元福井地方裁判所長渾身の著書『私が原発を止めた理由』
新聞に掲載された書評を読み、早速取り寄せました。樋口英明,2021『私が原発を止めた理由』旬報社.(@1,300+税)です。福井地方裁判所大飯原子力発電所運転差止め訴訟を裁判長として審理し、原告(地域住民)の訴えを認め、「大飯原子力発電所運転差止め請求を認める判決」を出した方の、その経緯や理由を詳細に記述した著書です。尚、この2014(平成26)年5月の判決は、のちに2018(平成30)年7月名古屋高等裁判所金沢支部で破られています。
この著書の冒頭「はじめに」は、次のような言葉で始まっています。「2011年3月11日、福島第1原子力発電所で過酷事故が起きました。その時、福島第1原子力発電所で実際何が起きていたのかをほとんどの人は知りません。時の経過と共に、福島原発事故の深刻さが人々の意識の中から薄れていっているように思えます。福島原発事故から10年が経過しようとしていますが、あの事故から何を学ばなければならないのでしょうか。そのことを問い直したいのです。」と、あります。福島第1原子力発電所の事故は、福島県のみならず、私たちが暮らす宮城県を含む、関東・東北地方全域が巻き込まれる「東日本壊滅」の可能性があったことから、この言葉の重さを思い知らされます。
「東日本壊滅」の可能性、この危機を救ったのは、2号機の格納容器の欠陥、「度重なる余震でボルトが緩み格納容器の圧力が下がり、格納容器の爆発が避けられた」、という奇跡的偶然でした(P22-23)。
また、4号機は、定期点検中で燃料棒は格納容器から抜き取られ、隣の核燃料貯蔵プールに移されて循環水の中にありました。しかし、電源喪失で循環水の供給が断たれ、核燃料棒が露出して放射性物質が大量に放出されることが危惧されました。その時、核燃料を入れる箱(シェラウド)の取り替え工事作業の遅れのために、普段は張られていない冷却水が原子炉ウエルに残っており(第1の偶然)、原子炉ウエルの冷却水があってはならない仕切りのズレ(第2の偶然)によって冷却水が核燃料貯蔵プールに流れ込み、核燃料の露出が避けられたのです(P24-27)。
こうした、現在も原因調査中の二つの奇跡的偶然によって、2号機格納容器の爆発及び4号機核燃料棒からの放射性物質大量放出が避けられたのです。この偶然の構造的欠陥がなければ、関東及び東北のほぼ全域が強制移転を求める地域となり「東日本壊滅」の事態になっていたのです(P23-27)。
この様な事実は、裁判の審理過程で明らかにされています。こうした事実が裁判の過程で明らかになってからは、新たな神話が登場したといいます。これまでは、我が国の原発は過酷事故を起こさないという「原発安全神話」でした。しかし、東日本大震災福島第1原子力発電所事故以降は、この神話に代わり「放射能安全神話」ともいうべき新たな神話が登場するようになったのです。「放射性物質は言われているほど危険ではない」「だから原発事故をそれほど怖がる必要はない」「原発事故で健康被害は生じていない」等々という話です。また、この神話のもとでは、避難先から戻らない人達は、単なるわがままと切り捨てられ、住民間にも分断が生じています(P112-113)。この部分の指摘は、親しい知人から詳しくお話しを聴いているので、全面的に共感するわけではありませんが、たしかにこうした論調は多くなっていると感じます。
原子力発電所の安全対策には、安全三原則というのがあります。「止める」「冷やす」「封じ込める」の三つです。原発の安全対策の安全三原則は、「止める」(緊急停止)「冷やす」(炉心の過熱を抑える)「閉じ込める」(放射性物質が漏れ出さないようにする)の3つといわれ、これを下にして様々な対策が何重にも講じられています。
「止める」は、大きな地震等が発生した等の緊急時には、制御棒を素早く挿入し、原子炉を緊急停止させることです。「冷やす」は、燃料が高温になって炉心が空だき状態にならないように、大量の水を炉内に送り込んで冷却します(水の注入・循環による圧力容器の冷却)。「閉じ込める」は、事故があっても、放射性物質を外部に出ないように、放射性物質を圧力容器・格納容器に閉じ込めることです。
しかし東日本大震災による事故で、福島第一原発ができたのは、安全三原則のうち、最初の核分裂反応を「止める」ことには成功したのですが、津波によって外部からの電源供給及び自家発電もダウンし、全電源喪失となり「冷やす」ことに失敗し、その為に放射性物質を外部に出ないように、放射性物質を圧力容器・格納容器に「閉じ込める」ことにも失敗しているのです。この他にも、様々な安全対策の基になっている基準の持つ危うさが指摘されています。しかし、この本の基になっている福井地方裁判所大飯原発運転差止め訴訟の判決は、その後破られています。
著者は最後に、裁判官の後輩に次のようなエールを送って本書を閉めています。『裁判官の本分はその一つひとつの仕事が社会の一隅を照らすことにあるのかもしれません。しかしごくまれには、社会全体が進むべき道を照らす仕事が与えられることもあるのです。毅然としてその本分を尽くしていただきたい』と。
私たちは、この勇気ある元裁判官から何を学ぶのか。この記述から読み取る感想は、お一人おひとり異なると思います。それで良いと思います。右ならえは危険です。その上で、最も大切なことは、こうした事実に目をそむけず、一方的な情報を鵜呑みにせず、自分なりの価値判断で向き合い、自分の振る舞いに生かしていくことだと思います。
こうした事故によって、福島県全体の避難者は、ピーク時の2012年5月は約16.5万人でした。その後、様々な除染対策や帰還対策などにより、現在は、2021年3月時点での避難者は約3.6万人(避難指示区域からの避難対象者は、ピーク時は2013年8月の約8.1万人から現在は約2.3万人)まで減少しています(出典:産業経済省資源エネルギー庁)。
2020年に測定された、福島第一原発から80km圏内のエリアにおける、地表面から1メートルの高さの「空間線量率」(放射性物質が発する「放射線量」が、空間で1時間あたりどのくらいになるかという「率」をあらわしています)は、2011年11月に測定したデータとくらべると、線量の平均値は約8割まで減少しています。
福島第一原発の事故によって、政府から福島県の一部に「避難指示・屋内退避」の指示が出されたのは2011年3月のことです。2011年12月に福島第一原発の“冷温停止状態”が確認されると、その後、2013年8月までに避難指示区域の見直しが実施されています。
除染やインフラ整備が進められ、2014年以降、避難指示の解除が段階的におこなわれ、2020年3月には「帰還困難区域」以外の避難指示がすべて解除されました。また同月、JR常磐線の駅周辺の区域の避難指示が解除され、「帰還困難区域」の一部ではじめての解除となりました。さらに、残されている「帰還困難区域」のうち6つの町村で、「特定復興再生拠点区域」が認定され、住民がふたたび住むことができるように整備が進められています。原発事故で一部区間が不通となっていたJR常磐線が2020年3月に全線再開したことはTVでも広く報道されましたが、このJR常磐線が通る双葉町では、双葉駅を中心とする一部地域が「特定復興再生拠点区域」に認定されており、2022年春の避難指示解除を目標として環境整備が進められています(出典:経済産業省 資源エネルギー庁)。
東京電力福島第1原子力発電所事故に伴う避難指示が続く大熊町では、12月3日に帰還困難区域のうち特定復興再生拠点地区(復興拠点)の準備宿泊が始まりました。対象は2,200世帯6,000人です。12月3日現在で15世帯31人の申し込みがあった(河北新報2021/12/04)。
こうした現状、すなわち、原発事故から10年を経た今の姿をどの様に受け止めるのかは、皆さんの考え方に委ねられています。そして、その受け止め方・判断が、子ども達の未来の土台を築きます。私たちの受け止め方は、目の前の今だけではなく、子ども達の未来の有り様にも関わっています。大切な子ども達に、どの様な世界を持たせることができるのか、それはひとえに私たちの振る舞い(行為)にかかっています。
原発を頭ごなしに否定する意図はありません。原発推進や事故に絡む説明や情報の有り方に、何らかの意図を下にした恣意的操作・誘導あるいは過度な忖度を感じてしまいます。そのことによって、私たちの判断が歪められてしまうのではないか、そこにとても不安を感じるのです。「由らしむべし知らしむべからず」が、本来の意味とは異なる使われ方「人民大衆というものは、政府の政策に盲目的に従わせておけばよいので、彼らには何も知らせてはならない」になってはいまいか。
今回取り上げた図書に書かれている内容と同等の情報について、私たちは、国の発表やマスコミを通して、どれだけ知らされているでしょうか。そして私たち自身、どれだけ関心を持って原発事故に向き合っているでしょうか。私の課題意識はそこにあります。たまには、今起きていることの足下をしっかり見ることをしてみても良いのかも知れません。週始めから重くてすみません。
この本はまだ読んでいません。
この場で知る限りでは、本当に大切な事はなかなか見えてこないという感想を持ちました。
筆者が大飯原発運転差し止めの仮処分を下したのに、その後、判決が覆り確定しなかったのには一体どの様な意味があるのでしょう。
同じ事実を見ていながら裁判官によって違う判断が下され、その度に国民が翻弄されています。それは法の解釈の違いなのでしょうか。私は裁判官の人としての良心や、ずっと先を見る想像力の差なのではないかと思います。
何事も反対意見を述べる時は代替の意見を用意すべきだと言います。この原子力発電に代わるエネルギー源をどの様にして確立していけるのか、切羽詰まった課題として国をあげて本気で考えていかなければならないと思います。
私達に出来る事は、例えばこの本の様な原発関連の本を買って読む、福島を訪れ現地で買い物をするなど、数字として残す事ではないでしょうか。心で思うだけでは実績が残りません。
だから、何かしら数字として残し、私達の監視と関心が薄れていないことを見えない圧力に向かって訴え続けていきませんか。
新聞にどのような書評が載っていたのかわかりませんし,本も読んでいないのですが,先生の投稿を読んでの私の個人的な考え,思いを書きます。前の何かの投稿のどなたかのコメントに「お叱りを受けた」とか書いてあるのを読みましたが,私はそのような考えで書いてはおりませんのでご安心ください。
最初に感じたことは,「原子力で発電を行っている『原発』をこのまま稼働させておいて良いのかどうかという問題」と,「東日本大震災と巨大津波により起きた東京電力福島第一原発事故後の福島県浜通りの現在の放射線の状況について」は分けて考えたほうが良いのではないかと言うことです。
元裁判官の樋口英明氏の著書『私が原発を止めた理由は?』の表紙には,「原発敷地に限っては強い地震は来ないという地震予知に依拠した原発推進」あなたの理性と良識はこれを許せますか?と書かれています。この方は裁判官をしていた方なので,様々な耐震性の情報を得,調べ,日本の原発は危険だという結論になったのではないかと推測します。このことに関しては私は情報がないので意見を述べることはできないのですが,それほどまでに危険は状況なのであれば,なぜそれを後押しする人たちが出てこないのでしょう。それこそ,先生が最後に書かれていたように,なんらかの恣意的操作があるのではと考えてしまいます。
あとは,もしも,原発の稼働を止めてしまったら,電気などのエレルギーをどうやって作っていくかも考えなければなりません。写真にあるような風力発電は,近くにいくと「ビュン,ビュン」ととても力強い音を出していますが,他に太陽光や水力など再生可能エネルギーと地球温暖化を加速させないよう脱炭素(ゼロカーボンシティ)について,一人ひとりが考えてみることも必要でしょう。
東日本大震災と巨大津波により起きた東京電力福島第一原発事故後の福島県浜通りの放射線の状況についてです。先生の文中にあった「放射能安全神話」については,これは正しい知識を持つことが重要ですよね。放射線は私たちの身の回りに普通にあって,誰もが等しく浴びています。問題は浴びる量であり,そのことを理解できていればむやみやたらと怖がる必要はありません。でも,放射能,放射線の正しい知識と言っても,普段,普通に生活をしていて頭に入ってくるものではありません。福島第一原発事故後,「逃げてください」という国の恐怖心を煽るだけのテレビ報道があっただけで,いくこさんが書かれていたように「明確な意図や指示がなくても正確な情報は出されない」,まさにその通りだったと思います。国は信頼を失い,なのでその後に説明をしようとしても「国は何か隠している,言っていることは信用できない」と住民は聞く耳を持つことができない状況にもなったようです。リスク・コミュニケーションで最も大切な信頼の構築ができていなかったのですね。
それでも福島では,長い間,気の遠くなるような除染等の活動を続け,マイナスからのスタートがやっとゼロになり,新たなスタートを切っている地域もあります。確かに放射線量が高くて帰還が困難で,まだマイナスからゼロにすらなっていない地域もありますが,地震・津波・原発事故という世界最大の3重苦事故と言われる事故が起きてしまったんですもの,時間がかかるのは仕方ありません。でも,どこに,何に目を向けていくかなんだと思います。それこそ,一人ひとりの考えがあって然りです。が,みんなで意見を出し合って多くの人が「そうだよな」と思うような方向性が出てくればいいなと願うところです。
いつか故郷に帰りたいと思ってらっしゃる人もおります。今,地元で美味しい野菜や果物を作り,魚を獲って生業にしたいと思っている方もたくさんいらしゃいます。そこで苦労するのが風評被害です。間違った情報,誤解,偏見がそのことを助長させていきますが,本当に美味しい物を作り,自信をもって提供していくことが風評被害の払拭につながっていくものと思います。いいところ,楽しいところ,美味しいところには人が集まっていきますよね。
今,福島第一原発は廃炉に向けて取り組んでいます。ものすごく時間がかかるみたいですし,小さなミスも時々あり,テレビで報道されて,「またか~」とがっかりすることもあるのですが,隠さないで報道機関に情報を伝えているということなんですね。
2号機,4号機の度重なって起きた奇跡とも言える建物の偶然は,映画「fukushima50」でも語られていなかったことです。本当に本当に良かったと思います。宮城県にも避難指示が出ていたら,沿岸部の被災者の受け入れはおろか,私も逃げ惑うばかりで正しい情報を得ることもできなかったかもしれません。
最後に『原発』の実態,ちゃんと知りたいなと思いました。
なぜ,破かれてしまったのでしょう。
大谷さんへ
身近だからこそ見える感じることたくさん書いてくださってありがとうございます。
なかなか言葉にしづらい原発という問題、多くの人は本当はどう感じているのか知りたいです。
「原発稼働の問題と福島県浜通りの放射線の状況を分けて考える」賛成です。
理科が苦手な私は放射能について数値での判断に迷いますが、シンプルに考えて原子力は人の手に余るものだと思っています。福島の事故を受けて原発を止めたドイツの判断を日本が出来ないのは何故なのか知りたいと思っています。
ちゃんと知りたいですね。
いく子さん、ありがとうございます☕️
ほんと、知りたいですよね。
あっ、数字のことで一つだけ。私は自分にどれくらい被ばくしてるかを調べることができる線量計を毎日持ち歩いています。それで、私が今住んでるところでは、1日24時間に浴びる線量は大体2位なんですが(富谷市だと1.2位かな)、病院で受けるCT検査は一度に2,400~12,400の被ばく線量なんですよ☝️プチ情報でした。
私も新聞で見て読みたいと思っていました。
10年前の右往左往の日々を思い出します。右往左往しながら感じたことは、明確な意図や指示がなくても正確な情報は出されないということでした。
だからこそ、拙いながら学び考えていきたいと思っています。