二十四節気の一つ『寒露』(かんろ)
今日、10月8日は二十四節気の一つ『寒露(かんろ)』です。寒露は晩秋から初冬にかけて草木や木の葉の上につく露のことで、「露が冷気によって凍りそうになる頃」という意味です。
朝晩の冷え込みはきつくなりますが、空気が澄んだ秋晴れの過ごしやすい日が多くなります。夜空を見上げると、より美しくきれいに輝く月が見られます。秋の移動性高気圧に覆われて晴れた夜は放射冷却により地面付近の気温が下がり、まだ湿り気のある空気中の水蒸気が露となります。早朝に草木に触れると濡れるのは、このためです。
秋が深まると、草花には冷たい露がつき始めます。朝日に照らされ、葉先でキラリと光る一粒の露は、どことなく神秘的な印象さえ受けます。
この時期ならではの光景に魅了された昔の人は、なんと文様でその美しさを表現しました。玉になった露が、風になびく芝の葉先に光っている様子を表した「露芝文様」(つゆしばもんよう)です。野の芝に、秋の冷気で露がつく様は涼を感じさせるため、秋のみならず、暑い時期の着物の文様としても親しまれているようです。
日本人の自然とともに生活してきた風流さや繊細な観察力が、こうした文様を生んでいるのでしょうか。私も、この様な風流さと繊細さを持ちたいものです。
朝早くに、団地内をウオーキングしているとき、建物が建っていない野原状態の宅地が広がっている場所があります。朝日が昇ってきたときに、その場所が時々キラキラするのです。それは、敷地一面の草に冷たい露がつき、朝日に照らされえ葉先の滴が反射して光っていたのですね、これを書いていて初めて分かりました。
出典:ウェザーニュースhttps://weathernews.jp/s/topics/202110/070185/
少し肌寒いと感じる外気温の中、朝早くから歩いていていると、日頃は感じることのない空気の新鮮さ、朝日の神々しさ、露のついた草木の生命力等々を無音の中で全身に感じます。大げさに言うと、歩けること、生きていること、今ここにあることに感謝してしまいます。
今朝のNHK朝ドラ「おかえりモネ」で、百音のこんな言葉がありまた。「もし、助けてもらってばかりだとしても、それはそれでいいっていう世の中の方がいいんじゃないかな」と。私は、人様の役に立ちたいとばかり考え、人様に助けて頂いていることを忘れがちになっていたように思います。今朝のウオーキングで感じたのは、今目にしている自然環境や歩くことを可能にしてくれているこの身体に助けられている自分の姿です。
今朝、朝日を見ながら、歩けること、生きていること、今ここにあることに感謝したいと思ったその感情を、先ほどの言葉にダブらせて「助ける社会だけではなく助けられる社会」その「どちらも有りの社会こそが大切」なのではないかと、朝ドラを観ながら思いました。
今朝は、とても多くの収穫があった朝でした。正に、早起きは三文の徳(得)でした。
今朝はやくに、まさに葉先に光る露たちを見ました。
産まれたての赤子のような、両手で包みたくなるような光でした。
こんな景色に心癒される、素敵な朝のひとときでした。
葉先でキラリと光る一粒の露ですか✨
早朝に草花に露がつき、キラキラ光っているのってこれまでもよく見ていたような記憶ですが、それがいつだったのかも思い出せないくらい無意識に通りすぎていたかもしれないと思いました。なんてもったいない!
その時期時期の自然の美しさに楽しさに繊細さにもっと浸りたいなと思いました。
今の時期、仕事が終わると外は真っ暗ですが、月はとても冴え渡って美しく見えます。必ず、立ち止まってその美しさに見惚れてしまいます。その理由もわかりました。
自分を助けてくれる身体に生んでくれたお母さまに感謝ですね。そのように思ってくれてること、お母さまもきっと喜ばれていることでしょう。
早起きは三文の徳!
いい言葉だなと改めて思いました。。