津波被災者生活支援センターの提案
今日からの記事は、私が南三陸町で行った中核的な支援事業である「被災者支援センター」でのことに入ります。始めは、津波被災者生活支援センターの提案に至った経緯から書いて、その組織の概要や生活支援員さんの研修等にも触れます。いわば、スタート時点のことに付いて書きます。
始めに、被災者生活支援センターの提案に至った状況についてです。発災から1か月ほど経過した2011(平成23)年4月下旬、町民は避難所から応急仮設住宅に移り始め、阪神淡路大震災で大きな問題となった「孤独死」の対応が頭をよぎるようになりました。しかし、少ない保健師等の専門職は目前の避難所での感染防止業務等に忙殺され、介護保険事業者も著しい業務停滞に陥っており、応急仮設住宅に移り住む被災者に対して、個別に見守りを行うことまでは手が回りそうにありませんでした。また、国が想定している専門職を配置する被災者サポートセンターの仕組みでは、町内外58か所に点在する応急仮設住宅入居者に対応することは難しいと思いました。
こうした中で着目したのは、被災者でもある町民と緊急雇用創出事業です。私は、自ら被災しながらも町の復旧復興に何らかの形で役に立ちたいと考えている町民は多くいる、いるはずだと考えていました。更に、何より町民は生まれ育った地域社会を知り尽くしている。同時に、仕事の場を失った彼らに収入を得る機会を設ける場にもなる。こうした考えをもとに、多数の被災町民を雇用し、彼らを被災者支援の第一線に立つ生活支援員に据えた、被災者生活支援センターの設置を構想しました。
中には、素人集団で何が出来る、個人情報は守れるのか等々の声もありました。でも、私には自信がありました。多くの住民は、自分の住む地域社会に愛着と誇りを持っています。これは、県庁で長寿社会政策課や地域福祉課で、住民参加型の事業を行ったときに住民から学んだことです。特別養護老人ホームを住民参加型でつくったり(旧鶯沢町・利府町)、放課後児童の居場所づくりを地域住民と考えたり(川崎町)、地域の公園を子ども達の遊び場「わんぱく公園」として手を入れたり(旧若柳町)等々をとおして、住民の想いや地域愛を知っていたからです。私の中では、「根拠のない自身」では決してなく、明確な自信だったのです。
提案した「津波被災者生活支援センター」の概要で最も大事にしたことは、多くの被災町民を被災者支援の最前線に立ってもらう生活支援員とするということです。当時、様々な支援団体等から被災者支援の申し出がありました。著名な弁護士が代表になっている全国的な組織や各種団体等々から積極的なアプローチがありました。その多くは外からの支援団体・支援組織です。私には決定権がないので、基本的に三つのことだけ行政にお話ししました。
其の一は、地元を知り尽くし愛着のある町民の復興への想いを大切にしてもらいたい。其の二は、被災者支援センターは期間限定の組織ですある。この組織が役目を終えた後でも、被災者支援の経験を地元に残し、地域福祉の人財として復興に役立ててもらいたい。其の三は、この事業に投下される費用を出来るだけ地元町民の生活再建に使えるようにしてもらいたい。この、三点です。このように説明し、地元の社会福祉協議会は、地域福祉の推進に責任を持つ社会福祉法に定められた団体なので、個人的にはこの団体をお勧めします、と付け加えました。
当時の課長補佐は、黙って私の話をメモを取りながら聴き、様々な質問をして来ました。無理もありません、当時、各課が予定していた「緊急雇用創出事業」で計上していた人数は、多くて2,3人程度でした。そのような中で100人必要だと設計していたからです。こうした中で、その課長補佐さんは、たまたま押しかけてきた私を信用し、100人の雇用と運営事業費を補正予算に計上してくれたのです。南三陸町被災者生活支援センター設置の最大の功績者は、当時の課長補佐さんです。
ちなみに、この方は、現在、さんさん商店街の隣に整備が進められている、南三陸町伝承館「「南三陸311メモリアル」開設準備室長をしています。今年の10月1日に開所する予定です。この時期になりましたら、是非、南三陸町に足を運んでみてください。
公務員時代に育まれた「多くの住民は自分の住む地域社会に愛着と誇りを持っている」という本間先生の想い。そういう確信が育まれるような仕事をしてきたのだと、そのことが心に沁みます。その経験の全てがここに書かれてあることに繋がった。他にもたくさんの組織や団体からのアプローチが南三陸町にあった中で、先生が行政に伝えたという3つのこと。住民や被災してしまった方達の「今」と「その先の未来まで」真剣に考え抜いた上での提案だということがよくわかります。私が行政の立場でも、先生の提案を実現させるために奔走しただろうと思います。
この礎がこれからも南三陸町の方達の支えとなることを、そして誇りとなることを心から願っています。