大きな風呂と小さな風呂

今日(6月16日)の占いで、蟹座は「常識を見直して情報を整理する」と良いことがあるそうだとあった。それならばと、パソコンに中にある削除しないで残っていたメモ等を整理し、パソコンを軽くしようとあちこちのファイルを開いたり削除したりしていました。

そしたら、私が気仙沼土木事務所に単身赴任をしていたときに書いた書き物が出て来ました。平成元年の物なので、今から32年も前に書いた、職員寮での一コマでした。気仙沼市には、初めての単身赴任生活で、2年間いました。新月ダム建設反対の住民運動が激しかった時代です。整備を進めようとする宮城県と住民、特に牡蠣養殖を生業とする住民から猛反対が叫ばれ、対立していた時期です。

現在放映されているNHK連続ドラマ「おかえりモネ」でも、主人公の実家は牡蠣養殖を行い、何度も、「山と海がつながっている、森の栄養分が川を伝って海に流れてくることで、牡蠣にとっては豊かな海になっている」と語られています。当時は、唐桑町の牡蠣養殖を営む方々から、同じようなことが主張され、「ダムができるとその生態系が壊れ、海が死んでしまう」という反対理由でした。

NHK連続ドラマ「おかえりモネ」は、気仙沼土木事務所行政課で住民対応をしていた当時のことを重ね合わせながら観ています。疲れ果てて職員寮に戻り、お風呂に入りながら、この様なことを思い浮かべていたのだと思います。ついでですが、ワインとブラック珈琲を覚えたのは、気仙沼土木事務所に単身赴任していたときです。

                 大きな風呂と小さな風呂

日本人の風呂好きは歴史が古いと聞くが、何時頃からなのだろう。現在の様な風呂の入り方は、江戸時代から始まったとの話だが、詳しいことはよく知らない。風呂は一日の仕事を終え家に帰ったら、真っ先に駆け込みたい場所のひとつだろう。居酒屋が一番と言う人も多いが、風呂とはまた別の次元の選択の話だろう。

今利用している風呂は、二つある。職員寮にある、一度に十人はゆったりと入れる風呂と、大人一人に子ども二人でいっぱいという小ぶりの風呂。常々大きな風呂はいいものだと思っていた。実際なかなかいい。広々とした所で、手足を伸ばし鼻歌のひとつも歌えば、気分は最高である。これが温泉であれば尚いいのだが、これは欲と言うものであろう。

一方、小さな風呂と言えば、日本の住宅事情を端的に表すのに最も適していると思う。大きな身体を折り曲げ、浴槽に入らなければならない。お湯の持っている力にのみ頼って風呂を楽しんでいるのであって、決して風呂の持つ空間で気分良くなっているとは思えないほど狭いのである。小さな風呂に入るたび、大きな風呂へのあこがれを持っていた。旅行した時などに入る大きな風呂。これはもう別世界のものではないかと思うほど、気分がよいものだ。これまで長い間、この様にしか思ってこなかったのである。

しかしこの頃、チョット心境の変化を覚えた。大きな風呂が何とも虚しいのだ。大きな風呂で、ただ無言で身体を洗い、湯につかり、そして大きな溜息。決まりきった挨拶をして風呂を出る。これの繰り返しである。これまで持っていた大きな風呂へのあこがれはどこへ行ってしまったのか。

小さな風呂。これまで煩わしいとしか思っていなかったのが、妙に恋しい。子供達と入る時、面倒で何とか理由をつけては一人でゆっくり入りたいと思ったのだが、あの小さな空間の持っている狭苦しさの中の安らぎの様なものを、今になって懐かしく感じている。子供達と風呂の中で、学校のことや友人と遊んだ話、母さんに怒られたこと等々。そこには、親と子の正に裸のふれあいがある。家族の安らぎそのものがあるように思える。

こうしてみると、日本の家庭に一般に見られる風呂は、日本人の親と子供のかかわりを作った大切な空間だったに違いない。習慣は、それぞれの性格形成に大きな役割を持つと言われているのだが、親子一心同体的な感覚は、このような所から生まれてきたのではないだろうか。大きな風呂やサウナ風呂。よく洋画に見る、浴槽の中でゴシゴシの後のシャワースタイルの中では、やはり日本人的な親子関係は生まれなかっただろう。小さな風呂に入る機会の少なくなった今日この頃、こんなことを大きな風呂の中で、一人思っている。

                       1989(平成元)年11月9日

                       気仙沼市田中県職員寮101号室にて

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