息は切れないけど、足首や膝が軋む(3月16日/4日目)

四国八十八ヶ寺歩きお遍路の4日目です。焼山寺山の広い裾野から長いながい下り坂を歩き続けます。前日の疲れが抜けていない中での長い下り坂は、息を切らす登りとは異なり、足首や膝が軋むように感じ足腰にこたえます。今日は、13番札所大日寺と14番札所常楽寺との2霊場を巡拝します。

追伸 パソコンが復活しました。少し、前の設定状態に戻ってしまいましたが、データが消えることも無く、何とか動いてくれています。助かりました。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

息は切れないけど、足首や膝が軋む(3月16日/4日目)” に対して4件のコメントがあります。

  1. 阿部 優 より:

    今日は下りかぁ。右膝がもつかな。
    4日目、お疲れさまでした。自分が下ってる気分を存分に味わった。

    疲れが取れる睡眠
    ① 時間を長く取る
    ② 早く寝て早く起きる
    ③ いい住環境で眠る
    ④ 気分よく床に就く

    昔の人たちの「地域活性化事業」は、自分たちの土地は特別なのだと主張している
    ようで、とても興味深い。天狗・河童・神様・殿様・詩人などの逸話がどの地域にもある。
    現在でも、ツチノコや伊達政宗で地域活性化を狙うまちもありますね。観音信仰もその一つかもしれません。先祖代々信仰が続くと、遺伝子レベルで子どもにも伝わります。

    また、途中で帰路に着く=「挫折した」ではない。死ぬ前に後悔したこと第一位は、挑戦しなかったことだ。挑戦できたのなら、後悔する必要はない。結願できなかったのは『結果』でしかないからだ。とその彼に伝えたい。

    本日もありがとうございました。

  2. いくこ より:

    奥会津只見線の旅から戻り読ませて頂くと感慨ひとしおです。山間をぬける車窓からの景色と下車して線路沿いに歩き見た景色、地元のかたとの小さなふれあい、そして途中お参りした圓蔵寺の弘法大師像に先生のお遍路を思っておりました。スマイルさんも書かれていました『結果が伴わないことは~』の一文は私も深く響く言葉でした、実はそう思いがちな自分の在り様を思うからですが心に刻みたいと思います。
    フルーツ牛乳!私はリンゴジュースです、弘前にほど近い母の実家近くのお風呂屋さんでは、牛乳瓶に入ったリンゴジュースが売られていました、腰に手を当てるで思い出すのはあの甘酸っぱい味です。今週もありがとうございました。

  3. スマイル より:

    『結果が伴わないことは即だめなこと、という考え方では無く、自分の気持ちを大切にして「挑む」、一歩を踏み出す、そのことに価値を見いだす、何より大切にする、そんな意識、そんな価値基準のある社会が必要だと思うのです』という文章が深く心に残りました。これを読んだら、その日に家路につく選択をした方がどれほど救われるでしょうか。同時に、日々の暮らしでも、とても大切な意識、価値基準だと思います。成果を求めてばかりいる人生はなんとも味気ないと感じます。どんな年代の人でも「やってみたい」と思う自分の想いや気持ちを何より大切にしてもらいたいし、その実現のために工夫したり時を待ったり、というすべての過程を楽しめるようであるといいな、私もそうありたいな、と思いました。
    本間先生のお遍路報告は、直接お話を伺っているようなとても自然な語り口で、誰のものでもない本間先生にしか書けないものになっていて、とても素敵です。

  4. ハチドリ より:

    4日めも頑張りましたね。
    書籍情報ではなく,前日の大変さを当然知っているであろう遍路宿の方に勧めていただいた玉ケ峠コースを選んで歩かれたこと,私はとても本間先生らしいと思います。

    それにしてもです。
    確かに,前夜温泉に浸かり、フルーツ牛乳を腰に手を当て一気飲みしたり(見たかった),優しい宿のご主人のお言葉に身も心も癒やされたのだとは思いますが,よく,前日の疲れを忘れて颯爽と遍路宿を出るくらい体力を回復しましたね。すごいです!感心してしまいます。

    さて,そうは言っても,やはり宿を出て直ぐに登り始めから凄い坂道だったのですね。ただ,『2キロで200m高度を上げ標高455mの玉ケ峠を目指す』という部分,何か,私もそれを実感できる何かないかなと考えてみました。
    ありました!
    私の故郷には,駅から歩くと約6.5㎞の高さ224メートルの360度のパノラマの風景が見れる加護坊山があります。しかし,玉ケ峠の3倍以上の距離なので非常になだらかで道路も整備され,ハイキングにちょうどいいくらい山なのですが,距離を3分の1に縮めて歩くとなればかなりのきつさかもしれません。あっ,だいぶ比較対象を間違えてしまいました。岩の間を縫うように歩いたり,急峻,そして道が分かりにくいという「遍路道」と比べる所ではないです。大変申し訳ありません(^^;)。

    飛び立つ鳥の形をした遍路小屋から見えた景色,日本昔ばなしに出てくるような風景だったようで,『一瞬だけ修行僧になったような、そんな感じを抱かせてくれます』を感じることができたこと,やっぱりこちらのコースにしたご褒美だったのでは?
    坂道の途中の新聞受けの話もいいですね。本当に住民の方の優しいご配慮を感じますね。

    両手に包まれるように立つ「しあわせ観音」のお話,本当にどうして観音様には特に優しさを感じるのでしょう。確かにこの様な感覚はどこで身につけたのかと思います。
    一次社会化?一昨年の『かじってみよう社会学』を思い出しました。先生はお母さまから観音様のお話を聴いていたあたりかなと感じていらっしゃるのですね。私はあまりそのような記憶もなく・・,でも,なぜ観音様を見ると母を想うのか,それを探るのもまた楽しい感じがします。

    最後に,『挫折』という言葉は安易に使わないようにしたいと思いました。

    追伸
    ずっとこれを書いている間,フルーツ牛乳が飲みたいなと思いました。
    どこで売ってるだろう。

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