豪雨の中でなぜか歩きお遍路を実感する(3月23日11日目)
徳島県(阿波の国)「発心の道場」23霊場を歩き抜いて、高知県(土佐の国)「修行の道場」に歩みを進め、三日ぶりに札所を巡拝します。札所間が約80kmを三日かけて歩く三日目で、一日中雨、それも豪雨で、雨が前から降ってきます。菅笠に当てる強い雨音で波の音さえ消されます。歩道は雨で冠水しているので、できるだけ深みに入らないように、目の前の一歩だけを意識して歩き、何かを考える余裕は全くありませんでした。
風が強く、菅笠を手で押さえながら前かがみになり、風にあおられないように踏ん張りながら足下だけを見ての歩きで、24番札所最御崎寺と25番札所津照寺の2霊場を巡拝します。
11日目、おつかれさまでした。今日は豪雨ですか。かっこいい。
きっと誰かがタクシーから本間さんを見かけて、何かを思ったでしょう。
自然と一体化できる状況は、厳しい天候に多いように感じます。雪の日に海釣りをしているとき、竿に雪が積もってくる頃に集中力が最大になります。波の音も聞こえず、竿先と手の感触だけに意識が向きます。だから、鳥に弁当を盗まれます。同様に大雨の中のゴルフも、打ち付ける雨音や風の音もだんだん気にならなくなります。ゾーンに入るというやつです。仲間たちは普段の実力が出せず、文句を言いながらスコアを崩しますが、僕はいつも通り。でもスコアは最下位という。
仏教の勉強をした学生の頃、中庸を知って以来、いまでも中庸であることを意識しています。だから揺れても戻ってきます。
本日もありがとうございました。
豪雨と強い風の中の11日目、お疲れ様でした。
24番札所最御崎寺の境内にある、『叩くと鐘のような音を発し、その響きは冥土まで届くといわれる「鐘石」』の岩の下の方からとても澄んだ音が返ってくるという話が興味深かったです。
よく「冥土のみやげ」とか言いますが、私は冥土とは「あの世」のことを言うのかと思っていました。しかし、『冥土(めいど)とは、生前に悪い行いをした人の魂がいく暗黒の世界で、「地獄(じごく)」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」の三悪道の世界』のことを言うのですね。その冥土から戻ってきた音がとても澄んで汚れを感じない音とのこと。そして、『何らかの理由で、地獄・餓鬼・畜生の世界に行ってしまった方々に、現世から鐘石を叩くことで梵鐘の響きを届け、暗黒の世界で苦しむ人々を供養しているのかも知れません。このことによって暗黒の世界にいる人々が癒やされ、その返事がこのような澄んだ音色なのだとすれば納得できるように思います』とのこと。とても聴いてみたいな~と思いました。
鐘石を叩く音とは違う音色だとは思いますが、我が家のとても澄みきった「おりん」のチリ~ンという音も、空の上の両親の供養になっていたらいいなぁと思います。
今日は、豪雨の中をひたすら歩く中でも自然と一体となりともに時を刻む、そんな歩きお遍路らしい一日だったのですね。大変なお天気でしたが、気持ちが折れずに、嵐の中を歩き切ることができたとのこと、安心しました。
『私たちはよく「共に/伴に」という言葉を使いますが、この言葉や振る舞いは、前述のように相手も自分も生かすことに繋がり、完璧ではないけれども中庸(過不足がなく調和がとれていること)の状態に持って行けることになることを指しているのではないかと思います』というところは、リスクコミュニケーションの考え方に似ているなぁと思いました。様々な場面でこのような状態に持っていけたらいいですよね。
「修行の道場」に歩みを進め、3日間で9、000kcal以上の消費!すごいです。
その距離+濡れたシューズで足の裏は危ない状態だけど、水疱までではないとのこと。ホッ!
そして、明日は雨は上がりそうとのことでホッ!ホッ!