かじってみよう社会学Ⅱ第7講『永平寺への未知・みちで驚いたこと!』
後期高齢者(75歳)になる日を曹洞宗の大本山で迎えようと行った『永平寺への未知・みち』。5月から6月にかけての一ヶ月700キロを例年にない炎天下の中を歩きました。この過程で、様々な学びがありました。その中で、最も驚いたのが新潟県、富山県、福井県で見た墓石に彫ってある文字です。
私は、これまで墓石には「〇〇〇家の墓」というものしか見たことがなく、これが普通だと思っていました。しかし、永平寺への行程で見たのは、自分の家のお墓が分かるのだろうかと思ってしまう、墓地全体で同じ文字が彫られているのです。彫られている文字は全て「南無阿弥陀仏」です。もう訳が分からない風景でした。この付近のお寺は、親鸞を宗祖とする浄土真宗です。どうも、浄土真宗では、特に他宗派とは大きく異なり、その教えをより純化していることから、例外なくこうしたお墓になっているようです。宗派でこれほどまでも違うのかと驚きながらも、どうしてこうなっているのか興味が沸き、調べてみたのです。以下が、その結果で、とても納得しました。同時に、浄土宗及び浄土真宗は檀家数が一番多いのも頷ける感慨を持ちました。
浄土真宗では、お墓(墓地)は「お墓であってお墓ではない」といいます。なにやら禅問答のような言葉です。浄土真宗のお墓に刻まれる文字「南無阿弥陀仏」にその意味を見いだせるのではないかと色々と書籍をめくってみました。ありました、「南無阿弥陀仏」には、やはり深い意味があったのです。
蓮の形をした台座(蓮台)に載った「南無阿弥陀仏」を刻んだ墓石は、「はかいし」ではなく「阿弥陀佛」の仏像を現しているのだそうです。最愛のご家族を亡くしたご遺族は、故人の冥福を祈り、仏像を建立する。これが「南無阿弥陀仏」を刻んだ墓石なのだといいます。私が、永平寺への行程で、みな同じにしか見えなかった墓石は、それぞれのご遺族の願いを込め建立した阿弥陀仏だったのです。こうして、墓地は、ご遺族の故人に対する想いを込めて建立した仏像で埋め尽くされているのです。
「南無阿弥陀仏」が刻まれた蓮台に乗った墓石は、阿弥陀仏です。その姿(名号)は、仏の真実の姿(法身)を衆生(私たち)を救済する為の手段(方便)として具体的な姿で現れ、私たちに語りかけているのだと説かれています(方便法身)。
また、お墓地は、これまでの現世で積み重ねてきた人々の様々な知恵が集まっている場所とも説明されています。この為、お墓参りに行くということは、故人を供養するだけではなく、先人の残してくれた知恵を学びに行くということでもある。この為、ふるくは、お墓参りに行くときの服装は、正装で行ったと言われています。先人の知恵に敬意と尊敬の念を持って学びに行くので、服装を正しお墓参りをしたとのことです。
私たちは、年忌法要の時こそ少し改まった服装で行きますが、その他のお墓参りは普段着です。この様な考え方は、宗派を超えて伝え残して行きたいものだと思いました。こんどお墓参りするときは、少しだけ身なりを整えて行こうと思っています。


たまたま出会った「親鸞」です。宗教という視点ではなく、なぜ人々は親鸞の教えに共感したのか、その時の世相はどのようなものだったのか、なぜ為政者はこぞって親鸞の教えに傾倒したのか等々、社会学の視点で考えてみるのも面白いと、興味津々で様々な書籍を手にしているとことです。あの炎天下で出会った親鸞は、今、私の心を熱くしています。
『社会』とは、一人ひとり異なる私たち(人間)が、限られた空間のなかで共に住み暮らしていくことを可能にしている「知恵」あるいは「仕掛け」です。私たちは、「社会」を目で見ることは難しいです。いったい、「社会」はどこにあるのか。社会とは、人々の振る舞いの中にある。人と人との間にある。人々の集まりの中にある。人々の心の中にある。そして人々の記憶の中にある。したがって、社会を知るためには、時に「鳥の目」を用い、時に「虫の目」そして「心の目」を用いて、複眼的に対象と関わっていくことが求められます。
私たちは、社会学という「知の翼」の力を借りて、大きく変化する「社会」の姿を観察し理解していいきます。社会学とは、こうした意味で変化する社会を理解する為の「メス」になります。そして、社会学という知(学び)の営みに乗り出すにあたり、社会と対峙する最初の一歩(現場)は、私=「自分」という場です。自分という視点をとおして感じ取る淡い実感、しかし確かな感覚を経由することで社会に出会えます。社会は「自分」から始まり、つねに「自分」に立ち戻って終わります。
社会は「私と他者の間にある」。社会は「私が含まれる集団の中にある」。社会は「私の心に、そして記憶の中にある」のです。私を起点として様々な関わりに中に社会学が存在するのです。
『かじってみよう社会学Ⅱ』の投稿を始めるに際して、最初に書くべき内容でした。今日、「永平寺への未知・みちで驚いたこと!」を下記ながら、急に『社会とは何か』を思いだし、今さらながら書きました。私が、親鸞と出会い、その中にある様々な願いに想いを馳せる。今、私は、親鸞と不安を抱きながら日々を送る人々との関係をとおして、その間にある社会関係の持つ意味や役割に視線を向けています。親鸞を社会学の視点で見ようとしているとは、この様なことなのではないかと思っています。
これを読んだ皆様も、何か疑問を感じたり興味をもっらりした時は、自分とその疑問や興味の対象との関わり、間にあることに目を向けると、より自分を理解する機会になったり、反対に興味や疑問の対象がなぜ気にかかるのかが分かるのではないかと思います。
今回も最後までお付き合い頂き有り難うございました。


