永平寺への歩きで知った親鸞
永平寺迄の歩きでたまたま知った『親鸞』について書いてみます。私は、名前は知っていたのですが、どのような考えを持った高僧なのかは全く知りませんでした。しかし、今回、何処か引かれるものがあり、本を買い求め読んでいます。天才弘法大師空海の法力を自在に扱う高僧とは全く異なる親鸞にとても惹かれるのです。この際、しっかり読んで、著書『歎異抄』も理解できるようになりたいと思っています。
親鸞は、法然上人の門下となり修行を重ねます。しかし、法然の教えは朝廷や貴族にも広まりましたが、旧仏教とは大きく離れた教えであることから比叡山から疎まれ、念仏禁制の厳しい弾圧を受け、法然上人の門下の僧は、死罪や流刑(島流し)の処分が下され、法然上人の拠点、京都吉水草庵は壊滅しました。
親鸞の師、法然上人は土佐(高知県)に流されることが決定しますが、九条兼実という法然に帰依していた元関白がこの決定に介入し、配流先を土佐から自分の領地のある讃岐(香川県)に変更して便宜を図っています。親鸞は越後(新潟県)に流刑となりました。
私は、こうしたことは全く知らないまま新潟県を福井県にある永平寺を目指して歩いていたのです。その様な中、上越市柿崎区(旧柿崎町)や上越市(旧直江津市)にさしかかると、親鸞に関する様々な碑が見られるようになりました。私は、親鸞流刑の地が新潟県旧直江津市(現上越市)と全く知らず、京都から陸路を辿り最後は海路を経て居多の浜に上陸したことなど、尚更分かりませんでした。せいぜい、歎異抄を書いた高名な僧くらいの知識です。
今回、永平寺迄の行程で幾度となく、最下層の庶民にひたすら『念仏』を唱えることを伝え続けた親鸞に触れ、四国お遍路で知った弘法大師空海という天才的高僧で、今なお信仰を一心に集め高野山奥の院の賑わいとの違いが、歴然としていることを知ったのです。
天才的能力と策士的力量を併せ持つ弘法大師空海、そしてひたすら仏教の教えを守り伝える僧侶の育成に専念した道元禅師。こうした高僧とは全く異なる印象を持ったのです。
今回、親鸞に関する書を買いそろえ、現在まで読んだ上下巻2冊では、没落した家から親戚に預けられ、比叡山横川の堂僧として修行を積み、法然上人の教えに感化され、法然上人のそばで修行を積み、それが故に法然上人と同様に直江津(新潟県上越市)に配流となった所まで読み進めました。親鸞が法然上人を師とし念仏を一心に唱える姿を見て来ました。
これから先は、激動編上巻に読み進めようとしているところです。これから先を読み進めることで『歎異抄』に書かれていることを少しでも理解するところに近づけるのではないかと期待しているところです。でも、まだまだ先が長い。永平寺への歩きで知った親鸞。ゆっくり読み進め、親鸞と出会いたいと思っています。




私も「親鸞」と言う名前は聞いたことがありますが、どんな人で何をした人なのかはわかりません。
こんな時、今はすぐにスマホでチョチョイと調べることができます。
親鸞は、今から852年前の1173年生まれで、90歳でお亡くなりになっています。
その当時、人生50年と言われていた頃よりさらにずっと前であり、90歳まで生きておられたのは奇跡に近いのではと思ってしまいます。
今年、アニメですが、『親鸞 人生の目的』と言う映画があったようです。
『戦乱の中、人はなぜ生きるのか、その答に命をかけた男たちがいた。800年の時を超えて、今明かされる歴史の真実』との説明が!
う〜ん、人生の目的、なんだかものすごく見てみたいと思いました。