OOC活動事例をお寄せ下さい(11月1日~11月7日迄の分)

世の中は、紅葉や芋煮会等々、外で活動する機会が増えているようです。中には、今はやりのインフルに罹患し、関節の痛みに耐えながら床に伏せっている方も居るようです。

そのような中で、様々な出会いや「失敗」そして「おせっかい」の機会も多いのではないでしょうか。

出会いの数だけドラマがあります。些細な(と本人は思っているが意外と凄い)「おせっかい」を楽しみにしています。

上記の期間中に何編でもお受け致します。ドシドシ、書き込んでください。お待ちしています。書き込みは、この下にある「コメントを残す」にお願いします。新しい書き込みのルールは、「事務局からの連絡」に示しています。そちらをご覧下さい。

町内会主催もみじ祭り(10月29日)
定番のいも煮
結構な量が出ました

親子連れ、ご近所で車座、四世代で参加等々、様々な絵になる様子がありました。10組ほどの方に、写真屋さんで現像し額に入れてプレゼントしました。良い記念になったら嬉しいです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

OOC活動事例をお寄せ下さい(11月1日~11月7日迄の分)” に対して9件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    町内会でのもみじ祭りと定番の芋煮の風景,「あ~,なんて楽しそう!いいなぁ」と思います。結構な量の日本酒も美味しそうなものばかり。コロナで失われた数年間はありますが,あの時の経験や反省もまた生かし,きっとこれまで以上に素敵な町内会になることでしょう。写真も喜ばれたことでしょうね。あがっせで笑顔NO1だったおばあちゃまは,額入りでいただいた写真を「亡くなった母親とそっくり」と言って,しばらく眺めていたそうです。

    さて,記事の冒頭、様々な出会いや「失敗」とあったので,私の大失敗の「おせっかい」を紹介したいと思います。

    私の実家の母親は4年前に亡くなりました。
    若い頃はきれい好きで,私は渋々,家の片づけや掃除を手伝わされていました。そんな母親も80歳になる頃に腰を悪くし,細かい動作は難しくなり,ベットの生活になったのですが,実家に行くたびに部屋の物は増え,ベット周辺には何でも置いてあり,下にはワインがあったり(笑)。タンスに入りきらない洋服はハンガーにもたくさんかけられていました。母に聞けば,「いつか着るから」とのこと。増築した部分には,いつから置いてあるのかわからない,昔むかしのぜったいにもう着ないだろうと思われるズボンや服らしき物が変色したダンボール箱にぎっしり入って重ねてありました。

    ある時,母は仙台の整形外科に入院することになったのですが,今後,安全に歩くところを確保しようと,兄夫婦とも相談し,母が入院中に少し部屋を片付けるという「おせっかい」を行ったのです。押入れの上部には,お宝鑑定団に出したらそれなりの値がつくようなものも出てきたのですが,とにかくもう不要と思われるものはゴミ袋に入れ,あとはまだまだ気になったけど,無くなったと心配されるかもしれなかったので,ほどほどで止めた片づけでした。

    そして整形の治療も終わり,無事に退院してきた母親でしたが,ある日,兄嫁から電話がかかってきました。
    「お義母さんが泥棒が入ってくる・・って言ってきかないの。気持ち悪いから電話で話を聴いてみて」と。

    勤務中だったけど,心配ですぐに電話をしてみました。
    すると「あのや~,おれが入院してる間に誰が出窓の外から入ってきて,段ボールごど持っていったみでだ」と言うので,「それには何が入っていたの」と尋ねると「昔の服」とのこと。
    あ~~,あの変色したダンボール箱だ(^^;)!
    出窓の外からは,人が入るすき間は何もないのですが,母親は当時は私も気づいていなかった,『レビー小体型認知症』と言って,記憶の問題はそれほどでないのに,本来は見えないものが幻視となってリアルに見える症状がでていたようなのです。そのダンボールは母親に相談なく処分していたのは事実であり,退院して来て,あるはずのものが無くなっているのを見た母のショックの現実と病気の症状が重なってしまったのだと思います。いや,母の心のありようが症状を引き起こさせてしまったということなのではないかと思うのです。
    ごめんなさい,おかあさん!

    私の,よかれと思って行った大失敗の「おせっかい」でした。
    こちらがゴミと思うものでも,本人にとってみれば大切な意味を持つものなのです(と,今では偉そうに言えます)。どうしても片づけなければならない場合は,何とかして本人に聴きながら,確認しながらが行うことが大切なんですよね。

    今頃,空の上から笑ってるかな。
    すごくきれいな薄紫色のりんどうを仏壇にお供えしてるから,許してね( *´艸`)

    1. いくこ より:

      ハチドリさん
      そうなのよ~そうなるよね~って言いながら読みました。3年前に亡くなった私の両親もきれい好きでしたが、実家をたたみ同居するようになった頃から、物を処分して転居してきたはずなのにいつの間にか身の回りに物が増えていきました。今思うと年を重ねる不安と、住み慣れた家を離れる悲しみを、物でまぎらわせていたのかもしれません。でも、ハチドリさん、本人に確認すると捨てて良いとは絶対に言いませんでしたよ 💦
      今は、内装屋さんだった叔父が「夜中に泥棒が入って工具を盗まれる」と言って叔母を困らせています、誰も触れていないらしいのですが。どうなだめるか思案中です。

      1. ハチドリ より:

        いくこさん,そうなんです!
        「これ,捨てていい?」と聴いても,絶対に返ってくる言葉は「いや,まだ投げねでけらいん。あどで着っから」でした。でもそうだとしても,例えば「ここに孫らの物を置きたいから,この箱ちょっとあっちに片づけておいてもいい?」とか,なんか工夫して言えば良かったなって。そしたら,「誰かが持っていった」とは言わなかったかもしれない・・って思うの。
        私がグレーのベレー帽をかぶって部屋に入っていった時,突然悲鳴をあげて「どうしたんだ,その頭!髪の毛みんな抜けてる」と言った母。これは幻視ではなく見まちがいで,やはり症状としてあるものだけど,ベレー帽を見せて説明をしたらその次からは言わなくなりました。

        いくちゃん,その内装屋さんだったおじさんのこと,気になる~。泥棒さんのことがリアルに具体的に見えるのかしらね??(これは近々,コーヒーでも飲みながら)

        1. いくこ より:

          ハチドリさん
          そう、今困っている叔父と叔母になにかしてあげられたら嬉しい、両親への供養にもなると思っています。コーヒータイム楽しみに待っています。

    2. 鈴虫 より:

      ハチドリさん、いくこさん
      お母さん達のお話しを私も「そうそう」と頷きながら読みました。
      私の母は同じ事を何度も繰り返す常同行動が目立ってありました。一日置きにスーパーへ買い物に行って、助六寿司、ヤクルト、ポテトサラダにカニカマを買って来るのですが、食べきれなくても毎回同じ物を買って来ては冷蔵庫に重ねていくのです。賞味期限なんて分からなくなっていたので、先入先出しが出来ない。
      私が古い物を処分するのを見て、「鈴虫はいつも私の物を捨てるからダメだ!」と言って、私のことを本気で追いかけ回したことがありました。私が母の敵ですって?
      とっても悲しかった、、。
      そんなことがあってからは、私が全く同じ物を買っていって冷蔵庫の中の物と入れ替えるようにしました。
      良かれと思ったおせっかいが本人には大迷惑だったのですね。
      こんな変化も全ては病のせいなんだと自分を納得させながらの日々でした。

      4年前の今頃、グループホームにお世話になっていた母を実家で看取る為に休職していました。
      母のそばで過ごした時間はあっという間に終わってしまったけれど、沢山の人に支えられながら自分のベットで迎えた安らかな最期でした。

      私も母の様な最期がいいなと、子供達に見せられたのは良かったと思っています。

      1. ハチドリ より:

        鈴虫さん,私が前の前の職場でお世話になったのですが,本間昭先生という認知症の専門の先生は,診察室でだけ患者さんを診るのではなく,お家にお邪魔して,冷蔵庫の中とかを見せてもらうんだ・・と語っていたことを思い出しました。

        鈴虫さんは,休職をして最期,お母さまと過ごされたのですね。
        お母さま,住み慣れたご自宅で,そしてご自分のベッドで,みなさんに見守られながらの最後を迎えられ,どんなにか安心なさったことでしょう。
        鈴虫さん,最高の親孝行をしましたね。いつも深い愛を感じます。

        私の場合は,母の診断名もわかり,「さてこれから,毎週でも週末は帰って母と過ごそう」と思った矢先に,あっという間に病院のベッドで亡くなってしまったので,この無念さはずっと消えないかもしれません。でも,だからこそ,ここに書かせてもらったり,やりとりをさせてもらうことで,気持ちが少しでも穏やかな感じになるのを実感でき,とてもありがたく思っています。

        1. 鈴虫 より:

          ハチドリさん
          心の内を誰かに話すことって、とても大事な立ち直りのプロセスではないかと思います。
          何の答えが無くてもいい、ただほんの少し吐き出せればそれでいいんですよね。

          そんな話相手に選ばれたら、OOC冥利につきますね🤗。

          コメントありがとうございました😊

      2. いくこ より:

        鈴虫さん
        4年前の春先から私の母も歩くことが難しくなり介護にかかる時間が増していった時期でした。自宅でみていましたが幸い父が頑張ってくれたので二人で母を支えることができました。そして年が明けて3月家族が帰宅し皆が揃うのを待っていたように夜半、私と妹に手をとられながら静かに旅立ちました。母を見送った父は墓の建立に立会い、百ヶ日に集まった親族と上機嫌で話し、安心したように5ヶ月後の8月母の元へ行きました。今は逝く姿を見せてもらったことに感謝の思いでいます。ただ私も一生懸命でしたが、もう少しの工夫でお互いに楽になれたのではと思うことも少なからずあって、叔父のことを思っています。

        1. 鈴虫 より:

          いくこさん
          家族を看取ったみなさんが同じように語られますが、「もっと何か出来たんじゃないか」という思い。
          どれだけ精一杯を尽くしても、これで良しということはないのでしょうね。

          当時、沢山の方々が家族と一緒になって母の晩年を支えてくれました。
          誰でもわからないことだらけの親の介護ですもの、少しは経験のあるものとして地域に恩送りしていきましょうね😊

          叔父さん叔母さんのお話を丁寧に聴いてあげるだけでも、だいぶ介護負担感は軽くなることでしょう。
          そんなおせっかいがさらっと出来るおばちゃんでいたいものですね😊

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