土佐湾を上から下から眺める(3月30日18分日目)

全体的にアップダウンの多い行程を歩きます。前半は峠越えを含めた遍路道を歩き、後半は海を見下ろす高台を歩きます。厳しいアップダウンはありましが、20kmを少し超えるだけの短めの距離だったので、時間を気にしないで歩けました。36番札所青龍寺1霊場のみの巡拝です。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

土佐湾を上から下から眺める(3月30日18分日目)” に対して1件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    18日め,急傾斜の階段等ありましたが、20kmを少し超えるだけの距離で青龍寺1霊場のみの巡拝,時間を気にせず歩けて良かったですね。

    『○○之妻墓』と刻まれた墓碑。今から約200年位前の時代の女性は名前を持てなかった?「え~・・ホントスカヤ。普段の生活で女性はなんて呼ばれていたのでしょう?!」と,またまた知りたい気持ちがワクワク湧いてきてしまいました。

    江戸時代は「士農工商,身分制度の時代」と言われ,安定した時代ではあったけど,その背景には厳格な身分制度があったようです。名前も皇族のものだったのかもしれません。今では当たり前の「子」は,華族の女性たちがつけていたとか。一般の女性でも名前に「子」がつけられるようになったのは1900年代以降のようですね。
    その後のおもしろい話を見つけました。

    明治4年の神奈川県のある村の戸籍の女性288名全員の名前を調べてみたというのがありました。どんな名前かと言うと,「まつ」「つる」「たけ」「きく」「くま」など,すべて「ひらがな2字2音節」だったようで,それに「お」をつけ「おまつ」さんとか「おつるさん」とか呼ばれていたようです。
    こうした事実に驚いた外国人のラクカディオ・ハーンは,『日本の婦人名』という文章の中で,『日本の女性の名前が,木の名や鳥,花の名前からとっている』とか,『(日本では)道徳上の美しさが,身体の美しさよりはるか上に置かれていることは,これはただ,りくつの上ばかりではなく,日常生活でもそうなのである』と書き,日本人独特の道徳的な考え方に驚嘆したのだとか!

    『遍路沿いのお墓という今に残る姿で知ることが出来ました。古くからの遍路道を歩いたからこそ知り得たことです』と書かれていましたが,お陰様で,私も興味深い名前の歴史を知ることができました。そして,『昔からの遍路道は、人々の手が入ってこそ、現在の私達が歩けるのだ』ということもわかりました。本当にありがたいことですよね。

    仁王門からの本堂まで170段の石段のお話の『ご大使様,ゴムタイナ~!』は,これまでの「イイノスカヤ」「ホントスカヤ」「ナニスヤ」「コレダデバ」と似ている感じもするけど,私は聞いたことがないのです。かなりの急傾斜のようで,キツイお遍路を歩いてきての急な階段。こんなときに使う言葉の意味とはさて?
    頭に浮かんだのは「勘弁してくださいよ,ご大使様~!」だったのですが,さて,みなさんはどんな意味だと思ったでしょう。

    やっと辿り着いて、振り返って真っ逆さま状態の石段を見たときに思ったこと。
    「波切不動明王」が漁師や船乗りなど海の仕事に携わる人々の海上安全や豊漁にご利益があると信仰を集めているそうですが,先生が感じられたように,住民の皆さんには境内の全てが心の灯台のようになっているのではないでしょうか。
    お泊りした「民宿みっちゃん」とこは,このお正月の大地震の影響は何もなかったですよね。お孫さんも心配したことでしょう。

    先生,波の音が聞こえるところにいると二十歳の頃の自分を思い出し,『あの時に考えていたなりたい姿を半世紀を過ぎた今でも追い求めている』って,なんて素敵なんだろうと思います。若い頃から素晴らしいことを考えていて,今もそれに向かっていろんなことを想い,考え,行動しているということ。そういう生き方って本当にカッコいいなと思うんです。

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