歩かれたのですね。
    サーファーや子供達の姿が見えたり、潮風が夏の香りを運んでくれたのではないでしょうか。

    四国お遍路では弘法大師空海の軌跡を辿って、その姿を近くに感じながらの旅路の様でした。
    ところが今回は、ここまで黙々と歩く日々が続いて、地元の方々との関わりも少なく来たことは、随分と心許無かったこととお察しいたします。
    ようやく新潟県上越市に来て、この地域にのこる親鸞聖人にまつわる木像やお寺を訪ねることが出来て、心の落ち着きを取り戻されたのではないでしょうか。
    やはりご加護のなかにあったことを実感されているのかもしれません。

    『誰もいないようだったので本堂で声を出してお経を唱えたら売店で昼寝をしている人が起きてしまった。相手と私、二人びっくり』
    これには私も思わず笑ってしまいましたが、そちらの方は寝ぼけて「親鸞聖人が出た!」と仰反るほど驚かれたのではないですかね(笑)

    明日も今日と同じ位の距離とのこと、ご加護を胸に感じながら歩けますように。
    お疲れさまでした。

    「冷梅」ナイスでしたね!

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