阪神淡路大震災から31年
31年前の1月17日。私は当時の公務務研修所(仙台市青葉区川内)で1年間にわたる研修を受けていました。朝、いつものように公務研修所に向かい何事もなかったかのように研修を受けていました。多分、朝早くの発災(午前5時46分)で、情報がまだ伝わっていなかったのだと思います。お昼休みの頃に「大きな地震が起きて大変なことになっている」と耳に入りました。でも詳細は不明でそのまま午後の研修を受け、帰る頃に街に火の手が上がり高速道路が倒れているのを目にしました。これは大変なことが起きているテレビに釘付けになると同時に高い確率で発生が予測されている宮城県沖地震のことが脳裏をかすめました。これ以降、日を追う毎に被災の状況が伝えられ、職場でも兵庫県への派遣が行われるなどしていました。これが、阪神淡路大震災の時の私の受け止め方でした。
その後、長寿社会政策課に勤務しながら東北大学大学院在学中に兵庫県神戸市・芦屋市等を中心に聞き取り調査に出向いています。また、東日本大震災後は、南三陸町の被災者支援に阪神淡路大震災の様々な施策を生かすべく2013(平成25)年6月に再度兵庫県各地を視察聞き取りに行っています。二回目に行ったときは大阪市立大学の建築の先生を訪ねたりしています。この時の訪問先は、大阪市立大学、神戸市高齢福祉部介護保険課、都市計画局住宅課、芦屋復興公営住宅、グループホーム型住宅等々の視察聞き取り調査を行っています。
長寿社会政策課に在籍しているときは、宮城県沖地震を想定しての視察調査で、東日本大震災発災後南三陸町にいるときは、被災者支援の有り様、特に生活支援員・LSAのあり方を参考にするものと、高齢独居等の被災者が入居する災害公営住宅の整備に関することが主な関心事でした。いずれも、使命感だけで行動していたので、全て自費でした。今思うと、凄い行動力だな~と我ながらビックリしてしまいます。この時の調査結果は、南三陸町はもちろんのこと、毎月のように開催されていた被災市町連絡会議にも情報提供をしていました。その後、宮城県サポートセンター支援事務所の調査チームとしても視察しているので阪神淡路大震災については3回視察調査をしています。
この時に学んだことは、生活支援員・LSAの生かし方そして災害公営住宅の自治会のあり方等々に反映するように努めました。しかし、現実はなかなか難しく、単身高齢者を対象とする長屋型災害公営住宅等は全く相手にされませんでした。阪神・淡路大震災に際して神戸市や芦屋市呉川が整備したグループホーム形仮設住宅の事例があるのですが・・・。これは実現していれば、もっと在宅での暮らしが長く安心安全の中で過ごせるだろうにと思ってしまいます。また、災害公営住宅のシルバーハウジング化等もなかなか進みません。
災害の大規模化・広域化・長期化というこれまでにない状況に置かれる被災者支援は、これまでの被災者支援の継続で対応するのではなく住宅施策で対応すべきと考えているのです。既存の制度でも、高齢になっても住宅に進み続けられ様にわずかなサポートを住宅に負荷するだけで叶うのです。何とか考えてもらいたいものです。
阪神淡路大震災の時のことを思い出すと様々なことが去来します。そして、私の力では施策反映が全くといって良いほどできず無力感を感じてしまいます。それでも何かしないではいられない、何度も不器用な生き方しかできない私です。


