東電「人生を狂わせた」原発事故の避難者訴訟で賠償確定 初の謝罪(福島県)
Web版の新聞記事に次のような記述を見つけ、11年経った今「初めての謝罪」に驚くと共に怒りを感じました。以下記事の転載です。
原発事故の避難者が東京電力を訴えた裁判で賠償が確定したことを受け、東電は5日、原告に対し「人生を狂わせ、取返しのつかない被害を及ぼした」と、初めて謝罪しました。この裁判は、浜通りに住んでいた200人あまりが、東電を訴えたもので、今年3月に東電の賠償が確定しました。これを受けて、東電は5日午後に原告と面会し、謝罪しました。
東電・高原一嘉復興本社代表「みなさまの人生を狂わせ、心身ともに取返しのつかない被害を及すなど、様々な影響をもたらしたことに対し、心から謝罪をいたします。誠に申し訳ございません」
原告団によりますと、集団訴訟の判決を受けて東電が謝罪するのは、初めてのことです。原告団の早川篤雄さんは、自身の心情について「複雑で一言で表すことはできない」とした上で、東電に対し「事故を防げなかった原因と責任について、究明する努力」をするよう求めました。
出典:テレビュー福島6/5(日) 16:58配信 以上引用
判決が出るまでは「謝罪」しない。司法の判断でようやく「謝罪」する。この記事を見て、大川小学校の裁判を思い出してしまいました。敗訴の判決をうけてようやくことが動き出す。判決に全てを委ねてしまうことに、とても疑問を持ちました。判決が出ないと心の痛みに寄り添えないのだろうか。判決が私たちの振る舞いの全てを決めるのだろうか。
岸田首相が東京福島第1原発事故で一部地域が帰宅困難地域となっている福島県葛尾村を視察し「特定復興再生拠点地域」(復興拠点)の避難指示解除を住民に自ら伝えるために来たと新聞にありました。同日、この夏に行われる参議院選挙に出馬予定の候補者の総決起大会に出席しています。原発事故被災地の訪問は「選挙応援のついで?」。このような現実を見せつけられると、福島県民の心の痛みが、我が事のように思えてくるのです。
政治の話しをしているのではありません。人の心の痛みに寄り添うとは、どのようなことなのかを考えているだけなのです。
今日は福島第一原発事故における国の責任を最高裁判所が初めて判断する日です。
便利さばかりを追い求める技術の進歩が、いかに大きな危険と隣り合わせであるか。物事のプラス面を享受するときには、同じ真剣さでマイナス面についての情報収集と議論が尽くされなければならないということですね。
今日の判決が、国の人間らしい反省の第一歩となることを期待します。
最高裁は今日、福島第一原発事故において国の責任を認めませんでした。我が国の正義とは何処にあるのでしょう。
いつになったら福島の被災者のみなさん一人ひとりの心が救われるのか、いつまで踏み躙られ、弄ばれなければならないのでしょう。
たまたま福島原発で事故が起こったというだけで、それが女川原発だったかもしれない。全然他人事ではありません。事故後の国と東電の被災者に対する振る舞いを私達は自分事として脳裏に焼き付けて置かなくてはなりません。
この胸が焼けるような悔しさ、灰になってしまいそうな虚しさを福島の人々だけに味合わせてはいけません。
みんなで福島を応援しましょう!
本間さん、こんにちは。
なぜ、東電が訴訟が終わるまで謝罪しないかというと、悪いと思ってないからです。確かに弁護士からは不利になるような発言を控えるよう指示があるのでしょう。賠償額に影響しますので。しかし、今回は是非を問う裁判ではなく、明らかに東電が悪いわけですから賠償額増減に関わらず、まず11年前に謝罪するのが真っ当な人としての行動でしょう。
また、岸田総理は選挙応援のついでに来たのではなく、葛尾村視察を選挙に利用しに来たのです。
かと言って、政治を諦めるのではなく、逆に利用してやろうと考えています。