とても意味のある施策転換(二拠点居住容認要望)
河北新報に3月2日「住民帰還 二拠点居住容認求める 政府に福島県知事」という見出しの小さな記事が掲載されました。福島県知事は、東京電力福島第1原子力発電所事故に伴う帰還困難区域への住民帰還を巡り、避難先に生活拠点を残しつつ帰還する「二拠点居住」を求めるよう政府に求めたとあります。
「避難先で生活基盤が出来ていたり、病気で通院していたり、さまざまな事情がある」と説明した上で「長期間の避難生活が続く特殊な状況。住民に寄り添った対応をして欲しい」と訴えています。
「避難先で暮らし続けるのか地元に戻るのか、どちらかを選択する」ことを強いてきたこれまでの方針を大きく変える、とても大きな進展だと思います。これまでは、住民票だけを唯一の町民の証として扱い、生活のために避難先等にやむを得ず住民票を移した途端に、他市町民になり、地元住民としての関わりを切っていました。「天気予報を見るときは、今住んでいる避難先市町村の天気だけではなく、元住んでいた市町村の天気を必ず見ていた」。そんな広域避難者に対しての対応は、彼らの心情に寄り添うとは言いがたいものでした。
長い避難生活で築いてきた生活基盤。仕事、学校、医療、友達等々、避難生活が長くなればなるほど、そうした避難先の生活基盤を使わなければ暮らしを維持することは出来ない。一方、故郷に戻りたい気持ちは朽ちていく自宅を見ながら消えることはない。今の避難生活と長い時間かけて培ってきた人と人との関わりのある長年暮らしていた避難前の暮らし。現実の生活と故郷への愛着、その間を「揺れる」気持ちは、決断力が無いのではなく、極めて当たり前の心情なのではないでしょうか。
今回、福島県知事が国に要望したということは、歓迎しつつも、このことを要望するのに12年もの時間を費やしていることは理解苦しむ。被災者の声を聴いていなかったわけではないだろう。この「二拠点居住容認要望」に、こんなに時間が掛かること自体に、私は怒りさえ覚えます。避難先での生活基盤形成は、これだけ避難生活が長ければ当然そうのようになります。だからといって、故郷を切り捨てろというのは余りにも酷い話です。
東京電力福島第1原子力発電所事故被災者支援を行っている団体は、福島県に11年間の被災者支援の現状に基づき「避難者の『ゆらぎ』に心を寄せ、個々の人生設計を下に、地域と密着した、きめ細かな支援」と題する「政策提案」をしています(NPO法人みんぷく2022/08)。このなかで、「提言其の3『揺れる心情に起因する生きづらさに寄り添った支援をします』があります。少し長いのですが引用します。
(現状と課題) 避難者は、様々な生活課題の中で揺れ動き、心と身体が落ち着かない状況にあります。10年経ったからと言って、時間の経過だけでは解決できない、時には時間の経過がより振幅を広げている事があります。こうした状況に起因して、避難により避難前に暮らしていた地域との強い結びつきが希薄化し、孤立感を深めている人が見られます。生きづらさ(漠然とした喪失感、明確な喪失感やふとしたことで襲ってくる悲しみ)などの心の傷を癒すために、人とひととの繋がりを取り戻す関わりが必要です。
(具体的な事業) その時々での揺れる避難者の心情に寄り添う為には、被災前と被災後を切り離さない、心のつながりを支える必要があります。日常生活場面での支援として、避難元の漁業や農業生産物を避難先で販売してもらい、消費行為を通して出身地元の経済復興に参加する機会を設け、地元との一体感を持てるような関わりを支援します。また、戻った人と戻らない人の間に、小さな溝ができはじめていることも見逃せません。この為、地域行事や祭礼の機会を通じて、今の住まいにかかわらず、「旧住民」どうしが一堂に会し、旧交を温める機会を設ける支援をします。加えて、元の地域の伝統文化やお祭りを復興公営住宅で開催し、孤立感の解消を行います。またその機会を利用して、避難者以外の「新住民」とも交流を深め、拡大コミュニティの考え方を取り込んでつなげていきます。これらの支援は故郷への帰属意識を高め、アイデンティティを取り戻すことにつながります。
この提言は、今回福島県知事が政府要望に出した「二拠点居住容認」施策の具体化、そのものではないかと思います。若干でもこの政策提言に関わった者としては、この提言が福島県の施策転換に何らかの影響を与えたと思いたいです。そして、愚直なまでに被災住民の声に耳を傾き続けた来た被災者支援団体の見識に敬意を表したいと思います。頑張れ福島!
今日、私たちの今年度事業報告書を作成していて、まさしくこの時の写真を選び、挿入していたところで先生からブログ更新のお知らせがありました。
開いてみてびっくり!何と同じ時のことを思い出し、振り返っていたのだなぁと、阿吽の呼吸に驚きましたw
2拠点居住容認要望、ずっと私もそう思っていました…私事になりますが、主人は自分の国の国籍と日本の永住を持っていて、長年日本で日本人とほぼ変わらない暮らしをしています。
ないのは選挙権ぐらい。(とはいえ、それがないのは大変残念ですが)
母国にいるよりすでに長い年月を、普通に税金も介護保険も納め、コツコツと仕事をし、地域付き合いをし、畑を耕し、国民と同じ義務を果たして暮らしています。
国をまたいでそれができるのに、なぜ国内、しかも同じ県内でそれが叶わないのか、不思議で仕方がありませんでした。
一方で主人もまた、「日本に暮らすならなぜ帰化しないんだ」などと言われることがありますが、手続き制度上もそんな簡単に帰化できるものではありません。
日本にいながらもやはり母国のアイデンティティは持ち続けている。
避難者の皆さんが、帰れなくとも故郷とのつながりを持ち続けたい気持ちは、それがその方々のアイデンティティを保つものとしてとても良く理解できます。
あの施策提言がきちんと活きるように、関わった者の責任として、私たちも住民の皆さんの「いま・ここ」での暮らしを支える取り組みをこれからさらに模索してゆきます。
先生、ぜひ引き続きご支援ください。どうぞよろしくお願いします。
本間先生の記事とCCSWさんの実感のこもったコメントは、ぐっと胸に迫ってくるものがあります。私は引っ越しも多く、子どものころからずっと住んでいた場所、というのはないのですが、今住んでいるところは子育てをした場所であり、そのためもあって心を込めて暮らしてきた地域でもあります。それがなんの心の準備もないまま、ある日突然追い立てられてしまったら・・・と想像しただけで、一生癒えない心の痛みを負うだろうと思うのです。
本間先生は、そういう方達のために時に怒りを心に秘めながら、それを情熱に変えてご支援なさってきたと思いますし、CCSWさんは愛と忍耐と思いやりと温かさで寄り添ってこられたと思います。
ただただ「ありがとうございます」という言葉しか出てきません。今でもその悲しみや苦しみのただなかにある方達がいることを忘れないでいたいと思います。