施食会法要
前回も書きましたが、8月は、広島長崎原爆の日、終戦の日、そしてお盆というあの世から一時的に戻ってきたご先祖様の霊を家族とともに迎え入れ、感謝の気持ちを伝えて供養する、祖霊信仰が結びついてできた行事が続き、現在の繁栄をもたらした先人への供養・感謝などの祈りを捧げる時です。
仏教の世界には、六道といわれる「地獄(じごく)」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」「修羅(しゅら)」「人間(にんげん)」「天上(てんじょう)」の六つの世界があります。この六道の一つである餓鬼道(がきどう)に堕ちて苦しんでいる無縁仏様を供養する法要が施食会です。多くのお寺では、ご先祖さまの霊を供養するお盆に行なわれます。母の眠る菩提寺でも行われ、母の供養とともに東日本大震災で亡くなった方の供養を行いました。また、私はお寺の「講」の平役員でも有りますので、お寺の地域貢献の有り様などについて、お話をしてきました。
私は、お寺はお檀家さんによって築かれる「公共空間」だと考えています。そんな視点で、「葬式仏教」と揶揄されるような状況から脱し、心が癒やされる拠り所としての役割を担える空間になってもらいたいと思っています。
おはようございます。
昨夜は海水浴に行った子供たちとバーベキューを楽しみました。
娘の友達が山形出身なので、数日前に成田マルシェのウエブサイトに載っていた『だし』の話を見て、とても盛り上がりました。
そして、先生が書いてくださった『餓鬼道』のことをにわか講師になり話をしたら、思いのほか神妙な表情で聴いてくれました。いつもは私がもったいないと捨てられないものをさっさと綺麗に捨ててしまう娘が、私がビールでポヤッとして何も言わないのに、目の前にあったお腹いっぱいで食べられないお肉などを皿に入れてラップをして冷蔵庫に仕舞いに行ってくれました。
直接供養とかの話ではないのですが、『餓鬼』と言う言葉から、今もこの世の中、飢えで苦しむ人がいることに対して何か感じてくれたのかもしれません。
今日は実家にお墓参りに行って来ます。大好きだった祖父母の話をたくさんして、感謝・供養をしてきたいと思います。