二日目(4月20日)徳島県阿波市から阿南市まで

二日目は、十二番札所焼山寺(しょうさんじ)から二十二番札所平等寺(びょうどうじ)までの11ヶ寺を巡拝しました。宿泊は、阿南市にあるビジネスホテルです。

歩き遍路の昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ、遍路道の中でも特に難所といわれ、車で巡拝出来るようになった今でも、最も険しいといわれています。二日目の巡拝には、この三つが入っており息を切らすことの多い一日でした。

焼山寺はまでの山道は、右側には様々な石仏が並び左側は遠くまで見渡せる絶景が続きました。境内は、早朝ということもあり、少しひんやりとした中に厳粛な佇まいを感じさせていました。

十一番札所藤井寺から焼山寺までの遍路道は、山道を6時間から8時間を険しい険しい山道で、丸々一日がかりの拝礼になるそうです。

焼山寺の奥の院は、本堂から約1㎞の距離の山頂付近にあり、そこからは海が見渡せるとのことです。奥の院はそこで護摩業をするので、多くの場合海が見渡せる山頂付近に設置されています。焼山寺の名前の由来は、奥の院で護摩業をしていると、海からは山が燃えているように見え、こから焼山の名が付いたとのことです。

二十一番札所太龍寺は、海抜1000m弱の場所に建っています。平地では16℃の外気温が、ここでは6℃で身震いする気温でした。高度が100m上がるごとに気温は約0.6℃下がります。ロープウェイ駅は吹きさらしだったので、この計算から更に気温が下がり6℃になっていたように思います。境内は、高野山奥の院と同じ配列で本堂等が建ち、威風堂々として迫力があります。こうしたことが、西の高野と呼ばれる所以の一つになっています。

大日寺のしあわせ観音、井戸寺の弘法大師が持っていた杖で一晩で掘ったという面影の井戸、鶴林寺には、札所までの道のりに一丁(約109m)ごとに立てられていた南北朝時代(1336年から1392年までのおよそ56年間)に建立された丁石が残っています。西の高野と呼ばれるロープウェイで行く太龍寺は、弘法大師が19歳の時に修行した場所で、室戸岬と並んで青年期の思想形成に大きな影響を与えた場所です。また、舎心ヶ獄(しゃしんがだけ)は、弘法大師19歳の時に100日間にわたって虚空蔵求聞持法という記憶力と判断力を身に付ける秘法を体得した場所。こういった所が二日目の見所でした。

少しだけ体が慣れてきたように思ったのですが、坂道や石段が多く、金剛杖のありがたみを感じました。また、金剛杖や頭陀袋(ずたぶくろ)に付けた鈴の音が心地よく思えました。鈴の音は、周りを浄化してくれるのだそうです。何か分かるような気がしました。

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