岩手・宮城内陸地震から13年

2008(平成20年)6月14日午前8時43分頃、岩手県内陸南部を震源とする、マグニチュード7.2、最大震度6強を岩手県奥州市と宮城県栗原市で観測し、被害もこの2市を中心に発生しました。被害の特徴として、同じ規模の地震と比較して、建物被害が少なく土砂災害が多いことが挙げられます。宮城県、岩手県及び福島県で計17人が犠牲となり、現在でも6名の方が行方不明となっています。

当時、私は、仙南保健福祉事務所(大河原町)につとめていました。仙南の市町村は、平成の合併が進んでいませんでした。高い確率で予想されている大規模地震「宮城県沖地震」が発生したら、県として小規模基礎自治体の集まる仙南圏域市町(白石市、角田市、蔵王町、七ヶ宿町、大河原町、村田町、柴田町、川崎町、丸森町の2市7町)を如何にして支えたら良いのか常々考えていました。そのような中で発生したのが岩手・宮城内陸地震でした。

私は、合併が進まない担当地域(仙南2市7町)の災害支援の在り方の参考にすべく、栗原市への支援を志願し、1週間ほど大河原町から栗原市に通いました。与えられた任務は、被災者の現状把握でした。各戸を訪問して健康問題や生活問題等々を直接聞き取るというものでした。

栗原市栗駒総合支所にも近い、栗原市栗駒伝統文化の伝承館(みちのく伝創館)に集合し、様々な説明が行われてから5人一組編成で現地に向かいました。出発するまで、だいぶ長いこと待たされました。地元役場職員等が車座になって頭をくっつけるようにして長いこと話し合いをしていました。我々はその周りを取り巻き、じっと指示を待っているという構図です。傍目には、指揮命令系統ができておらず、その場その場で話し合いながら物事を進めている感じでした。この状況は、周りの支援者に不安を与えるだけでした。自分が担当する事態になったときには、これは避けなければならないと思いました。

また、とても気になったとのは、被災者の健康調査です。保健師が被災者一人ひとりと直接面接して聞き取りを行っているのです。傍目にはとても良い対応と評価され、マスコミもこぞってそのような状況を取り上げ評価しています。しかし、私は、別の評価でした。この方法だと、人数に限りがある保健師が瞬く間に疲弊し長続きしないのです。これほど丁寧な聞き取りを行っても、要支援者の発見率は2割以下です(宮城大学調査結果)。また、重要な欠点としては、人数が限られているので全員の把握に時間がかかってしまうのです。これではダメだ!そう感じました。

私は任務を終えて戻ってから、保健師などの専門職は温存し、長い支援に重要な役割を担えるような支援の在り方を提案しました。それは、2段階訪問方式です。第1段階は、人数の多い事務職員や応援職員を訪問に充てます。その際、身体的・精神的・社会的現状を把握するための質問紙により現状把握を行います。次の段階では、その質問紙のチェック項目を点数化し、合計がある点数以上をrisk+にする。また、重要な項目に該当が場合にもrisk+とするという2項目評価で、第2段階訪問者を選び出します。即ち、質問紙でスクリーニングするのです。第一段階の一次スクリーニングでrisk+になった方につては、第2段階として、ここから専門職の保健師に訪問してもらうのです。

このような、2段階訪問方式を採用することで、対象者の状況を迅速かつ適切に把握する事ができるのです。災害時に必要な事に二つの重要なポイントがあると当時考えました。

第一は、スピードです。スピード感を持って事に対応することです。第二は、全数把握です。被災者の状況を漏れなく全体像を把握することです。これがないと支援の優先順位や応援の求め方が違ってきます。この2点は、被災で混乱している初期段階の現場において心しておくべき事だと考えています。

また、マスコミ対応もとても重要です。私は、南三陸町の被災者支援において、マスコミに対しては積極的に情報を提供してきました。震災前にはほとんどその名を知られることのなかった南三陸町が東日本大震災で一躍名を知られるいうになったのは、佐藤町長が毎日記者会見を行い、情報を積極的に提供したことにあるといわれています。私も、その現場にいて、その必要性を実感しました。この為、震災時はマスコミ担当を配置し、様々な情報が一ヶ所に集められる体制も重要なポイントになります。

岩手・宮城内陸地震から13年、このようなことを思い出していました。当時、管内の中学校で防災の講義をしたときのプレゼンに、岩手・宮城内陸地震の写真があるので添付しました。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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