御大師様のご加護(4月1日20日目)

足を捻挫していなくとも今日の行程はキツい歩きが予想されています。宿を出て直ぐの標高228mの焼坂峠及びそれを下ってから急な上りとなる標高409mのそえみみず遍路道は、捻挫した足では無理なので回避し、大阪遍路道経由で標高287mの七子峠に出て、その後ゆっくり下りになります。37番札所岩本寺の1霊場を巡拝しそのまま宿坊に泊まります。

37番札所岩本寺まで10㎞、痛みはピーク。
情けないけど、もう歩けないと泣き言を言いたくなる。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

御大師様のご加護(4月1日20日目)” に対して7件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    「奇跡体験アンビリーバボーのような、素晴らしい体験」とハチドリさんがおっしゃるように、正に奇跡的なご加護でした。

    前日の捻挫の報告に、誰もが青ざめ「先生〜〜!」と悲鳴をあげていましたよね。
    そこから一発逆転、栗原市民さんのお医者さまを手配して下さるというナイスフォロー‼️
    そんな劇的な展開なんて、そうそうあるものではないです。
    『袖触り合うも他生の縁』といいますが、そういう宿縁がこのご加護を引き寄せてくださったにちがいありません。
    栗原市民さんは「ご加護、ご縁が偶然重なり」と表現されましたが、決して偶然でなく先生にとっての必然だったのではないでしょうか。

    今回の先生の捻挫という危機的状況に、あらためて私自身に恵まれてきた「ご加護とご縁」に想いを馳せておりました。
    そのようなことに気がつけたからこそ、より深い感謝の気持ちが湧いてきます。
    このhp上で出会ったみなさんとのご縁も、きっと『他生の縁』。
    たいせつに大切に温めていきたいと思っています。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。

  2. スマイル より:

    「御大師様のご加護」というタイトルを読んで、みなさんどれだけホッとしたことでしょう!最初で最大の難関を歩き始めてまもなくクリアした時に、「このまま結願できるのではないか」と思い、きっと他の方達も同様に心の中に「いけるかもしれないな」という想いが湧きて来た時期だったと思います。

    そんな時の思いもかけない「捻挫!」。毎日精一杯を尽くしてもギリギリ、という日々だと拝察していたのに、捻挫とは・・・と、この先も歩けるイメージが全く浮かびませんでした。でも同時に「捻挫してしまって途中で帰ってくる」というイメージも浮かばなかったことも事実。「ではどうなるの?」と全く想像がつきませんでした。

    知らない番号から何度も電話が・・・という場面を想像したらなんだかこみ上げてくるものが。そこには繋いでくださった栗原市民さんの必死の祈りはもちろんのこと、駆けつけてくださったドクターの「なんとか夢の実現をサポートしたい」という想い(それは医師としてどのように歩んでいらっしゃったのかを象徴する姿でもあり、そのことに強く心打たれました)、そして毎日このホームページを読みながら応援し祈っていた方達の想いが結実しているように感じました。

    「奇跡」としか言いようのない出来事ですが、「奇跡」こそあらゆる必然の結果かのだと、つくづくと思った一日でした。この出来事は起こるべくして起こった。それはきっと、いくこさんのコメントに本間先生自身が書かれているように、なかなか気が付くのが難しいさまざまな「ありがたさ」に気づくため、だったのではないかと感じます。

    私は栗原市民さんがこの時とってくださった行動を一生忘れないでいたいと思っています。私もいざという時に、そんな風に最善を考え行動できる人でありたいです。ありがとうございました。

  3. ハチドリ より:

    20日め,セリーヌ・ディオンの目覚ましよりも早く目覚めたようですが,昨夜の応急手当てが功を奏したのでしょう。本当なら「やすみましょうよ!」と言いたいところですが,『痛みはあるけど,立てて,我慢すれば歩けそう』と聴けば,「うぅ,頑張って!!」と祈ってしまう自分がいます。
    回避できる大阪遍路道経由があって良かったです。出来るだけ止まらないようして,歩幅を狭くしながらゆっくり歩くという歩き方,とてもわかるような気がするんです。覚えておきます(メモメモ)。

    そしてそして,なんという御加護でしょうか。
    このホームページを読んで真っ先にお知り合いの先生に宮城から連絡を取ってくださり,その先生が駆けつけてくれるという奇跡体験アンビリバボーのような,とっても素晴らしい出来事だったですよね。先生に直接診ていただき,ドクターストップにはならないで済んだことは思わず万歳したい気持ちになり,特になんて素敵なんだろうと思ったのは『現状で大丈夫と言うことではないが、続けたいのだろうから、出来るだけ歩けるようにと、強めと弱めの二種類の足首固定用具等を持参し、提案して下さいました』というところです。
    無理と言ってストップさせるのではなく,大丈夫ではないけど,どうしたらやりたいことができるようになるかの手当てを考えてくださったというところ,本当に感動です。私からもお礼を伝えたいです。
    栗原市民さん,先生を繋いて下さり有難うございました。

    明日は急激な下りとのこと。
    私の捻挫の経験では,下りの重力がかかる方が重苦しい痛みが加わると言うことです。私は3階が職場でしたが,階段を上るよりも一歩一歩降りるときが辛かったです。時々足を高くしながらの休憩をとって頑張ってほしいなと思います。
    御太師様,どうかどうか明日もお守りください。

  4. 栗原市民 より:

    こんばんは皆さま
    ご加護、ご縁と偶然が重なり、両先生の
    再会をまさかこの様な場となるとは、思いもよらない事でした。
    先生が足を痛めた場所が高知県だった事、
    そして、翌日が土曜日であった事、
    捻挫を知り、真っ先に迷うことなく、
    石田医師に連絡をしました。
    当人には、何も断りもせずに。
    結果 無事で到着しての記念撮影の
    姿はこのブログで応援している全ての方々が安心されたことと思います。
    また、更に石田先生と、11月に再会を果たせ事、これもご加護。
    そんなありがたい場に居合わせ、ご加護のお裾分けを頂き嬉しい限り。
    嬉しい気持ちをお互いにお裾分け出来る
    社会でありたいです。

    しかし、今思えば、ほんとヒヤヒヤした
    土曜日でした。あの日は!

  5. いくこ より:

     好調な歩きの中で心配ないはずの平坦な道での捻挫、そこで我が身を振り返り傲慢さが無かったのかと自分に問い、ご自分の身体に回復を願い一縷の望みを持って歩き出した先に、思いがけないご加護と喜びがあった、人生そのものの教えですね。
    先週今週の2回を読ませて頂いてで深く心に沁みいるように感じました。
     昨年、けがをなさったと知った時は、お帰りになった時なんとお慰めしようかと考えておりました。先生の日頃のなさりようが呼び寄せた暖かな繋がりの結果なのだと思います、栗原市民さんに改めてありがとうございましたと言いたいです。
     「歩く」というとてもシンプルなことですが、もっと五感を使い感謝の心で磨きながら歩きたいと思いました、今週もありがとうございました。

    1. welfare0622 より:

      いくこさん
      いつも率先してコメント下さい有り難うございます。
      今日は、当時は知らなかったいくこさんの優しさに触れ、とても有り難く思っています。

      「お帰りになった時なんとお慰めしようかと考えておりました。」と。何とも有り難い、皆様にこの様な気持ちをさせていることなど微塵にも考えず、私は、一途の望みを持ちながらも、ただただ葛藤していました。残りは、まだ30日もある。お礼参りと高野山を含めると35日。距離にすると800㎞、これまで歩いた2倍近くも残っています。

      一般的な捻挫の時の対応は知っていました。基本は冷やすことと固定して安静、すなわち動かさないことです。なので、歩き続けることは、回復どころか悪化させるだけです。分かってはいるけど「何とかならないのだろうか」等々、考えても仕方の無いことを、ぐるぐるとため息をつきながら足をさするながら考えていました。

      この時は、だれでもない自分自身ただ一人との会話だけでした。そのようなとき、いくこさんは様々、案じてくれていたのですね。本当に有り難うございます。

      9ヶ月の時を経て、改めて御礼と感謝を申し上げます。こうしてみると、改めて、当時を思い出しながら四国八十八ヶ寺歩きお遍路紀行を綴る意味があるのだと、この返信を読みながら思っています。このような気づきについても、小田和正風に、身体を反らせて『有り難う~・・・!』です。

      1. いくこ より:

        あの頃、ここに集うみなさんそれぞれに心配なさっていたと思います、「先生、愛されてるね~」と思っていました。やはりそれは重ねてきた長いお付き合いのありようの結果なのだと思っています、先生のお人柄です。
        過分なお言葉恐縮です。

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