涅槃会(ねはんえ)2月15日
菩提寺「壽徳寺」(仙台市青葉区)で、壽徳寺と壽徳寺講共催で涅槃会が営まれました。私も壽徳寺講の一員なので出席しました。知っていても良いのかも知れないと思い、簡単にまとめてみました。
2月15日は、お釈迦様がお亡くなりになった日にちで「涅槃会」といいます。お釈迦様は35歳の時に悟りを開き、悟りを開かれた後は45年にもわたり、人びとに教えを説く旅を続けています。その伝道の旅の最期の地となったのは、クシナガラ(インドのウッタル・プラデーシュ州の東端)という所でした。
いよいよ自分の死が近いことを察したお釈迦様は、弟子たちにこう説かれました。「私の亡きあとは、私ではなく自分自身をより所として、また私が伝えた教えを、闇を照らすともしびとして、歩んでゆきなさい」と。お釈迦さまは個人崇拝の対象となることを否定され、弟子一人ひとりが確かに、自立して進むことを求めたのでした。そして「もろもろの存在は変わりゆく。怠らず精進しなさい。」という最期の言葉を残し、沙羅双樹のもとで枕を北にして、静かに息をひきとりました。
お釈迦様の命日である涅槃会の日には、全国各地の寺院でお釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」をかけて、そのご遺徳をしのぶ法要が行われます。私が出席した菩提寺の涅槃会は、このようなことで行われているものでした。本堂右に掛けられている「涅槃図」を正面にして、ご住職そして私たちが並びお経を唱えます。特別なお経ではなく「摩訶般若波羅蜜多心経」(般若心経)等、聞き馴染みのあるお経でした。
特段、信心深いとか言うのではありませんが、母を供養して下さっているお寺さんであることや四国八十八ヶ寺歩きお遍路で色々と学んだことで、住職の説法が身に染み込むように感じられます。終わってから「感謝」と言う言葉について、私なりの解釈を伝えましたら、「お遍路をしたからこその境地ですね」等と言われ、とても良い時間を過ごせました。
沙羅双樹のもとで枕を北にして、最期を迎えたその場所と伝えられるのがクシナガラの大涅槃寺涅槃堂です。このお堂の中に全長6.1メートルの巨大な涅槃像が祀られています。お堂は1927(昭和2)年にビルマの僧によって創建されたものですが、巨大な涅槃像は台座に刻まれた銘文からグプタ朝の5世紀の作例と考えられており、1876(慶応3)年、今から157年前にアレキサンダー・カニンガム(インドの仏教寺院遺跡の発掘に大きく寄与したことで知られるイギリスの考古学者)が近くのヒランニャヴァティー川の河床から発掘したものとされています。出典・参照:京都芸術大学通信教育部
涅槃会、私も初めて聞きました。
『特別なお経ではなく「摩訶般若波羅蜜多心経」(般若心経)等、聞き馴染みのあるお経でした』とのこと。聴き馴染みのあるお経こそ、自分の中で特別のものであるように思います。
お釈迦様が息を引き取られたときにすぐそばにあったと言う『沙羅双樹』!
はて、「さらそうじゅ」と読むのだろうか。人の名前?樹だから、植物なのだろうか?調べてみました。
はい、清楚な色の可愛い花が咲く木の名前でした。花言葉は「愛らしい人、清楚ではかない美しさ」でした。
平家物語の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色・・・」とあります。沙羅双樹とは『夏椿』の事で、朝咲いて夕散るはかない1日花なのだそう。お茶花として、そっと一輪生けてみたい・・、そんな気持ちになりました。
そして、『感謝』と言う言葉について、先生なりの解釈をいつかお聴きしたいものです。
涅槃会、初めて知りました、知るということは人生を滋味深いものにするものだと感じました。
ちょうど昨日、檀家寺から彼岸法要の案内が届きました、今日は別れた人々を思いながら過ごしています。
ありがとうございました。