白河の関を越えた「深紅の大旗」(仙台育英甲子園優勝)

「100年開かなかった扉が開いた」(須江航仙台育英監督)。東北に住む者として、心から「おめでとう」と申し上げたいです。熱狂的な高校野球ファンと言う訳ではありませんが、今回の歴史的瞬間には、心が躍り、インタビューの言葉、一言ひとことに胸が熱くありました。

私が、リアルで知っている大旗にあと一歩に迫り、なし得なかった元高校球児は、1969(昭和44)年夏の太田幸司(三沢)、1989(平成元)年夏の大越基(仙台育英)、2003(平成15)年夏のダルビッシュ有(東北)、2009(平成21)年春の菊池雄星(花巻東)、2018(平成30)年夏の吉田輝星(金足農)で、甲子園で流した悔し涙を我が事のように感じながらテレビにかじりついたものです。

長い間、東北の人間には、「高校野球」と「白河の関」は対で語られて来ました。白河の関は、古くから「東北」の玄関口といわれてきた象徴的な場所です。「白河の関」とは、鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)とともに奥州三古関の一つに数えられる関所です。福島県南部の白河市内、栃木県那須町との県境から約3キロほどに関所跡があります。白河市のホームページによれば「奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、当時は人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていた」とのことです。江戸時代の俳人・松尾芭蕉が「みちのく路への第一歩を踏み出した」思いを込めて「白河の 関にかかりて 旅心定まりぬ」と詠んだといい、古くから「東北の玄関口」と認識されていたようです。

深紅の大旗は、2022(令和4)年8月23日14時19分、東北新幹線という現代の利器を使って、仙台育英の高校球児に抱えられながら「白河の関」を越え東北の地に入りました。

「ちょっと待て、優勝旗はとっくに白河の関を越えているじゃないか」という指摘もあります。2004(平成16)年及び2005(平成17)年に東北を飛び越え、駒大苫小牧(南北海道)が2年連続全国制覇してしまったのです。この為、実は、「白河の関越え」は2004年を境に意味が変わっています。昔はグラウンドが数カ月雪に閉ざされる雪国の高校は不利だと言われ、なかなか甲子園で勝てないことの象徴として「白河の関越え」に注目が集まっていました。既に地理的には「白河の関」より北に優勝旗は運ばれたわけですが、飛行機で一気に「津軽海峡」を越えたイメージからか、「まだ陸路で越えてはいない」との声も根強くあります。特に私たち東北人には。この為、「東北以北の雪国」を指す言葉ではなく、「東北6県に優勝旗をもたらすこと」と意味を変え、「白河の関越え」の言葉は今でも生きているように思います。

高校野球を観ていて、いつも感じるのは、解説者やアナウンサーの言葉の選び方です。とても教育的配慮が行き届き、言葉で高校球児を励ましていることです。それも歯が浮くような、いわゆる「ガラスベンチャラ」(これ、通じますか?)ではなく、事前のしっかりした取材や長い監督経験等を下にして語られています。「高校球児の一挙手一投足に物語がある」それを感じるのです。 こうした教育的配慮は、日常様々な場所でも必要だと感じています。私も、心して言葉を選び使いたいと思います。東北の高校野球史に歴史的快挙を刻んだ「仙台育英」高校野球甲子園大会優勝、おめでとうございます。

JR仙台駅(2022/08/24)

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