母と一緒に結願(5月01日50日目)

今日は結願の札所大窪寺に辿り着く日です。昨夜はこれまでと何ら変わらない日課を済ませて床につき、朝目覚めてからも、これまでと何ら変わることのなく淡々と巡拝の用具を整え、いつものように7時少し前に宿を出ました。宿から87番札所長尾寺までは、市街地の一般道を気づかないほどゆるく登り、それ以降は目に見えてはっきりと長い登りが続きます。お遍路交流サロンからは、旧遍路道に入り、キツイ登りが続き410mをピークに額峠を越えると、アップダウンを繰り返しながら88番札所大窪寺に向かいました。最後の遍路道にふさわしい山越えを経て目的地に辿り着く行程でした。87番札所長尾寺及び結願の札所88番札所大窪寺の2霊場を巡拝しました。

お遍路姿
最後の遍路道
もうすぐ結願
八十八番札所大窪寺山門

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

母と一緒に結願(5月01日50日目)” に対して2件のコメントがあります。

  1. スマイル より:

    「母と一緒に結願」というタイトルをしばらくしみじみと眺めました。お母さんは背負われたザックの中にだけいたわけではないと思いました。風と一緒に耳元で励まし、痛めた足を撫で、時に前方から手招きし、疲れた体を抱きしめ、そのように常に共にあり共に歩んでいたのではないかと思います。

    たまたま置いてあった金剛杖というのも、なんとも不思議ですね。これまでの道のりを目で見えるようにはからっていただいたようです。

    いつもと変わらない朝、いつもと変わらない歩み、静かな結願であったことは自然の流れだったのでしょうか。結願の瞬間は十人十色、その人の道のりの象徴のようなものかもしれませんね。
    いろんな方の「その瞬間」をお聞きしてみたいと思いました。

    鈴虫さんが書いていらしたように、リアルタイムでその日その日の報告を読んでいた時はハラハラドキドキでしたが、今回は風を感じ、風景をながめ、美味しいものを味わいながら読んでいたようなそんな気持ちでした。

    お祝いのお赤飯のお話も忘れられません。結願おめでとうございます。

    このお遍路はまだ少し続きますね。最後まで楽しみにしています。

  2. 鈴虫 より:

    約1年をかけて四国八十八ヶ寺歩きお遍路の記録を読ませて頂きました。
    生配信のように毎日の様子を知らせて頂いた当時は、本当に両手を握りしめて応援するばかりでした。
    心配と無事を祈るだけで何も出来ないのですが、この場でみなさんと想いをひとつに団結して見守っていたように記憶しています。

    今回は無事に戻られた後ですので、ドキハラにも余裕を持って毎週月曜日の紀行文を読むことが出来ました。
    名実共に山あり谷ありの毎日を良くぞご無事で歩き通されました。ひとつ捻挫は大事件でした。
    今日、結願された様子は水を打ったような静けささえ感じるほど、なんて平らな心持ちだったのでしょう。
    ただの一欠片も浮ついていない、只々「ありがとうございました。おかげさまでした」これに尽きるのでしょうか、そういうものなのでしょうか。

    八十八番札所大窪寺で結願の記念写真をお母さんと撮られたことは、いい親孝行でしたね。
    ずっと背中にお母さんを背負っていたおかげで、何度転んでも直ぐに立ち上がるのですね。大事なお母さんを転ばして置けないのですもの。
    その様にしてお母さんに守られ支えられ、加えて、見ず知らずの地域の方達にも温かいおせったいで背中を押して頂いた。
    こんなに有難いことがあるものなのかと、擬似体験した私にも温もりのお福分けを頂きました。
    おかげさまでこの感謝を私も身の回りのどなたかに恩送りしなくてはと、優しい気持ちになっています。

    この瑞々しく貴重な紀行文を私は何度も読み返すことでしょう。その度に新鮮な観察眼を持って、まるで初めて読むように引き込まれそうな気がしています。

    一年かけて丁寧に四国八十八ヶ寺歩きお遍路を振り返って下さって、ありがとうございました。
    たいへんご苦労さまでした🙇🏻‍♀️

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