子ども達と歩いた大月遍路道(4月6日25日目)
38番札所金剛福寺から39番札所延光寺までの85キロメートルを2泊3日かけて歩く、2日目です。一日中雨降りの中、波の音が近くで聞こえたり遠くから聞こえたりする遍路道をもくもくと歩きました。前半は平坦地を地形に合わせてうねうねと歩き、後半は月山神社につながる遍路道で、それ以降は、山道をアップダウンしながら山の中を歩きました。
38番札所金剛福寺から39番札所延光寺までの85キロメートルを2泊3日かけて歩く、2日目です。一日中雨降りの中、波の音が近くで聞こえたり遠くから聞こえたりする遍路道をもくもくと歩きました。前半は平坦地を地形に合わせてうねうねと歩き、後半は月山神社につながる遍路道で、それ以降は、山道をアップダウンしながら山の中を歩きました。
子どもたちと歩いた25日目,お疲れ様でした。
小学生が入るには大変に感じる場所の道々に子どもたちが手書きで書いた『お遍路さんを励ます言葉』がたくさんある。一枚一枚立ち止まって読み、その都度「有り難う、頑張るからね!」と、それは言いたくなりますよね。本当に、なんともかわいらしく、心強い「おせったい」でしょうか。そばに子供たちがいて一緒に歩いて守ってくれていたことでしょう。
地元の方からもぎ取っていただいた小夏もさぞかし爽やかで美味しかったと思います。実食済みなのでよくわかります(笑)(私は昨年,先生の記事を読み,どうしても小夏が食べたくなりネットで注文。カットの仕方も独特でしたが白い綿も一緒に食べ,本当に爽やかな酸味と甘さで大満足の小夏ちゃんでした)
自分の家で食べると言うより,お遍路さんにぜひ食べていただきたいという思いで地元の皆さんは気候も生かし,柑橘類の木を植えてきたのかもしれませんね。鈴虫さんが書いてくださいましたが『出番こそが喜びであり、見ず知らずのお遍路さんを温かく歓迎する原動力だったに違いないと、胸が熱くなりました。』と言う鈴虫さんの考え方に脱帽です。 なんて素敵な『地域文化』なのだろうと思います。
そして、いくこさんも心に残ったと言う『長い時の流れという水にさらされることで灰汁(アク)が抜けるように、恣意的なところが消えていき、地域社会の人々の生活の中に定着し、それが二次社会化過程を経て住民に共有され、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)として今日に引き継がれているように思います。』というところ,先生らしい素晴らしい表現だと思いました。恣意的なところが消えて地域社会の人々の生活の中に定着していく,それが『地域文化』なのですね。
最後,雨降りの山の中で道に迷って地図が相当ダメージを受けたようですが,明るいうちに宿に着けて良かったです。あと半分以上の日程があるので,まだまだ地図は超必需品です。しっかりドライヤーで乾かしてください。まさか,ご自宅に帰ってから同じ地図は買わないかと思いますが,きっとボロボロの地図もいい思い出になるはず。
足の痛みはどうですか?明日もどうぞがんばってくださいね。
地元の小学生の可愛らしいおせったいに励まされ、足元はよろめきながらも心は温かく歩けたことでしょう。
数百年も受け継がれてれきた『おせったい』の文化は、お遍路さん達を見守り、時に勇気づけるという出番を地域の人々に与えてきたのだと思います。
その出番こそが喜びであり、見ず知らずのお遍路さんを温かく歓迎する原動力だったに違いないと、胸が熱くなりました。
時代は変われど人々のより良く生きたい気持ちは普遍であると知ることが出来たことがとても嬉しく、現代に生きる私達の行ないも間違いなく未来へと繋がっていくのだと希望が湧いてきました。
今回もありがとうございました。
子ども達を感じながらの道行きは暖かなおせったいですね。文中『長い時の流れという水にさらされることで灰汁(アク)が抜けるように、恣意的なところが消えていき、地域社会の人々の生活の中に定着』というところが心に残りました。ちょうど昨日テレビで小学校行事として歌舞伎を地域住民に披露している小学校が紹介されていました。在校生は5人で演目は「白波五人衆」、45年ほども続き毎年変わる演目を地域が一丸となって支えていました。自らも卒業生で経験者という保護者が、芝居小屋まで用意していて正に生活の中に定着しているのだと感じうらやましく思いました。化粧やかつら衣装も本格的に整えられて、子ども達は誇らしそうな凛とした顔つき、今年廃校になりこれが最後とのこと残念です。
今週もありがとうございました。