高齢者の役割づくり(南三陸町滞在型支援員制度)

東日本大震災で、南三陸町は、早い段階で町民を被災者支援の担い手にするシステムをつくり、2011(平成23)年7月19日に被災者生活支援センターの支援活動を開始しています。私が調べた範囲では、一番早くこうした支援システムを立ち上げ活動を開始したのは岩沼市です。岩沼市では、青年海外協力隊経験者が中心となって設立されたJOCAが被災者支援センター立ち上げ2名体勢で行っています。南三陸町は、これから若干遅れて活動しているのですが、組織体制が全く違います。南三陸町から地元社協が事業委託を受け100名体勢で組織的に行われています。

南三陸町被災者生活支援センターでは、最大時241人の三種類の異なる役割を持つ生活支援員で見守り支援事業を行っています。一つ目は「巡回型支援員」です。応急仮設住宅を全戸訪問し、見守りや相談相手になる生活支援員の基本形態です。南三陸町及び登米市に設置した6か所のサテライトセンターに応急仮設住宅戸数等を勘案して配置しています。二つ目は「滞在型支援員」です。自らが居住する応急仮設住宅団地内の気になる世帯を朝と夕の二回、杖をつきながら、あるいは二人連れだって訪問します。普通なら見守りの対象になるような方を特に選んでお願いしています。この為、平均年齢は74歳で最高齢は80歳を越えています。三つ目はみなし仮設住宅利用者を対象とする「訪問型支援員」です。みなし仮設住宅利用者は、宮城県内は12市12町、県外は31都道府県に973世帯散らばっている(最大時:平成24年1月11日現在)。この内県内対象者714世帯については、各住宅を直接訪問して孤立感を深めぬように寄り添い、帰郷の想いを支えています。県外居住者については、月一回程度の電話で対応しています。

CDを整理していたら、当時、テレビで放送されたもののコピーが見つかったので、皆さんにお見せいたします。これは、2012(平成24)年2月7日にKHBスーパーJチャンネルで放送されたものです。これを観ても、南三陸町民は、みなさん本当に頑張って厳しい避難生活と向き合い支え合ったのだと言うことが分かります。

こうしたことを、高い確率で発災が予測されている「南海トラフ巨大地震」への備えとして学んでいただきたいです。

KHBスーパーJチャンネル(2012/02/07放送)

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

高齢者の役割づくり(南三陸町滞在型支援員制度)” に対して8件のコメントがあります。

  1. スマイル より:

    何度か本間先生から滞在型支援員制度のお話をお聞きしたことがありましたが、今回のニュース映像でさらに深く理解することができました。なんと素晴らしいシステムを考えられたことでしょう!支援される側だった方に役割を持っていただき、生きがいと健やかな日々がもたらされたこと。これは被災地だけに当てはまることではなく、いくこさんがおっしゃるように、すべての地域づくりに生かせることで、またぜひ生かしたいことだと思いました。

    栗原市住民さんが「福祉とは?」という視点を大きく変えるきっかけになった意味もわかる気がします。「特別なことではなく」「今すぐに」「住んでいるこの地域で」「ちょっとだけ意識を変えれば」できること・・・地域住民の一人一人が「ちょっとだけでも」と手を伸ばし、目を向け、行動を起こせば、福祉も社会も良い方向へ舵を切ることができるような気がします。

    でも同時に、ためらっていた女性が一歩踏み出せたのは、南三陸町の支援員さんたちが一人ひとりを心の目でしっかり見ていたからこそだとあらためてわかりました。だからこそ、「なるほど」と真似しようとしても、実はそう簡単に出来る制度ではないとも思いました。震災後の大変な日々の中に、こうした希望が生まれていたということに心打たれています。このような例がある、ということを一人でも多くの方に知っていただきたいと思います。今すぐできることがあるような気がしてなりません。

    たくさんの示唆がこめられた記事だと思います。いつもありがとうございます。

    1. 鈴虫 より:

      スマイルさん

      いつも自分ごととして捉えようとする感性に触れ、私も学ぶところがたくさんあります。

      この記事を読んで思い出したことがあります。

      滞在型支援員のみなさんも、支援員達はみな同じ身分証を首から下げていました。引きこもりがちな高齢の方々が支援員を任命され、その身分証を手にした時に、パァっと表情が輝いていたのです!

      いくこさんがおっしゃていた、「OOCのバッチを胸につければ勇気を持っておせっかいが出来るに違いない」と言う言葉を思い出しています。当時の滞在型支援員のみなさんは、私達がバッチに期待するのと同じ気持ちだったのでしょうね。改めて、いくこさんが、バッジを提案した意味を感じでいます。

      誰かの為に生きたい気持ちは、皆同じなんだと教えていただきました。そして、このOOCの持つ計り知れない楽しみにワクワクしています。

  2. 鈴虫 より:

    いくこさん
    「何度も目にしていたはずのことが、ストンと胸に落ちることがある」本当にそういうことってありますね。

    今回の記事を拝見して、南三陸町の生活支援員は、本間先生の導きによって、息の長い双方向性のある被災者支援という姿を被災者のみなさんに通訳し、浸透させていく役割を目指していたのだと今になって理解しています。

    当時の支援員の1日は、被災者支援センターの片隅で行われる朝ミーティングから始まりました。毎朝、各サテライトから前日に起きたことを持ち寄り、どの様に対応したかを報告し合いみなさんから意見を頂きます。これは、他地区の事例から具体的な処し方を学ぶ大事な時間でした。

    この他で起きたことや対処したことを、自分ごととして捉え自分ならどうするだろうか等と考える習慣は、初めての事例に向きあう時でも、既に経験していたことの様に心に余裕を持ちながら、更には応用しながら向き合うことを可能にしてくれました。

    今回の動画を観てお気づきのことと思いますが、私達支援員は何か特別なことをしていたのではありません。何処にでもありそうな課題に対して「何故そうなるのか」「何故こうするのか」と常に丁寧に考えながら行動し続けた、それに尽きるのだと思うのです。

    そして今、私は思います。私達はこの場で共に学び、誰かのお話に耳を傾け、ときに遊びながらお互いの地域の課題を共有し合い、良いことを学び、反省すべきを学びに変えられているのだということが、とても大切で有り難いことです。

    学んだことは活かさなければ宝の持ち腐れです!私達一人ひとりがこの場で得た学びを地域の課題解決に繋げることが出来たなら、前向きな循環が生まれ、より良い地域づくりの歯車が、ゆっくりとでも力強く回り出すのではないでしょうか。

    おかげさまで、今日はそんなことを考えながら有意義な1日を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。

    いくこさん、みなさん、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

    1. ハチドリ より:

      最大時、241人の三種類の見守り支援員がいらっしゃったとのこと。それも、町民のための町民による支援員の皆さんは、どんなにか安心をもたらしてくださったことでしょう。

      随分前に、鈴虫さんがコメントなさっておりましたが、活動が始まったばかりの時のご苦労話もしっかり覚えております。そうしたご苦労の上に築いてきた活動が生み出した結果は、とても素敵な宝物になりましたね。

      『世の中にあまり出ていかないタイプの人に、自分で出来ることがあることを感じて欲しくて』と語っておられましたが、どの年代の人にも大切な考えだと思いました。特に高齢者のかたは、『社会的役割を持っていただくことで同時に自分自身の身体も動かしてもらい、一石何鳥もの効果が生まれる制度を作った』と先生も語られておりました。

      いつだったかな、雪の中をお二人のご高齢の方がゆっくり歩きながら見守り活動をなさっている写真を見たことがあります。微笑ましくもあり、羨ましくもあり、なんていいシステムなんだろうと驚いたことを昨日のことのように思い出します。

      このような南三陸町で実際に行われたことや考えを全国の防災教育の中で教えてもらって普遍化していき、仮設住宅などが準備される時にハード面だけでなく一緒にソフト面もセットで考えられるようになったらいいなと思います。そしてできたら、平時の時から長引く避難生活をどうしていけばいいのかなど、地域の皆さんで時々考えてみるなどしておくことで、いざと言うときにとても役に立つように思います。

      私が少しだけかじっている「リスクコミュニケーション」の考え方は、災害時だけではなく、様々な地域課題に向き合うときに、地域の皆さんは、その課題とどの様に向き合えば良いのかについてお話し合いすることの大切さを説いています。そうした機会は、きっと「会議」という格式張った形ではなく、普段からのさりげない会話の中にあるように思います。

  3. 栗原市住民 より:

    こんにちは。寒いですね。
    高齢者の役割づくり。今日のブログは、社協職員として、住民と共に地域福祉を推進する私に「福祉とは?」の視点を大きく変えて考えるきっかけになった滞在型支援員制度の内容でした。

    この制度のことを知り、担当する地区の住民代表の役員を連れて南三陸に出向き、先生から講話指導を頂きましたことが、今の私の福祉とは?の信念となっています。ありがとうございます。

    私事になりますが、私の祖母 大正7年生 先月104歳で、亡くなりました。自慢の祖母です。長生きの秘訣。それは、間違いなく役割を持っていたからであったと思います。亡くなる日の午前中まで、自分でお手洗いにも行ってました。別れはあっという間でした。人として、手本となり鏡となる人生であったと、戒名には「鏡」の字を頂きました。 

    特別な役割ではなくいいです。普段の暮らしの中に出来る役割を見つけ、それをさりげなく続けること。祖母のように、毎日の暮らしの中に大切な役割を見つけて生きていきたいです。

    1. 鈴虫 より:

      栗原市住民さま

      おばあさま、最期まで大切な役割を全うされた104歳の立派な大往生でしたね。

      人生の手本であり鏡となるご自慢のおばあさまは、きっとすべてのお役目をやり切って肩の荷をおろして旅立たれたことでしょう。おばあさまの様に役割を全うする生き方、私もお手本にさせて頂きます。

      一般的に生活にひと様の手を借りるようになると、今まで担っていた役割を手放さなくてはいけない様な風潮ですが、それはとても残念なことです。誰にだってどんな些細なことでも、1つや二つ役割が有るということは、誰かの為になっていると生きる張り合いや希望に繋がるのですよね。

      動画でご覧のように、支援される立場の人が支援する側にまわった時に、それまでの引きこもりがちだった暮らしがウソのように、生き生きとメリハリのある日々を楽しみ、地域で笑顔で挨拶を交わせる関わりを自ら紡ぎ始める様子を側で見守りながら、私達支援員も勇気を頂きました。

      役割のチカラって素晴らしいですね!どなたにもひとり一役!絶対必要ですね。

    2. いくこ より:

      栗原市民さん
      ここで知り合えたご縁に感謝して、おばあさまのように「毎日の暮らしの中に大切な役割を『見つけて』『さりげなく続けて』生きていきたい」心から私もそうありたいと思いました。ありがとうございます。

  4. いくこ より:

    先生、おはようございます。
    何度も目にしていたはずのことが、ストンと胸に落ちることがあります。今日のページは正にそうでした、反応の遅い生徒ですみません。
    震災よりもずっと以前に行われた敬老会で、70歳を超えた町内会の役員のみなさんが本当に一生懸命に準備して下さっている様子に「どっちが祝われる方かしら~」と微笑ましく有難く思ったものでした。高齢者の引きこもり対策に頭を痛めている町内会役員のみなさん!これですよね。

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