遍路ころがし二重奏(3月19日/7日目)

四国第二の難所といわれる20番札所鶴林寺と第三の難所21番所大龍寺を越える、四国八十八ヶ寺歩きお遍路屈指の難所に挑みます。ここを越えれば、独自に設定した第一関門突破に近づきます。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

遍路ころがし二重奏(3月19日/7日目)” に対して4件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    7日目,歩いた時間は11時間00分,消費カロリーは3,983 kcal。
    四国八十八ヶ寺歩きお遍路屈指の難所を越えたこと,とっても大変だったと思いますが,歩きお遍路の醍醐味を感じた一日だったのではないでしょうか?すごいです。本当におつかれさまでした。

    登り下りの厳しい行程では、ザックを体側に引き寄せ,できるだけ密着させるようにしていることが大切なのですね。(余談ですが,昨日,米30㎏一袋を抱えて車に乗せるという話をしていた時,介護の時と同じで,できるだけ米を(人と思って)自分に密着させると重くても運べるという話をしていました)

    三次元急勾配の遍路道と舟形丁石の写真,思わず「先生,まっすぐに撮ってください!」と言いたくなるようなすごい傾斜ですね。まさに遍路ころがしの大変な地形を教えてくれる一枚だと思います。本当にバランスをとるのが大変な傾斜,転ばないようにと一歩,また一歩,すごく時間がかかりそう。

    庶民の四国遍路が定着した道筋を創った「真念」。そして真念を慕い,真念と同じように遍路道沿いに千躰の道標を目標に造立していったと言われる「照蓮」のおかげで,大変な行程ではあるけど,四国お遍路の道標ができていったのですね。一度でいいからその建立した道標に手を合わせ,触れてみたいなと思いました。21番札所大龍寺に着いてお参りをしてから靴を脱ぎ、砂利の上に素足をあずけてお遍路宿で頂いた「おせったい」のおにぎりを食べましたというシーン,私もポ~ンと足を投げ出した気分になり,とてもホッとしました。

    しかしです。22番札所平等寺へ行く途中に転倒して,10センチの幅で皮膚が削り取られるような怪我をなさったこと,帰ってこられた日にスマイルさんと見せてもらいましたが,50日近く経っているのに傷跡があまりにはっきりと残っていたので,本当にびっくりしてしまいました。でも,骨折とかではなく,それくらいの怪我で済んで良かったのかもしれません。
    平等寺での御朱印をいただいたエピソードは,ズルとは誰も思わないと思いますよ。順番が違っただけで,そのあとにちゃんと参拝なさったのですよね。大丈夫!大丈夫!

    宿に着き,夕食もしっかり食べることができないくらい疲れ果ててしまいましたね。
    ほんとよく頑張りました。
    とにかくゆっくり湯に浸かり,早く休んで明日に備えてください。

  2. 阿部 優 より:

    7日目おつかれさまでした。さすがの遍路転がしでしたね。

    「何度直せばいいんだよ~!」や「せっかく登って下ったのに、また登りかよ!」と思うのは人間らしくてとても好きですが、現在の本間さんは、そう考えないのではないですか?
    信仰と人々がとても近しい地域では、修行僧でなくとも僧のような考えをもった方々が多いです。鶴林寺(かくりんじ)は、「おつるさん」の愛称で親しまれているそうですが、お寺や神社を愛称で親しみを込めて呼ぶ地域は、信仰が民衆にまで浸透している証。遍路道を整備、維持してくれているのも、そうした心を皆さんがお持ちだからだと思う。僕のお世話になっている山主さんも、自分以外の人が勝手に入ってきたときに歩きやすいように山道を維持していたりします。もっと身近なところでは、坂道のある住宅街で坂の一番下の住人が凍結路に砂を撒いてくれているところを多く見かけます。もちろん無料で自主的にです。こう考えると同じ自治体だとしても、地域によって住みやすい住みにくいの差が出てきます。さて、自分の町はどうだろうか。何かお役に立てているだろうか。色々と考えさせられる7日目でした。

    丁石すらも転がされそうな遍路道を歴史とともに、歴史と一体化して歩いたことは、本間さんにどんな影響を及ぼすのだろうかと興味津々です。本日もありがとうございました。

  3. スマイル より:

    いまだケロイドとして残ってしまうような怪我を負ったのは、このお遍路道だったのですね。想像しただけで膝から下の力が抜けてしまいます。
    いろいろな困難を予想して臨む「歩きお遍路」だと思いますが、想定してもしきれない数々の出来事が一足ごとにあり、けれども思わずその場でお礼のお電話をしたくなるほど美味しい「おむすび」のおせったいをお宿からいただく恩恵があったり・・・読んでいると、先の未来を予想してもしかたないこと、この一瞬一瞬を味わい尽くし、手を尽くすべきことにはその時に精一杯手を尽くす、それが大事なのだと自然と思えてきます。
    本間先生のこの道のりこそ「社会学」であり「哲学」であり「教え」であると感じながら読ませていただいています。

    1. 阿部 優 より:

      スマイルさん、そのとおり!
      まだ起きてもいないことを心配しすぎて、具合が悪くなったり行動できなくなるより、今を精一杯生きることのほうが大切です!

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